2015年11月号 垣井しょうゆさんより、おてがみが届きました
「蘭の会」のみなさま、初めまして! 垣井しょうゆと申します。
まずは、あたしのうたを聴いてください。
♫ 手紙 ♫
遠い所に住んでいる
あなたへ 手紙を書こう
届かなくてもかまわないから
手紙を書こう
遠い所に住んでいる
あなたへ 手紙を書こう
たとえ 届かなくてもいいから
手紙を書こう
筆不精なもので、本当は手紙は苦手です。だけどこの頃、手紙っていいものだなあと思うんですよね。 年齢のせいかしら・・・・w
今年56才になりました。もう夫と二人暮らし、いつの間にか寂しさも通り越し、好きな音楽のことなど考えながら、毎日なんとかやっております。
息子が一人、孫が二人居りますが、近くにはいないので、年中行事ごとに手紙を添えて駄菓子などを送っています。 孫はまだ4歳と1歳半なので、大したことは書いていませんが、おばあちゃんから手紙が来る、ということが大事だと思っているので。
子ども時分、田舎から届く荷物の中に、いつも手紙が入っていました。その頃は、別段うれしいということもなかったのですが、祖母の手紙は、いつも美しい字で書かれていました。その手紙に込められた祖母の気持ちを、今は感じることができます。あたしのことを、かわいく思っていてくれたことが、よくわかります。
あたしにとって、二人の孫は宝物です。だからあたしも、祖母がしてくれたように、この気持ちを伝え続けていきたいと思っています。今はまだ届かなくてもかまわないから。
「手紙」といううたは、今年の2月に口から出まかせで作りました。1番も2番もほぼ同じw、詩としてはどうかな?という感じですが、どうしてもこううたいたくなるので、このままうたっています。歌詞はうたう為のことばで、乱暴な云い方をするなら、意味なんて無くてもいいと・・・・・ ところが、このうたは、だんだんいろんな意味を持ち始めました。
3月に初めて人前でうたったとき、聴いてくださった方が「いいうたですね。主人のことを想って、涙が出ました。」と、声をかけてくださったのです。その方は、昨年ご主人を、病気で亡くされたのでした。
あたしにとっては、意外な反応でした。なにしろ、口からの出まかせですから。でも、そう云われれば、このうたをうたうとき、あたしにもひとつの想いがあることに気付きました。いつも同じ景色を見ているようなのです。他のうたでもそうです。うたごとに景色があるのですが、それはごくごく個人的な、ないしょの話ということで・・・・・
それから、「あなた」ということばをうたうとき、特定の誰かだけではなく、自分意外のすべての人をも含むことに、今更ながら気付きました。”You” ってすごいことばですね。
ならば、”I”はどうでせう? あたしは本当に一人きりなの? ”You”が複数でもあるならば、”I”もまた複数であり得るのでは?
30年程前のことですが、 子どもを産んだとき、友人に聞かれたことがあります。「しょうゆちゃんの愛情は、ダンナさんと赤ちゃんと半分ずつになったの? それとも2倍になったの?」と。その時は、答えられませんでした。 でも今なら、どちらも違うと答えます。あたしの中には、大切な人の数だけのあたしが居るから、半分でも2倍でもない、1対1だと。
「遠い所」ということばも、いろんな意味を持っているのですね。物理的な距離だけではなく、人との心の距離だったり、時空を超える距離だったり・・・・・「まだ見ぬあなた」だったりね。
この頃思うのですが、あたしのうたは「遠い所に住んでいる あなたへ」の手紙なのかな?と。
その手紙は、元はあたしの個人的な気持ちから書かれてはいるけれど、うたうことは、つまり一般公開している訳で、誰もがシェアして、「あたし」や「あなた」に自分や誰かを当て嵌めて、共有できたらいいね!・・・・・うたは聴く人のものであり、口ずさむ人のものなのだから。
な〜んて、ちょっと調子に乗って、しゃべりすぎました。この辺でおしまいにします。長々お付き合いくださって、ありがとうございました。
この「手紙」をお送りすることで、どこかでお目にかかれたら、うれしいです。
■垣井しょうゆさんって、どんな人?
