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2013年2月号 小手川望さんより、おてがみが届きました

Hさんのこと

 今日はわたしが2011年6月に埼玉県から釜ヶ崎に引っ越してこどもと暮らすようになってから、知り合った人の話を書こうと思います。

 釜に暮らす人で一番話をしたのは、おそらくHさんという77歳のおじいさんだった。Hさんは、77歳の誕生日を迎えた直後に一人暮らしをしている部屋でなくなっているのを発見された。
 宅配のお弁当、毎日同じ時間に届けている配達人の人が、返事が無いので、Hさんのいつもカギをかけていないドアをあけたところ、倒れているのを発見してくれたらしい。

 Hさんは、重度のアルコール中毒で、カップ入り焼酎を一日少ない日で五本、普通のときは8本ぐらい飲んでいたらしい。夜遅くに、近所の自動販売機まで買いにいくらしいところに遭遇し、「若い娘がこんな時間まで歩いていてはいかんよ」とたしなめられたこともある。

 わたしが、「Hさんこそ、こんな時間に焼酎買いにいってはいけませんよ」といったら、「それだけは聞けんな〜」といって笑っていってしまった。

 Hさんは、よく、「えんがわ茶屋こころぎ」というココルームが運営するカフェにモーニングを食べにきてくれて、歯がわるいのでトーストを時間をかけて食べていた。その間に良く話を聞いていたのだった。いつも自分は無学で文字も読めないから、といって笑っていた。「おっちゃん、バカやから」が口癖だったが、朝には新聞を携えて老眼鏡をかけながら読んでいるところをよく見かけた。

 その後、他の人には絶対言ってはいけないよ、といいながら、その定期購読している新聞社の校閲部につとめたいたことがある、と教えてくれた。
 Hさんが、「他のひとにはいってはいかんよ」といって教えてくれた話はたくさんあって、でも、何回も何回も繰り返し聞いたその話はいつも面白かったので、「いつかインタビューして文章にまとめてもいいか」と聞いたら、「あんたが書いてくれるんやったら、何を書いてくれてもいい」といってくれた。

 結局、Hさんが生きている間に文章にまとめることはできなかったが、いくつか書いておいたメモを元に、Hさんの思い出話を書いてみたいと思う。

 さて、とある新聞社の校閲部につとめていたHさんは、一升瓶を携えて会社に行ったり、スーツを着るのがいやだったりして、問題社員だったらしい。「それでも、わからないもので、こんな俺を上司は評価してくれて、なんでも校閲部という部署につとめられるのはそんなに多くないらしいが、出世しそうになったんよ」
といっていた。それでも、仕事は優秀だったが、会社勤めが肌に合わずに辞めることになったようだ。

 その後、実家に戻って農業をやったり、市会議員に立候補しないかと言われて自分ではその気になっていたが、奥さんに大反対されてとりやめたこと、そしてそれを悔やむ気持ちがあること、その後もいくつもの職を転々とした後に、50歳を過ぎてから釜ヶ崎に来たことを教えてくれた。

 「ここにきてからちょうど25年になるなぁ。その当時は一日働いたら3万円位になった。それで、金があって働きたくない時は働かんでもいいし、金がなくなってきたらまた仕事に並んだらいいから、そういうのが性におうたんよ。だから、50過ぎてからずっと釜にいるな」

 Hさんは、毎日大量に焼酎を飲むので、それで食がとても細かった。「こころぎ」のモーニングは月水金だが、その日はその食事しかとらなかった、ということもしょっちゅうあった。Hさんは、アル中と言っても酔っぱらって暴れたり、暴言を吐いたり、ということはなかった。それで、話が面白いし、愛嬌のある性格だったので、まわりの多くの人がHさんを心配し、みんなが「酒を辞めなさい、せめてもう少しへらさないと体によくない」といっていたが、どうしても辞めることができなかった。
 「長く生きようとしてもしょうがない、早くお迎えにきてほしい」というのが口癖で、酒を辞めてアルコール中毒を治すことに意味を見いだせなかったようだ。

 それは、ひょっとしたら娘さんのことがあったのかもしれないと、わたしはかってに推測してしまう。Hさんにはわたしと同じ年の娘さんがいるらしかった。一時期は、釜で一緒に暮らしていたこともあったらしい娘さんは、最近結婚し、そして、事情があり父親であるHさんのことを配偶者に伝えてないのだ、といっていた。以前は定期的に来ていた娘さんが、滅多に会いに来れなくなってしまった、と口調は淡々と、でもさみしそうに言っていたのが印象に残っている。
 
 Hさんの葬儀は、お姉さんに連絡したところ、引き取りを拒否されて、住んでいたマンションの管理人が主体となって、マンション住民やわたしのような知り合いが参列しておこなわれた。その葬儀には、近親者として唯一娘さんが来てくれた。娘さんは葬儀の間中顔をあげられないくらい泣き崩れていた。
 わたしは、その姿を見て、娘さんがHさんのことを大好きだったのだと感じた。悲しさの中で、ちょっとだけ、ほっとした。
 
 Hさんの遺品である本を見せてもらった中に漢字検定の本があり、「娘に、お父さんは漢字を良く知っているから、漢字検定1級でもきっと受かるから受けたらいい、といわれたことがあるんよ」とうれしそうに言っていたことを思い出した。
 でも、検定料が高いので、受けるのはやめたらしい。

 あるとき、「この本、いるか?」といって、大正時代に発行された、活版印刷のとてもうつくしい明朝体でつづられた「源氏物語」をもってきてくれたことがあった。「読んだら捨てるように」と何度もいいながら、その本を手渡してくれた。結局、わたしの手元に残ったHさんの遺品として、今でも「源氏物語」3巻はこころぎの本棚に並んでいる。

■小手川望さんって、どんな人?
kotekote
1974年埼玉県生まれ。演劇制作。
2011年の東日本大震災と、東京電力の原発事故をきっかけに2011年6月から大阪市西成区の通称「釜ヶ崎」に移住。ココルームに助けられながら「支援ハウス路木」で避難生活を送る。2012年からココルームスタッフ。現在小学校3年生の母。


 
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