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2012年8月号 Dan Luffeyさんより、おてがみが届きました

雲になりたい


俺はペンシルバニア州の田舎の小さな部屋で生まれ育った。あの部屋の窓からカーペットまで差し込む光が金色で暖かくて、毎日俺を包んでくれた。きっと今のマンションから差し込む光とちっとも変わらないけど、なぜか、あの光を思い出すと、色あせたように見える。そしてちょっぴり悲しく感じる。


16年後、俺は大分県の耶馬溪町という小さな、山奥の村にいた。なぜそこにいたのか、何が俺をそこに導いたのか、は分からない。ただ、「ここに来て良かった」と思った。あの時、今までの俺が心配してた事、辛いと思った事、嫌と思った事がどんだけ小さく見えたか。三日目に、また一人で小さな部屋に座り込んで、差し込む陽差しを眺めると、なぜか涙がぽろぽろと流れた。特に悲しみや感動といった強い感情はなかったけど、ひつぁうら枕に顔をおしつけた。


何だったんだろうね。今でも、不思議な現象として思い出す。ホームシックという気持ちは一回も感じたことはないし、1年の留学が終わった時に、アメリカに帰りたくなかった。その涙の意味というのは?「ここに来て良かった」っと?日本の事を何も一つ分からなかった俺が、一体何を考えたんだろう。そもそも留学する理由は「家から離れたい、自立したい、高校のシステムが嫌いだから旅に出ようという、日本と何も一つ関係のない理由ばかりだった。なのになぜか、日本という国に始めて来て、わけも分からない間に心に何かが響いた。強いて言えば、その後に湧き出た感情は「安心」だった。


当時、日本に何を求めていたのかはもう忘れたけど、見つけたものが山ほどある。日本語がうまく喋れなかった頃には、どう頑張っても分からない事だらけだから、間違った言葉を言う時が必ず来る。ここで恥ずかしがるなら切りがないと思って、初めて「恥」という感情の意味のなさに気づいた。「恥は俺にとって、邪魔なだけ」と思って、さまざまな面で恥ずかしがらずに堂々と人生を楽しむようになった。しかし今でも、たまに「恥」という不細工な悪魔が襲って来る。人間だからね。


大分での1年の後に、俺はアメリカに帰って、ひたすら日本に戻るように頑張った。そして3年後、戻れた。そして「日本に戻る」という大きな目標を果した俺は、「次に何をすればいいだろう?」という質問に辿りついて、途方に暮れた。日本に来て、俺は一体何がしたかった?月日が過ぎた。俺はひたすら彷徨った。ひたすら頑張って、失敗を繰り返せば、答えはいつか頭に浮かぶだろう、と思った。でもそれこそが答えなんだよね。迷うこと。ひたすら次へ、新しい地平へ進もうとする意志を灯す事。


幾度の失敗を重ね、俺はようやく最近、それに気づいた。俺は留まらない人間だ。違う言い方をすると、リラックスできない。俺は日本語という言語が大好きで、今でも毎日勉強している。でもいくら分かるようになっても、落ち着かないんだよね。先を見ちゃう。日本語は先が長いから、お似合いかもしれない。16歳の頃、日本という国、日本人という人々、そして日本語という言語に感動した俺は、一体どこまで行けるか?まさか、ここで男のロマンが出てくるとは...


人間はすぐ「これは駄目、あれは駄目」と言うよね。俺も、よく言ったな。今でもたまに思わず言っちゃう。世界の可能性は無限なのに。視野を広げる、心を開くことによって、己の人生はきっとよりポジティブになるはず。これからはどんなに大きな事でも、広い心で受け入れるように頑張る。しかし、それを言うと、なんでも「駄目」という人を受け入れる事も含まれるよね?ややこしいな。


どっちにしろ、俺は次の目標をやっと見つけた。大きな雲になりたい。好きなペースで空を巡って、止められることもなく、全てを飲み込みながら進んで行きたい。こんな気持ちになるのはきっと日本にいるからだと俺は信じる。そして、こういう生き方が好きだから、この地に大変感謝している。これからも、日本を彷徨いながら、人々に笑顔の慈雨を届けられたら幸いである。

■Dan Luffeyさんって、どんな人?

dandan

Dan Luffey

25歳、鶴橋在住。2005年から様々な分野で翻訳・執筆活動しており、その他に、俳優、モデル、ナレーター、と作家活動中。一番好きな邦画:「ハウス」(77年)
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