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2016年10月号 勝見幸二さんより、おてがみが届きました

女の人について


こんにちは、初めて蘭の会の詩人の方々に手紙を書きます。勝見幸二と申します。今、私は、ひきこもりの四十四歳です。二十年以上、ひきこもりですが、外には出られるので、映画館で映画を観たり、本屋に行くことはあります。十年以上前に、ある知り合いから、仕事を紹介してもらって、週に二日、土曜と日曜に働いています。店主は、私が、ひきこもりであることを、わかった上で、雇ってくれました。有り難かったです。
 ひきこもりで四十四歳なので、きつい状況です。先のことを考えなくてはならないのですが、先のことを考えると、うつ病になってしまい、先のことを考えることを、止めました。私は、どのようなことになっても、行けるところまで行って、死ぬまで生きるつもりです。うつ病にならないため、今を大事に生きています。

女流詩人 蘭の会とあるので、私が思っている女の人について書こうと思いましたが、あまりにも女の人は、千差万別なので、これと言って、一つのイメージで女の人を語ることは、難しいと感じました。私は、あまり言いたくないのですが,恋愛経験が乏しいのですが、ここで、恋愛経験が無いと言う勇気はありませんので、四十四歳の私ですが、二、三回の恋愛経験があったことで、許してください。
 ここで、蘭の会のみなさまに書くのは、恋愛の話もありますが、それよりも、どのような女の人と出会ってきたのかを書こうと思います。それで、女の人のことが、わかったとは思っていません。私にとって女の人は、未知との遭遇です。異星人に近いのです。だから、女の人に興味を持ち続けるのです。私にとって女の人は、好奇心そのものです。
 先程書きましたが、私はアルバイトで、週に二日、土曜と日曜に働いています。すし食堂です。(そのような店名は、ありません。)その店で十年以上、働いていますが、スタッフは、ほとんど女の人です。大将(男)がいまして、その母親の大女将がいまして八十代後半です。この大女将には、よく叱られ、怒られましたが、仕事が終わって、帰る時にはいつも巻き寿司などをもらいました。
 私は、このすし食堂で働いていても、仕事が覚えられなくて、覚えるのに半年以上かかりましたが、誰一人文句を言う女性スタッフはいませんでした。出来ることだけをしていました。テーブルにある食器の後片付けに、集中していました。女性スタッフは、五十代、六十代、七十代といましたが、私に対して、きつい言葉ではなく、優しい言葉ばかりもらいました。
 店は、午前十一時半から、午後一時までが、一番忙しい時間になり、客がいっぱいやって来ます。その時、定食の寿司が無くなり、客は、寿司ができるまで、待たなければならなくて、怒る客も出て来て、そのことで、焦っている時に、一人の女性スタッフが、どんとしていて、気構えがあって、客が怒っていても、笑っていました。「定食の寿司ができていないなら待つしかない。客は怒らせておけばいい。客がいくら怒っても、すぐに、寿司はできないのだから。」と言って、また笑っていました。私は、その女性スタッフの言葉で、焦ることを止めて、寿司ができるまで待ちました。結局客は、怒りながら寿司を待っていましたが、私は、その時「もうすぐ、寿司はできますので、すみません」と言いました。客は、その後、寿司とうどんの定食を食べて、帰って行きました。
 これは、一つの話しです。色々と、女性スタッフのみなさんには、助けてもらいました。
 私は、そのすし食堂では、ウェイターをしています。
 七十代の女性スタッフと、少しした、接客のやり方について、喧嘩をしたこともありましたが、後で、私がその女性スタッフに謝ると、その女の人は「私も悪かった」と言って、仲良くなりました。
 思ったことは、この職場の女性スタッフの人たちは、年齢は、五十代、六十代、七十代でしたが、悟っているとは言わないまでも、肝が据わっていると言うか、動じない印象があって、そのことは、凄いなと思います。今も、私は、すし食堂で働いていますが、動じないというのは無理で、いつも焦っていますが、それなりに緊張しながらも働いています。
 短い話しになると思いましたが、長くなるので、しんどくなったら、無理に読まなくてもいいですが、私は書き続けます。
 次に、印象に残った女の人は、十年以上前の人になります。今、私が四十四歳なので、三十歳位の時です。
 その頃、私は、ひきこもりの人たちが集まる交流広場に参加していました。そこで、週に一回、ボランティアスタッフとして参加した海子さん(仮名)と知りあいました。当時、海子さんは、五十代後半の団塊の世代の人で、ビートたけしと同い年です。
 この海子さんとは、話しが合って、よく居酒屋に行って、酒を飲んで話しました。
 海子さんは、文学、映画、音楽も好きで、当時一九六十年代後半から七十年代前半の、安保闘争や学生運動、ヒッピーの話しを聞きましたが、海子さんは、そのどれでもなく、自分の人生を、生きていました。ベトナム戦争もありました。その中で、音楽や、文学、映画なども、盛り上がっていて、私も、その時代の音楽が好きで、よく聴いていました。
