2016年6月号 若林朋子さんより、おてがみが届きました
おもしろく、じわじわとこわくなる、その繰り返し
蘭の会のみなさまへ
こんにちは。若林朋子と申します。
今日は、「いつも本当におもしろい。でも、じわじわと恐ろしくなって、隠れたくなる」仕事のことについてお便りします。
私は、15年近く働いた職場を2年前に辞め、今は個人で仕事をしています。プロジェクト・コーディネーターと名乗ってみていますが、ご相談、ご依頼いただいた件を、先方が望んでいる形にしていく調整役のような働きができたらと考えています。具体的には、編集や執筆、調査、研修会の企画、ウェブサイトの監修、NPOの支援など、範囲や領域を特に決めず、さまざまに働いています。
独立して向き合うようになった仕事のひとつに、冊子等の編集があります。社会貢献団体の機関誌や企業の広報誌の編集を担当しているのですが、全体の編集だけでなく、自分で取材先に赴きインタビューをして、記事に書き起こすこともしています。社会貢献の機関誌では、あらゆる分野の第一線で活躍している方々や企業担当者、NPOの社会的な活動等を記事にします。毎号の特集テーマは千差万別で、ほとんどがそれまでまったく知らなかった世界のこと。取材前には、インタビュー相手の著書を読んだり、関連分野の書籍を図書館で大量に借りてきたり、ネットで調べた情報でにわか知識を詰め込んだり、かなり切羽詰まった状況で準備を重ねます。自分が過去に受けた取材を思い出しては、「新聞記者さんはいつもこんな思いをしていたのか」と、いまさらながらお疲れ様でしたという気持ちになったりもします。
人生も折り返しの齢を過ぎてなお、定期的に「未知の世界を知る」機会を与えられていることには、本当に感謝するばかりです。この1年間を振り返っても、実にいろいろな「未知」に出会いました。お寺の社会活動や経営改革に取り組む若手僧侶のネットワーク、日本に暮らす外国にルーツを持つ子どもたちの言語習得や教育の問題、「銃を楽器にかえて」をスローガンに米国の貧困層の子どもたちに中古楽器を寄付し続け、米国の社会運動につなげた日本人ジャズ演奏家、元受刑者の社会復帰を支援する民間企業・・・などなど。インタビューに応じてくださる方は、皆さん例外なくご多忙なのですが、真摯に話を聞かせてくださり、ありがたいことです。取材後にテレビのニュースやウェブサイトなどを見ていると、それまで気にも留めていなかったような話題が、「あ、これはあの件だ!」などと、視界に、耳に飛び込んでくるようにもなりました。
しかしながら、当初は無邪気にも120%「知る喜び」だった、このインタビュー&記事執筆の仕事は、その後だんだんと、「どうしよう」という恐怖にも変わっていきました。インタビューの難しさ、文字にすることの困難が身に染みてわかってきたのです。初対面の人とスムーズに会話のキャッチボールをするのが得意かと言われれば、苦手です。ましてや、限られた短い時間のなかで“いい話”を聞きだす極めて上級のスキルはまだまだ身についていません。自分の質問がどうも相手に届いていないと見受けられる時の、いい会話ができていないという焦りと冷汗との闘い。インタビュー後も、まだ闘いは続きます。締切りを睨みながら、読者に内容が伝わるように、さらには印象に留めてもらえるように、限られた字数のなかで文字を紡いでいくのは本当に苦しい作業です。
そんな苦しみのさなか、ある時、叔母から1通の封書が届きました。「以前(私が)○○さんをインタビューしたという話を思い出し、これはあなたにぜひ読ませてあげたいと思いました」という手紙とともに、小説家・竹西寛子さんの『「あはれ」から「もののあはれ」へ』という本(岩波書店)のコピーが同封されていました。 「「聞く」から「知らせる」へ―聞書きの良書」というタイトルの文章。竹西さんが文章を書く仕事始めて間もない頃、大先輩の9人の女性にインタビューする機会を女性誌に与えられ、緊張したことと、精一杯つとめたつもりでも反省多々だったという経験が綴られていました。今の自分のことが重なって、冷汗しながら読んでいると、次の瞬間、もっと心にドスンと響く文章に行きあたりました。
「聞書き」は、聞き手が対象についての既知をもとに、既知の領域を確かめながら未知の領域に踏み込み、そこで引き出した対象の言葉の現実を読者に知らせる作業だとすれば、未知への飛翔は既知の量と質次第。そこで必要とされるのは聞き手の直観力と想像力であろう。それらのはたらきによって、弱く、強く引き出されてくる対象の新たな言葉の現実を知らされる読者としては、聞かれる人に劣らず聞く人自身の人間観や世界観、芸術観、直接には言語観をおのずから重ねて知らされることになる。 (『「あはれ」から「もののあはれ」へ』)
