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2015年2月号 江頭一晃さんより、おてがみが届きました

近頃妙にそのバートン通りの匂いや空気がなつかしくなって、
お手紙をしたためるにあたって、このころの思い出話を書いてみようかと思います。
もういまはあまり書かなくなってしまったのですが、当時つけていた日記帳を見つつ。
まぁしばし、おつきあいください。

・・・・・・・・・・

カナダ、と聞いて一般的にはどんなイメージが日本人の脳裏に浮かぶのでしょう。
メイプルシロップ、アイスホッケー、果てしなく広がる樹林、積雪、そんなところでしょうか。ワーキングホリデーの手段を活かしてバンクーバーやトロントなどへ「海外」を経験しにやって来る日本出身の若者も近年はゆるやかにも増える一方と聞きます。

大都会トロントからフリーウェイに乗って南に一時間ほど車を走らせると、ハミルトンという地名を綴った青の標識が目に入る。
都会トロントの真新しいなめらかなアスファルトに慣れている人間なら、もしかしたら気が付くかもしれません。観光地ナイアガラへと続くフリーウェイのランプを降りた辺りから、表面に亀裂が入っていたり、でこぼこも増えたりして路面が少し荒くなったことに。
ここハミルトンにも栄光の時代はあったらしい。五大湖のひとつ、オンタリオ湖に面したこの港街は鉄鋼業の街としてたいした栄え様だったといいます。しかし1990年代、鉄鋼自体が下火になり工場がひとつまたひとつと閉鎖を続け、それに伴って街の明かりも徐々に消えていったそうです。今なお街の一方ではお城のような豪邸宅がきれいに整えられた庭を前にして立ち並んでいるけれどもそんな光景はもちろん限られていて、鉄工所に近い側の街のもう片方に行くと別の風景が広がっています。
また、市街の中心部を通り抜ければ、たとえば10数階建てくらいのがっしりした造りのビルの古式な建築様式に感心しつつも、建物全体が封鎖されて立っていることに驚かれるかもしれない。人通りだってときたま心細くなるほどに少なくなる。
街の中心部から湖に面した港の方角(北)へしばらく進むとバートン通りが東西に平たくのびている。この通りの廃れ様は、ここが北アメリカであることを一瞬疑わせるほどだったりします。

土曜の夕暮れ時になると、バートン通りの角に建つ店の駐車場では、どこからともなく近所の少年少女からおっちゃんたちまでが橙色に染まり始めた空を漂う音楽を耳にして集まってくる。寄せ集めの機材、そして様々な形や色をした打楽器。散歩途中の人がしばらくボンゴを叩いていったり、自転車を停めて一曲唄っていったり。
そしてこの街角でのお決まりのお祭り囃子はトリニダードを発祥の地とし、カリブ海を中心に広く聴かれるポピュラーな民謡、SOCAというスタイル。その他にもダンスホールレゲエのジャムが続いたり、静かなナイヤビンギでちょっと場が落ち着いたり。かと思えばスワヒリ語のライムが飛び交う、そんななかなか味のある場所だったんです。

仲間と手打ちの太鼓を叩いていて、しかしふと通りの向かいに目をやれば、頭のてっぺんから上半身血みどろのアニキがなぜか笑みまで浮かべて玄関先にぬっと立ちつくしている。隣に建つ古い煉瓦造りの教会のおばさんが救急ダイヤルを廻して警察が瞬く間に通りの半分を封鎖します。どうしたのかと訊けば、たかが兄弟喧嘩が流血沙汰に発展したらしい。
それでも救急車やパトカーが慌ただしく動き回る、およそ10メートルほどの通りを隔てたこちら側ではあらゆる太鼓の途切れることないリズムが模様を織りなすように奏でられ、ジャマイカ出身の「長老」みたいな風貌のラスがベースアンプ(それしかなかった)につないだマイクに「おまわりさん、こっち側は平和に楽しくやってるから気にしないように」と唄い、音頭をとります。

この一角のコミュニティーのかなめにはコンゴ出身のSix Pacと名乗る人間がいる。
画家でもミュージシャンでもDJでもある彼は土曜日になると家の隣の店に許可を貰って駐車場の隅の方を画廊・兼、祭りに模様替えしたものでした。コンゴ紛争の際に地雷を踏んで片脚を失くしてしまったにもかかわらず、アフリカ中を難民として転々とし、各地のクラブなどでDJやパーカッショニストとして活動したという経歴をもつ彼は、いまから二年ほど前に家族の将来を考えてカナダに移民としてやってきたといいます。