 この海子さんのことは、色々あるのですが、一つの話しとしては、うまく書けません。
 中途半端な、恋愛にもなっていない悩みをを相談したりもしました。私の行く末の悩みも、話しを聞いてくれました。
 海子さんは、民間のユング心理学のカウンセリングの資格を取得するために勉強をしていたので、その効果が、私にも、影響していたのかもしれません。
 海子さんは茶目っ気がありました。歩道を歩いている時に、急に、ある店にある風鈴を、飛んで鳴らしたりします。その風鈴は、海子さんの背よりも、高い位置にあって、だから海子さんは、風鈴を鳴らしたいので、飛んだのです。
 海子さんには、たくさんの元気をもらった気がします。この出会いと付き合いは、一生忘れません。
 次に、女の人ではありますが、これは一方的なもので、出会いと言えないかも知れないませんが、私にとって、元気をもらい続けています。それは、観て聴くことなのですが、私にとって、女性アイドルグループの存在が、元気にになったり、癒してくれるのです。特定の女性アイドルグループというのではなく、何人かは好きな女の子もいますが、基本的には、全体としての女性アイドルグループが好きなのです。それは、ライブに行ったり、CDを買ったりまでには至りませんが、基本的には、録画して観る程度ですが、この若い女の子のアイドルグループの言動は、男の私にとって、元気を与えてくれますが、効き目は短いです。実際に会って、話しているわけではないので、ほぼ、虚構を観たり聴いたりしているようなものだからです。しかし、それでも、女性アイドルグループには、魅力があります。それは、若さです。この若さが、私に元気をくれる。テレビ画面で、笑顔で歌って踊っている姿が、元気をくれる。当然、彼女達にも、たくさんの悩みを持った上での笑顔だと思います。それが、私には少しですが、心の支えになっています。それは、街を歩いている女子学生がはしゃいでいる姿に似ています。
 私は、高校の時、思春期の影響か自意識過剰でうつ状態でした。その時の女子高生の元気や明るさを、太陽として、今でも感じてしまうのです。
 この女性アイドルに対して下心がないかと言われると、ないというのは嘘になります。
 私にとって、若い女の人は、光であり、星であります。ピカピカと輝いているのです。
 それは、若い女の人だけではありません。世代を超えて、女の人は、輝いています。女性アイドルグループだけでなく、女性ミュージシャン、女性シンガーソングライターにも、同じことが言えるのです。
 蘭の会の方々に言いたいのは、若い時があって、その時の青春が人によってはあって、その青春は、若い時に特に、意識するだろうと。ただ、意識しなかった私は、その若い時の青春が、欠けているようで、その時、若い女の子がはしゃいでいるのを見ると、私の十代が、甦る気がするのです。実際は、中年の男でも。
 次に、私にとって、大事な思い出を書きます。それは、私が、小学三年生の時です。三年の時にクラス替えがあって、私は、その時森っ子(仮名)という女の子に出会います。森っ子は、母以外の異性、初めて女の人の原形を見たように思います。何か女のひとの、むきだしの姿、本能そのものというか、森っ子は、自分自身に正直すぎる位正直だったのです。子供の時には、よくありますが、森っ子は、それが突出していました。これは、私にとってショックでした。
 森っ子は、周囲から女番長と言われる位に、気の強い女の子で、男の子がやって来て、森っ子と喧嘩をしても、男の子が負けて、泣いてしまう程でした。
 森っ子は、女番長と言われるのが嫌だと言っていましたが、今思えば、言われても仕方がないと思います。
 私は、森っ子に、急に襲われるような感じで、口と口で、キスをされたこともありました。その後、森っ子は、私の顔をみて、してやったりというような顔で、笑っていました。
 小学校三年、四年が、私にとって、女の人と一番近づいたような気がします。
 森っ子は、知能指数がとても高かった。それは、知能指数のテストで、学年の、一番だったからです。
 森っ子は、ませていた。好きな男の子を見付けては、口と口で、キスをしていた。しかし、私は、この森っ子を最初に見た時、可愛いとも美人とも、思わなかった。私にとって森っ子は、好みではなかったのに、次々と、森っ子の魅力が出て来てしまう。歌を唄うのも、文章を書くのも、上手で、この森っ子は私にとって、超人でした。
 クラスのお楽しみ会があるので、森っ子は、「眠り姫」を、芝居で見せようと考えた。
 台本を作る時、何の本も無いのに、森っ子は、台詞を言い出して、私や、他の友達は、森っ子の言葉をノートに書いて行きました。その頃コピーはありません。本も無いのに、森っ子の言葉が、次々にやって来て、ノートに書くのが大変でしたが、そのノートに書くことが、終わった時、ノートには、「眠り姫」の台本ができていました。森っ子は、本も、何も見ず、言葉だけを発していました。この時、この森っ子のことが、少し恐くなりました。小学校三年、四年で、そのような、口伝えで、台本を作るなど、今でも、驚いてしまいます。