これはまったくその通りで、インタビューや執筆の際に毎回流している冷汗の原因は、無意識のうちにこのことが身にしみていたからだと実感したのでした。インタビューや執筆には、自分自身の人間性から何からすべてが如実に、隠そうと思っても出てしまうということに薄々気づき始めていたんですね。これは本当に恐ろしいことです。直観力も想像力も、人間観や世界観、芸術観、言語観も、鍛えようと思ってすぐに鍛えられるものではありません。ひとことで気持ちを表すならば、心から「やばい」と思ったことでした。
でも、少し救われたのは、続く文章でした。
「聞く」という行為から、「知らせる」という行為にわたる人間の経験、すなわち既知のととのえから未知の飛翔にわたって示される人間の機能の行使に、私は人間の魅力を思うようになった。
既知に満足すれば未知への飛翔は不要かもしれないが、この要、不要は、人間の存在をいかに広く、いかに層厚く認識するかしないかの違いでもあろう。仕上がった「聞書き」の弾みの違いとなってそれは現れる。 (同)
そうか、そうだ、社会のさまざまな場面で、たとえ人知れずであってもすばらしい活動をしている方々のこと、なかなか知られにくい社会課題に取り組んでいる団体のことなどを、記事を通じて少しでも多くの人に「知らせたい」。この気持ちが、今現在自分がものを書くことの最大の動機であり、ミッションなのだと気がつくことができて、ちょっぴり励まされ、ホッとしたのでした。
さて、竹西さんは続けて曰く、「だから「聞書き」はおもしろい。だから「聞書き」は恐ろしい」―――いやいやいや、ほんとうにその通り、その通りなんです。おもしろく、じわじわとこわくなる、その繰り返しで、原稿を書き続ける日々が今も続いています。
■若林朋子(わかばやし・ともこ)さんって、どんな人?
プロジェクト・コーディネーター/プランナー。デザイン会社勤務を経て学生に戻り、文化政策とアートマネジメントを勉強後、1999年〜2013年公益社団法人企業メセナ協議会に勤務。企業が行う文化支援活動の推進と環境整備に従事。
現在はさまざまな領域で、編集、執筆、調査研究、NPO支援、各種コーディネート等に取り組む。未知との遭遇に刺激されて働き、ベランダで植物や野菜が育つのを眺める日常が今のお気に入り。
蘭の会のみなさまへ
こんにちは。若林朋子と申します。
今日は、「いつも本当におもしろい。でも、じわじわと恐ろしくなって、隠れたくなる」仕事のことについてお便りします。
私は、15年近く働いた職場を2年前に辞め、今は個人で仕事をしています。プロジェクト・コーディネーターと名乗ってみていますが、ご相談、ご依頼いただいた件を、先方が望んでいる形にしていく調整役のような働きができたらと考えています。具体的には、編集や執筆、調査、研修会の企画、ウェブサイトの監修、NPOの支援など、範囲や領域を特に決めず、さまざまに働いています。
独立して向き合うようになった仕事のひとつに、冊子等の編集があります。社会貢献団体の機関誌や企業の広報誌の編集を担当しているのですが、全体の編集だけでなく、自分で取材先に赴きインタビューをして、記事に書き起こすこともしています。社会貢献の機関誌では、あらゆる分野の第一線で活躍している方々や企業担当者、NPOの社会的な活動等を記事にします。毎号の特集テーマは千差万別で、ほとんどがそれまでまったく知らなかった世界のこと。取材前には、インタビュー相手の著書を読んだり、関連分野の書籍を図書館で大量に借りてきたり、ネットで調べた情報でにわか知識を詰め込んだり、かなり切羽詰まった状況で準備を重ねます。自分が過去に受けた取材を思い出しては、「新聞記者さんはいつもこんな思いをしていたのか」と、いまさらながらお疲れ様でしたという気持ちになったりもします。
人生も折り返しの齢を過ぎてなお、定期的に「未知の世界を知る」機会を与えられていることには、本当に感謝するばかりです。この1年間を振り返っても、実にいろいろな「未知」に出会いました。お寺の社会活動や経営改革に取り組む若手僧侶のネットワーク、日本に暮らす外国にルーツを持つ子どもたちの言語習得や教育の問題、「銃を楽器にかえて」をスローガンに米国の貧困層の子どもたちに中古楽器を寄付し続け、米国の社会運動につなげた日本人ジャズ演奏家、元受刑者の社会復帰を支援する民間企業・・・などなど。インタビューに応じてくださる方は、皆さん例外なくご多忙なのですが、真摯に話を聞かせてくださり、ありがたいことです。取材後にテレビのニュースやウェブサイトなどを見ていると、それまで気にも留めていなかったような話題が、「あ、これはあの件だ!」などと、視界に、耳に飛び込んでくるようにもなりました。