5月のある日。笑えるぐらいにぼろぼろの風貌をしたバートン通りにも春が来て、ずっと北風に揺られていた楓の裸の幹が、電柱と電線に邪魔されながらも青い葉を陽に翻しました。住んでいた録音スタジオの建つ176番地のバルコニーの下からはヨモギのような草が生え、あたたかいそよ風がおだやかに流れました。

この辺りの家はみな20世紀初頭に建てられた煤けた煉瓦造りで、絶妙に歪んで並んでいます。アスファルトに亀裂の入ったこの通りは、見栄えのしない、疲れ果てた車両しか走りません。
バートン通りと聞くと、人によっては映画監督のティム・バートンを連想して、おとぎ話のような情景を思い描きがちかもしれないですが、このバートン通りはひと味違った意味合いで夢のようでした。
生まれつきなのか、シャブのやりすぎで気が違ったのか、いつも同じ灰色のジャンパーを着込んで背の高い缶ビールを必ず手にしたまだ若い30代半ばくらいの男が、スタジオ向かいの家のバルコニーに通りに面して、いつもひとりでよくわからない笑い声をあげて腰掛けています。
一本足の、精霊か妖精のような存在感を持つSix Packが住む角の酒屋の隣の家屋はこの近辺の元クラックハウス兼売春斡旋屋で、一階の窓が木板で塞がった家の玄関からはやたらと色々な人間が出入りしていました。その中にはどういうわけか小さな子供たちも。
こんなのんびりした風の吹く午後にバートン通りを散歩してみたならば、赤ん坊を抱えた疲れきった夫婦が小銭に変換出来そうなゴミを拾っては歩いて行きます。店の外の駐車場では乳母車をゆする母親がスワヒリ語で子守唄を口ずさむ。イタリア系の家族が経営するストリップ小屋の前ではヒールを穿いた半裸のダンサーが男に中指を立てて口論する。ハングル文字が並ぶ教会の掲示板には太字の油性マーカーが描くグラフィティのブロック文字で落書きがされ、通りの向かいの寂びれたバーでは昼から酒にあぶれるうつろな目が、スピーカーから流れる陽気なクンビアのラテンビートと対照をなす。 角の酒屋の前では太陽が出てきたのをいいことにフィリピン人のマフィアみたいな形相の輩が脱いだシャツを肩にかけて乱雑な入れ墨を陽にさらす。並んだ家の裏側に抜ける草の生えた砂利道では声を上げながら鬼ごっこをする子供たちが靴が脱げても走り続けます。

「父さんが昔言ってたんだ。誰も近寄ろうとしない、街の最も危ない場所をみつけて、そこに住むがいい。実はそこが一番安全だから、って」
Six Packがそんなふうに言ったことがありました。

バートン通りを脚で行き来する人間ならば、誰もがこの男の表情と声と手の温もりを知っている。
バートン通りを車両に乗って通り過ぎる人間は、知らない。

彼が音楽の精霊と深い交流のある人間だということを知ったのも、そんなのんびりとした空の下でした。
スタジオで録音した音楽の編集作業をしていた自分はふと手を停めました。まだ午後もはじまったばかりだというのに、目が少し疲れていました。21.5インチのディスプレイに表示される音の波形を一日中眺めていると、ロールシャッハ試験のインクのにじみのような、さまざまに意味をもった形状に思えてきます。日記によるとこの日はどうやらペリカンが多かったようです。

玄関を開けてスリッパを履いたまま小さな前庭に降りると、決して大きくない前庭の向こう側ではジンベを打つ者がふたり。ひとりは同じスタジオに住む詩人のマイカル、しかしもう一人は誰なんだろう。