 私は、森っ子の顔は、好みではなかったのに、そんなことは、どうでもよくなって、森っ子のことを、好きになっていました。
 その後、小学五年のクラス替えで別々になって、森っ子と接することも、少なくなり、中学校も、森っ子と一緒でしたが、クラスは別々で、会うこともありませんでした。
 中学校の卒業文集の中の森っ子の文章には、恋愛のことばかり、恋愛の思い出しか、書いていませんでした。森っ子は、恋愛に走って行って、森っ子の存在は、私の中から、風と共に去って行きました。
 あまりにも、長文になってしまったのですが、大丈夫なのかわかりません。
 まだ、一人私にとって、大事な女の人がいるのです。それを書きますが、独りよがりの独白になっています。手紙なのに、悪いと思っていますが、蘭の会の人のことを考えると、女の人ことを、どうしても、書きたいと思ってしまいました。
 その大事な一人とは、私の母です。
 母は、私にとって、初めて、出会った女の人である。
 私が、子供だった時、母にヒステリックに「勉強しろ」と言われて、私は泣いていた。
 母より、父の方が、好きだった。
 母は、私に「勉強しろ」と言うのに、母自身には、知性の欠片もない。だから、私に「勉強しろ」と言ったのか?
 私は、頭が悪い。それは、母の血が流れているからだと思って、母のことを憎んで、母に対して、当たり散らしたこともあったが、どれだけ、そのことで、暴れても、私は私でしかない。
 今でも、何かあると、母とは、よく喧嘩をする。
 ただ、最近になって、父が、認知症になった。介護の日々。その時、急に、母の存在が、大きくなってきた。七十歳半ばの母。そこには、知性以上の理屈だけではない、母の強い生命力を感じた。
 母は、私の兄と、私を育てた。父も協力はしていた。しかし、子供を育てる大変さは、言葉にできない大変さがあると言う。そこには、小さな命が、あるのである。
 母は、兄と私を育てた。命を育てた。その力は、知性や、理屈だけではなく、生命力と知恵が、大事になってくる。
 そのことを感じた時、母の存在は、変化した。
 父の認知症の介護は、今も続いている。父が、デイサービスに行くことによって、少しは、楽になったが、夜には、父は、家に帰って来て、おしっこを漏らす。母は、父の隣で、寝ているので大変だ。夜中でも、母と兄と私は、起きて、父のおむつを交換する。
母が老いて行く姿が、悲しい。もう昔のように母の知性について言うこともない。母には、心身ともに健康で長生きして欲しい、できるだけ。
 母が元気でいると嬉しい。今でも、大喧嘩をするが、心の中では、母が、心身ともに健康で、生き続けることを、願い、祈り続けている。
 母は、私にとって、今は、大事な存在になっている。
 蘭の会のみなさま、女の人について、出来るだけ、正直に書きました。正直ついでに、また、正直に、書きます。
 私にとって、女の人は、私より年下の女の人でも、私と同い年の女の人でも、私より年上の女の人でも、好きになれば、恋愛とセックスの対象です。それは、私にとって、本当に大事な気持ちです。もし、この世の中に、女の人が、いなくなったら、私は、死ぬかも知れない。それ位に、女の人は、大事な存在なのです。
 恋愛やセックスの対象でなくても、女の人と接するのと、男の人と接するのでは、全然違います。女の人と接して話しをすることは、いつも、緊張と喜びがあります。
 女の人に会うと、心が躍り、胸躍る。
 女の人は、男以外。
 若い女の子の中に女を見て、大人の女の人には、その中の少女を見出す。
 女が集まれば、ヒステリックで、かしましい。
 女の人を見ると苛々する。私に問題が。
 女の人は、温かさを感じる。それは、母性から来るのか、異性に対しての反応か?
 女の人が、子供を産む、産まないは、別として、女の人の体の中にある子宮に、宇宙を感じる。子宮の中に命が宿る可能性が、あるからだろう。
 子宮には、あの世を感じる。この世に生まれる可能性のある、生命があるからだろう。
 女は神秘。だから男は女に好奇心。
 女は、色の色。花の花。それに男は、好奇心。美人、可愛いには、弱い。
 性格も合えば、女の人との会話は楽しい。
 しかし、私は、女の人に告白すれば、振られるばかり、私の性格に問題が。私の私が答える。「それは、そうだ。その上、お前の容姿にも。」
 「はあ、なるほど」と、納得できる程、私はできていない。
 気の強い女、気の弱い女。酒に酔って、色々話したい。
 老若女(ろうにゃくおんな)と、話したい。
 暗い女、明るい女、その心の中を、見てみたい。
 私は、男。女の人を知りたい。本質がわかるまで。わからなくても、女の人に対しての好奇心は止まらない。
 テレビでも、映画でも、詩でも、小説、絵画、音楽でも、宇宙、地球、生物でも、人生、女、男、人間でも、それらについて、女の人に会って対話をしたい。その思いは、一生続く。
 女は、私の原動力そのもの。
 男には、女が必要。