しかしながら、当初は無邪気にも120%「知る喜び」だった、このインタビュー&記事執筆の仕事は、その後だんだんと、「どうしよう」という恐怖にも変わっていきました。インタビューの難しさ、文字にすることの困難が身に染みてわかってきたのです。初対面の人とスムーズに会話のキャッチボールをするのが得意かと言われれば、苦手です。ましてや、限られた短い時間のなかで“いい話”を聞きだす極めて上級のスキルはまだまだ身についていません。自分の質問がどうも相手に届いていないと見受けられる時の、いい会話ができていないという焦りと冷汗との闘い。インタビュー後も、まだ闘いは続きます。締切りを睨みながら、読者に内容が伝わるように、さらには印象に留めてもらえるように、限られた字数のなかで文字を紡いでいくのは本当に苦しい作業です。
そんな苦しみのさなか、ある時、叔母から1通の封書が届きました。「以前(私が)○○さんをインタビューしたという話を思い出し、これはあなたにぜひ読ませてあげたいと思いました」という手紙とともに、小説家・竹西寛子さんの『「あはれ」から「もののあはれ」へ』という本(岩波書店)のコピーが同封されていました。 「「聞く」から「知らせる」へ―聞書きの良書」というタイトルの文章。竹西さんが文章を書く仕事始めて間もない頃、大先輩の9人の女性にインタビューする機会を女性誌に与えられ、緊張したことと、精一杯つとめたつもりでも反省多々だったという経験が綴られていました。今の自分のことが重なって、冷汗しながら読んでいると、次の瞬間、もっと心にドスンと響く文章に行きあたりました。
「聞書き」は、聞き手が対象についての既知をもとに、既知の領域を確かめながら未知の領域に踏み込み、そこで引き出した対象の言葉の現実を読者に知らせる作業だとすれば、未知への飛翔は既知の量と質次第。そこで必要とされるのは聞き手の直観力と想像力であろう。それらのはたらきによって、弱く、強く引き出されてくる対象の新たな言葉の現実を知らされる読者としては、聞かれる人に劣らず聞く人自身の人間観や世界観、芸術観、直接には言語観をおのずから重ねて知らされることになる。 (『「あはれ」から「もののあはれ」へ』)
これはまったくその通りで、インタビューや執筆の際に毎回流している冷汗の原因は、無意識のうちにこのことが身にしみていたからだと実感したのでした。インタビューや執筆には、自分自身の人間性から何からすべてが如実に、隠そうと思っても出てしまうということに薄々気づき始めていたんですね。これは本当に恐ろしいことです。直観力も想像力も、人間観や世界観、芸術観、言語観も、鍛えようと思ってすぐに鍛えられるものではありません。ひとことで気持ちを表すならば、心から「やばい」と思ったことでした。
でも、少し救われたのは、続く文章でした。
「聞く」という行為から、「知らせる」という行為にわたる人間の経験、すなわち既知のととのえから未知の飛翔にわたって示される人間の機能の行使に、私は人間の魅力を思うようになった。
既知に満足すれば未知への飛翔は不要かもしれないが、この要、不要は、人間の存在をいかに広く、いかに層厚く認識するかしないかの違いでもあろう。仕上がった「聞書き」の弾みの違いとなってそれは現れる。 (同)
そうか、そうだ、社会のさまざまな場面で、たとえ人知れずであってもすばらしい活動をしている方々のこと、なかなか知られにくい社会課題に取り組んでいる団体のことなどを、記事を通じて少しでも多くの人に「知らせたい」。この気持ちが、今現在自分がものを書くことの最大の動機であり、ミッションなのだと気がつくことができて、ちょっぴり励まされ、ホッとしたのでした。
さて、竹西さんは続けて曰く、「だから「聞書き」はおもしろい。だから「聞書き」は恐ろしい」―――いやいやいや、ほんとうにその通り、その通りなんです。おもしろく、じわじわとこわくなる、その繰り返しで、原稿を書き続ける日々が今も続いています。
■若林朋子(わかばやし・ともこ)さんって、どんな人?
プロジェクト・コーディネーター/プランナー。デザイン会社勤務を経て学生に戻り、文化政策とアートマネジメントを勉強後、1999年〜2013年公益社団法人企業メセナ協議会に勤務。企業が行う文化支援活動の推進と環境整備に従事。
現在はさまざまな領域で、編集、執筆、調査研究、NPO支援、各種コーディネート等に取り組む。未知との遭遇に刺激されて働き、ベランダで植物や野菜が育つのを眺める日常が今のお気に入り。
プロジェクト・コーディネーター | permalink | - | -