太鼓を打ってリズムを刻む二人に近づいた。
ベンチになった花壇の端に腰掛けて、にこやかに演奏する二人の傍には中ぐらいの背丈のジンベが置いてあります。玄関のドアに内側から鍵をかけておいたことを頭の中で確認してから、空いていたジンベを拾い上げてマイカルの隣に座りました。
場を満たしていたのは、なかなか聴かないような、とても愉快な独特の弾け方をするビート。
アフリカ、だろうか。
アフリカ、だろうな。
複雑なビートの組み合わせであるにもかかわらず、フックは常にビートのない所に落ちる。音と音の間の静寂を楽しんでいるのです。芭蕉をアフリカの細道へ迷い込ませたならば、どんな俳句が出来ていただろう。字余りのリズムの美学、そんな文句が頭に浮かびます。

マイカルが大きめのジンベでベースとリズムを打ち出していて、隣の一本足の男がリズムにくねるような踊りを与えています。
膝に据えたジンベの皮をさすった。太陽が照っていた。わくわくした。
ゆっくりとやさしくなにかを思い出すようにリズムを揺り起こしました。
太鼓の音。
それは人間同士を結ぶもの。
ことばにならない大切なものを思い出させてくれるもの。
世界中どこを探しても太鼓を打ち鳴らさなかった文化は存在しない。
人間がひとつの大きな家族である証でもある。

そんなこともうっすらと考えながら、和太鼓っぽいリズムを乗せてみました。
あうことは体が知っていたけれど、一応耳でも確認してから徐々に音量を上げて、徐々に調和。
かちっ。
複雑かつ爽快。

一体感がしばらく続きました。
男は不意に顔を上に持ち上げたかと思うと、既にフルスピードで走るリズムに合わせて空に向かって唄いました。

「ヒーローになりたいからって、死にたいってワケじゃないんだよ
  でも近頃は、死ななきゃヒーローにはなれないんだってさ」

彼の風貌が、歌が、声が、精霊が、音楽であり、歴史であり、映画だった。
アスファルトの地面にまとめて置かれた二本のアルミの松葉杖の傍で、彼の一本脚がリズムと一緒に跳ねました。

Six Pacという名前は、96年に銃弾に倒れたカリフォルニアの伝説のヒップホップMC、Tupacをもちろん意識していて、これが彼の通称でした。きれいに剃った頭に色鮮やかな衣服。彼の握手はぎゅっと温かい。
走れば景色がランナーの体を通り抜けるように、リズムさえあれば音楽が彼の体を通ってこの世界にたどり着く。そういった技能というか性質というか、そんな「才能」をもつ人間にはそれまでにも出会ってきましたが、彼はその中でも別格でした。次から次へと音楽が彼のもとへとやってきては歌やメロディーとなって彼の体から溢れて流れました。
マイカルと僕のリズムにあわせて自然発生するそれらにはしかし、しっかりと2・3ヴァースとサビがあって、しかも歌詞は対話形式だったりソロを挟んだりした。
目を閉じればそのインスピレーションがやってきている方角が判るかと思って、じっと音楽に耳を傾けたけれど、方角はやはり曖昧にアフリカでした。

唄い終えた彼はほとばしる太鼓の熱をゆっくりと冷ましていく。
目の前の道路を窓を下ろしてゆっくりと走っていたタクシーの運転手が
「おい、なぁモントリオールに行きなよ。その演奏の腕前、あっちじゃしっかりカネになるぜ」
と、感想と意見を投げてよこしました。
楓に留まった鳥のさえずりが聞こえるほどに音量が下がった頃、いい走りを見せたリズムが笑い声と共に終焉を迎えました。

再びSix Pacの声を聞いたのは、その次の日のこと。
煙草の巻き紙を切らしてしまったようで、角の店まで買いに行くと、バルコニーの階段に腰掛けたSix Pack。
「おいでよ。散歩?」
彼は僕が座れるように松葉杖をよけながら言います。
「いや、ちょうど巻き紙をきらしちゃってさ」
夕暮れ前のまだ明るい中、笑顔で握手を交わしました。
「そうだ、友達が置いていったギターがあるよ、ちょっと寄っていかないか?」
僕の答えを待つ間もなく、Mr. Six Pacは立ち上がります。こっちだってもちろん断る理由などありません。
「どうぞどうぞ、いらっしゃい」
彼は松葉杖に腕を通したまま器用にドアを開けました。
彼の10畳ほどの広さの部屋には片方の壁にベッドが横たわり、分厚いカーテンと板と釘で封がされた窓のあたりにはカンヴァスや絵筆、描きかけの作品などがあらゆる家具に立てかけられて林立していました。アクリル塗料を使ってはいるものの、一見油絵の具のような濃さがある。
「絵も描くんですか」
正直少し驚いて訪ねた。まだ彼のことはほとんど何も知りませんでした。
「そうそう、つくることは生きることだからさ、いろんなものをつくるよ」

