2015年7月号 田中保帆(たなかやすほ)さんより、おてがみが届きました
蘭の会のみなさんこんにちは。田中保帆といいます。肩書きは保育士です。
いま、私は大阪の釜ヶ崎という日雇い労働者の街の片隅にある、カフェのふりをしているアートNPOの事務所でこれを書いています。私はここで、お客さんとお話をしたり、コーヒーを淹れたり、チラシのデザインをしたり、ご飯を作ったり、雑用をしたりしています。何を書こうか迷ったのですが、私が出会ったおじさんの話を、ひとつ。
新しい年が明けたころ、1人でこのカフェの片付けをしていたら、知らないおじさんが1人でふらりと入ってきました。「ごめんなさい、今日はもう閉めちゃったんです。」と、帰ってもらおうとしたのですが、「お金はあとで持ってくるから。何でもええから食べさせてくれ。」と頼まれて、とりあえず話をきくことにしました。そのおじさんによると、きのう刑務所を出て手持ちのお金も無く、ご飯も食べていないとのこと。どうすればいいのか分からなくて、とりあえず残り物のご飯を温めながら、先輩スタッフに電話をして対応してくれる機関を教えてもらいました。
ご飯を出したら、おじさんは何度も「おいしい、おいしい」と言いながら食べて、「これで今日の命をつなげた。」と何度も繰り返しお礼を言いました。手にしわしわになった求人情報誌の端切れを持っていて、刑務所で紹介された仕事をしにこれから名古屋へ行くのだそうです。「そこに行くお金もないんやけどな、まぁなんとかするわ。」と言って出て行こうとしたのを慌てて引き止めて、「無事についたら、連絡ください。」と年賀状の余りに私の名前を添えて渡しました。
おじさんがドアのところで立ち止まって振り返って、「この街はオレより変なやついっぱいおんのか?」と聞くので、「変なやつばっかりやわ。全然、おっちゃん大丈夫やで。」と答えると、「そうか、大丈夫か」と笑って店を出て行きました。私は、笑えなかった。
対応としては間違っていなかったとは思うのですが、それから随分経った今も、たまにこのおじさんのことを思い出しては、すこし胸が痛みます。うまく対応ができてしまったことにも、すこし違和感が残っています。おじさんからの連絡はまだありません。名古屋にいけなかったのかもしれないし、どこかで倒れているのかもしれないし、刑務所にもどってしまったのかもしれない。でも、この人の人生に私は何の責任ももてないし、私の善意が正しかったとも言いきれなくて。私が騙されただけならいいのになぁとぼんやり考えています。
私はきっとあしたも、なんの責任ももたずに、カフェのカウンター越しにあした会えるのかも分からない人たちと言葉を交わしています。コーヒーを淹れて、雑談をして、それからパソコンに向かって、「今日はあの人が来る言うてたから、魚焼いとこかなぁ」なんて考えながら、ご飯をつくっていると思います。
いろんなことが毎日起こるけれど、つくったご飯を「おいしい」ってたくさん食べてくれる人がいるのはただ嬉しくて、少なくともそれだけは、忘れないようにしていたいと思っています。
■田中保帆 たなかやすほさんって、どんな人?
1988年大阪生まれ。保育士。京都造形芸術大学こども芸術学科1期生。浜松のNPO法人クリエイティブサポートレッツで障害福祉に3年ほど関わった後、北海道あたりを放浪。フラフラしていたら釜ヶ崎のNPO法人ココルームに拾われて臨時スタッフに。福祉とアートの微妙な界隈をウロウロしています。お酒と料理と旅がすき。
いま、私は大阪の釜ヶ崎という日雇い労働者の街の片隅にある、カフェのふりをしているアートNPOの事務所でこれを書いています。私はここで、お客さんとお話をしたり、コーヒーを淹れたり、チラシのデザインをしたり、ご飯を作ったり、雑用をしたりしています。何を書こうか迷ったのですが、私が出会ったおじさんの話を、ひとつ。
新しい年が明けたころ、1人でこのカフェの片付けをしていたら、知らないおじさんが1人でふらりと入ってきました。「ごめんなさい、今日はもう閉めちゃったんです。」と、帰ってもらおうとしたのですが、「お金はあとで持ってくるから。何でもええから食べさせてくれ。」と頼まれて、とりあえず話をきくことにしました。そのおじさんによると、きのう刑務所を出て手持ちのお金も無く、ご飯も食べていないとのこと。どうすればいいのか分からなくて、とりあえず残り物のご飯を温めながら、先輩スタッフに電話をして対応してくれる機関を教えてもらいました。
ご飯を出したら、おじさんは何度も「おいしい、おいしい」と言いながら食べて、「これで今日の命をつなげた。」と何度も繰り返しお礼を言いました。手にしわしわになった求人情報誌の端切れを持っていて、刑務所で紹介された仕事をしにこれから名古屋へ行くのだそうです。「そこに行くお金もないんやけどな、まぁなんとかするわ。」と言って出て行こうとしたのを慌てて引き止めて、「無事についたら、連絡ください。」と年賀状の余りに私の名前を添えて渡しました。
おじさんがドアのところで立ち止まって振り返って、「この街はオレより変なやついっぱいおんのか?」と聞くので、「変なやつばっかりやわ。全然、おっちゃん大丈夫やで。」と答えると、「そうか、大丈夫か」と笑って店を出て行きました。私は、笑えなかった。
対応としては間違っていなかったとは思うのですが、それから随分経った今も、たまにこのおじさんのことを思い出しては、すこし胸が痛みます。うまく対応ができてしまったことにも、すこし違和感が残っています。おじさんからの連絡はまだありません。名古屋にいけなかったのかもしれないし、どこかで倒れているのかもしれないし、刑務所にもどってしまったのかもしれない。でも、この人の人生に私は何の責任ももてないし、私の善意が正しかったとも言いきれなくて。私が騙されただけならいいのになぁとぼんやり考えています。
私はきっとあしたも、なんの責任ももたずに、カフェのカウンター越しにあした会えるのかも分からない人たちと言葉を交わしています。コーヒーを淹れて、雑談をして、それからパソコンに向かって、「今日はあの人が来る言うてたから、魚焼いとこかなぁ」なんて考えながら、ご飯をつくっていると思います。
いろんなことが毎日起こるけれど、つくったご飯を「おいしい」ってたくさん食べてくれる人がいるのはただ嬉しくて、少なくともそれだけは、忘れないようにしていたいと思っています。
■田中保帆 たなかやすほさんって、どんな人?
1988年大阪生まれ。保育士。京都造形芸術大学こども芸術学科1期生。浜松のNPO法人クリエイティブサポートレッツで障害福祉に3年ほど関わった後、北海道あたりを放浪。フラフラしていたら釜ヶ崎のNPO法人ココルームに拾われて臨時スタッフに。福祉とアートの微妙な界隈をウロウロしています。お酒と料理と旅がすき。