 私の現在の活動は、上田假奈代さんの「詩の学校」に、通っています。この手紙は、上田さんの紹介で、書くことにしました。後は、週二回のバイトです。

 蘭の会のみなさま。私が書いた女の人については、他にもあります。女の人の怖さについてとかです。他にも、女の人に対しての、男から見た、性についてですが、そのことは、書いていません。この手紙になっていない手紙は、基本として、女の人礼賛です。それで、このような、文章になりました。
 蘭の会のみなさまに、言いたいことは、まず、女の人にしか、書けない詩があります。それに加えて、個性、センス、趣味、嗜好が、あります。
 自分の中の意識下を見詰めれば、火の周囲で踊る類人猿を見るかもしれません。
 ミクロとマクロとの合体、それは、矛盾するが、それを、夢見るような。マクロだけでなく、ミクロだけでなく、その中間の灰色の光景、生死の境界線、森羅万象も含めた、夢現の視野の状態から、死ぬまで、続く、詩作を、苦しみ、楽しみ、それらの詩達を、この世に、吐き出して欲しいです。
 偉そうななことを、書いて、ごめんなさい。

■勝見幸二(かつみこうじ)さんって、どんな人?
katumi
  一九七一年生まれ。京都市在住。二十歳前半からひきこもり。現在、週二回のバイト以外は、働いていない。出来れば、何かしらの話しを、表現して、食べて行きたいと思うが、現実は、とても、厳しい。

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