林立する絵の中央で際立った存在感を持つ一枚の絵がありました。
抽象的な寸法の体を持った者が、琴のような弦楽器を片手に持ち、絵の左半分でこちらに背を向けて立つ人間に半ばのめり込んでいます。
「それがさ、音楽の精霊なんだ」
彼が注釈を加えました。
存在感という目には見えない額縁に身をまとった絵の中の音楽の精霊は、あらゆる感情を混ぜ合わせたおおきな目を持っていました。
なんだかふつふつとわきあがってきた愉しさと、なぜだかうっすらとさみしさにも似た刹那といったような感情とが胸のなかで交差して、ことばにできないなにかが自分のなかでうごきだしました。
精霊としばし目を合わせたあとに、他の絵も一通り目にしながら部屋を見渡すと、おもちゃのようなアコースティックギターが、箪笥のような引き出しの上に裸で横たわっています。
「そのギター。こないだ友達が置いていってさ、いい重さだろう?」
両手を差し伸ばしてギターを手に取った僕に、彼は言いました。
見た目は安物のほぼおもちゃ感覚で造られた紺色のギター。MサイズとLサイズの中間ぐらいの大きさで、たしかに、なにか気になる重さをしています。13歳ぐらいの頃からギターを弾いているけれど、楽器の重さと音の関係性を考えたことなんてあっただろうか。
そこにあった椅子に腰をかけて楽器を膝にのせ、チューニングがあっているかどうか確かめました。
もの凄く狂っている。
正確に表現するならば、もの凄く狂っている、と思った。
しかしなにかが耳に残る。
何だろう。もう一度右の親指で6つの弦を撫で下ろす。
もちろん6弦ギター通常のチューニングを物差しにして言うならば、確実に狂っている。三角定規で空気の湿度を測ろうとしているようなぐらいにズレている。
でも、ふとその中に音楽が聴こえたような気がした。
気になったので五本目のフレットに左手の人差し指を平たく置いて、右手で弦を撫で下ろしました。不思議なことに乱れて並んでいた音程が、5フレット分高いところに整列しています。3フレット目を押さえて爪で弾くと、予期しなかった色の音が現れて今度はリズムが動き出した。脊髄をなにかの電気が通り抜けていった。突然現れたリズムに僕は逆らわおうとせずに、ただ右手を動かし続けた。反復が心地よい快感を産み出します。
Six Pacは唄い出しました。
今度はディージェイのフリースタイルでした。煙草を巻いていた手を止めて、ベッドに腰掛けたままの彼のリリック制裁が始まりました。

あるときは
「生きるのは呼吸するぐらい簡単なこと。でも生き延びるのはまた別のしんどい話」
といった内容で、そのあとは
「俺のこの唇は真実しか外に逃がさない。だからウソの言葉を俺の所に持ってきて、俺が放ったなんて言うのはよせ」 というのが続き、またあるときはブラグラップ調のバッドなトースティング。
「雨が降れば畑の種は芽を伸ばす。Six Pacの詩が降れば踊りが目を覚ます」

自分が何色で、どんな形をしていたか忘れるまで、僕は虚無僧のようにしてギターを奏でました。音楽の精霊は自由自在に僕たちを操って、次から次へと音楽が産まれていきました。


「いただきます」
「藹藹」
二日後の夜、晩ご飯の始まりの合図。
録音スタジオ二階のリビングの大部屋には暖かい色の照明。
壁につけられた正方形の食卓を三方から囲むような形でマイカルとSix Pacと僕とが塩魚と煮芋の料理をつついている。壁には虎の目の絵が黒い額縁に収まっている。
このとき、僕は音楽の妖精に触れた衝撃といつもの書き癖に駆られて、もともと英語で書いていた長めの物語のアイデアの一部にSix Pacをすでに書き込んで登場させていました。日本との縁をすべて断ち切ってアフリカへ渡った東京の青年が、電気技師として援助の仕事をする傍ら、音楽を奏でて、家族を育む、少し長めのおはなし。
しばらくして自分が日本のことを話すと、
「あぁ、もともとカナダ出身じゃないことはもちろん解ってたけど、どこだろう、わからないけどフィリピンあたりかな、ってなんとなく思ってたよ」
とSix Pacは笑顔で言った。
「日本の人たち大好きだよ。あと日本の電気製品は本当にすごいよな。なんでも他の国より上手につくる。たぶん日本の言語が脳に特殊な機能をもたらせているんじゃないかな」
喜ばれることはもちろんよろこばしい。
そのあとでした。
「コンゴにも親しい日本人が一人いたな。すごいヤツだったよ。彼は電気の専門家で援助の仕事をしにきてた。でも仕事の傍ら音楽をずっとやっててさ、サウンドシステムもやってたのさ。彼が東京かどこかへちょこっと電話を入れたら、次の次の週ぐらいにはでっかいスピーカーが何箱も届くんだ。それをまた色んな自作のアンプにつないで、そこらじゅうの観客を狂ったように踊らせてた」
物語の中に書き表した観客が、太陽の下で汗を流し、目を光らせて踊っていた。

僕は、唖然となりました。
僕が書いた物語の中身が現実世界へと流出している。
架空のはずの物語が、現実世界へと流れ込んでいる。
あれ、どういうことだろう。夢を見ているのだろうか。
物語と、現実とが、僕の知らないところで勝手に結びついている。

動揺を隠そうともせずにいると、どうやらSix Pacは、僕が「コンゴの奥地に日本人がいるなんて信じられない」という反応を示していると勘違いをして話を続けました。

「ほんとうさ。美しい歌声のアフリカ人の女と結婚して、子供もいたさ。本当にかわいらしい赤ん坊だった。彼のサウンドシステムのステージで太鼓を叩いたことがあって、彼のスピーカーボックスを通るとどんなリズムも色を帯びるんだ。鋭くトレブルの効いたジンベは本気で人を狂わせる。音楽の精霊がくっついて離れなくなるのさ」
僕が前の晩に夜更かしをしてSix Pacを物語に書き込んだまさしくそのシーン。
まさにそのまんま。

「あぁ、いい物語だ。」
先に食べ終わり、煙草を巻いて火を付けたマイカルがそう言ってゆっくりと鼻から煙を吹く。 煙草の先から伸びる煙が天へ昇ります。
僕はことばを失って水を飲みました。
カタチを超えたどこかで、音楽の精霊がそのおおきな目で、うなずきました。

その音楽の精霊には名前があったのだろうか、と近頃おもいます。
Six Packにそういえば一度も訊ねたことがなかったな、と。

大阪へやってきて半年ほどが経ったいま、
勤めていた神戸の会社を辞めて世界各地を渡り歩いていた二年あまりの間にした、数々の不思議な体験をやっともう一度じっくりと反芻するようになり、Six Packの笑顔やぎゅっとあたたかい手、僕をスワヒリ語名で呼ぶ「カズ、カザディ!」という彼の声などが、ありありとよみがえってきました。
人生とは本当にどれほど摩訶不思議で神秘性にみちあふれていることでしょうか。
できることならこの事実をあらゆる瞬間にだって、思い出し続けながら生きてゆきたいものです。
音楽の精霊はこの先、はたしてどんな冒険を僕に届けてくれるのでしょう。
たのしみで、しかたがありません。

詩人でいらっしゃるみなさんの、ことばの精霊には名前がありますか?
またどこかで、みなさんのおはなしを聴かせてください。
たのしみにしております。


■江頭一晃さんって、どんな人?
ega
こんにちは、
大阪の新世界という場所に住む、翻訳や音楽をしている26歳です。
いくつか名前をもっていますが、日本語の名は江頭一晃といいます。
人生、いろいろあるもので、昨年はバートン通りと呼ばれるカナダはハミルトンという街のびっくりするぐらい荒れ果てた「ゲットー」といったような街の一角に、なんの所以かしばらく住みついていました。
ジャマイカ出身の詩人が建てた音楽や朗読詩の録音スタジオに住み込みで働いていたのですが、そうなった経緯などはまた別のおはなし。

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