45才、人生の折り返しに新しい楽器を始めようとしていた折、テルミン、のこぎりと出会う。のこぎりの演奏で訪れた釜ヶ崎・三角公園での「のど自慢大会」に感銘を受け、18才で辞めたうたを50才から再開。51才〜釜凹バンド、52才〜かま哲ちゃん、54才〜猫山慎吾とこいしょうゆ(3バンドで活動中)。 56才、NYのこぎりフェスへ出演。(祝!初海外w)
まずは、あたしのうたを聴いてください。
♫ 手紙 ♫
遠い所に住んでいる
あなたへ 手紙を書こう
届かなくてもかまわないから
手紙を書こう
遠い所に住んでいる
あなたへ 手紙を書こう
たとえ 届かなくてもいいから
手紙を書こう
筆不精なもので、本当は手紙は苦手です。だけどこの頃、手紙っていいものだなあと思うんですよね。 年齢のせいかしら・・・・w
今年56才になりました。もう夫と二人暮らし、いつの間にか寂しさも通り越し、好きな音楽のことなど考えながら、毎日なんとかやっております。
息子が一人、孫が二人居りますが、近くにはいないので、年中行事ごとに手紙を添えて駄菓子などを送っています。 孫はまだ4歳と1歳半なので、大したことは書いていませんが、おばあちゃんから手紙が来る、ということが大事だと思っているので。
子ども時分、田舎から届く荷物の中に、いつも手紙が入っていました。その頃は、別段うれしいということもなかったのですが、祖母の手紙は、いつも美しい字で書かれていました。その手紙に込められた祖母の気持ちを、今は感じることができます。あたしのことを、かわいく思っていてくれたことが、よくわかります。
あたしにとって、二人の孫は宝物です。だからあたしも、祖母がしてくれたように、この気持ちを伝え続けていきたいと思っています。今はまだ届かなくてもかまわないから。
「手紙」といううたは、今年の2月に口から出まかせで作りました。1番も2番もほぼ同じw、詩としてはどうかな?という感じですが、どうしてもこううたいたくなるので、このままうたっています。歌詞はうたう為のことばで、乱暴な云い方をするなら、意味なんて無くてもいいと・・・・・ ところが、このうたは、だんだんいろんな意味を持ち始めました。
3月に初めて人前でうたったとき、聴いてくださった方が「いいうたですね。主人のことを想って、涙が出ました。」と、声をかけてくださったのです。その方は、昨年ご主人を、病気で亡くされたのでした。
あたしにとっては、意外な反応でした。なにしろ、口からの出まかせですから。でも、そう云われれば、このうたをうたうとき、あたしにもひとつの想いがあることに気付きました。いつも同じ景色を見ているようなのです。他のうたでもそうです。うたごとに景色があるのですが、それはごくごく個人的な、ないしょの話ということで・・・・・
それから、「あなた」ということばをうたうとき、特定の誰かだけではなく、自分意外のすべての人をも含むことに、今更ながら気付きました。”You” ってすごいことばですね。
ならば、”I”はどうでせう? あたしは本当に一人きりなの? ”You”が複数でもあるならば、”I”もまた複数であり得るのでは?
30年程前のことですが、 子どもを産んだとき、友人に聞かれたことがあります。「しょうゆちゃんの愛情は、ダンナさんと赤ちゃんと半分ずつになったの? それとも2倍になったの?」と。その時は、答えられませんでした。 でも今なら、どちらも違うと答えます。あたしの中には、大切な人の数だけのあたしが居るから、半分でも2倍でもない、1対1だと。
「遠い所」ということばも、いろんな意味を持っているのですね。物理的な距離だけではなく、人との心の距離だったり、時空を超える距離だったり・・・・・「まだ見ぬあなた」だったりね。
この頃思うのですが、あたしのうたは「遠い所に住んでいる あなたへ」の手紙なのかな?と。
その手紙は、元はあたしの個人的な気持ちから書かれてはいるけれど、うたうことは、つまり一般公開している訳で、誰もがシェアして、「あたし」や「あなた」に自分や誰かを当て嵌めて、共有できたらいいね!・・・・・うたは聴く人のものであり、口ずさむ人のものなのだから。
な〜んて、ちょっと調子に乗って、しゃべりすぎました。この辺でおしまいにします。長々お付き合いくださって、ありがとうございました。
この「手紙」をお送りすることで、どこかでお目にかかれたら、うれしいです。
■垣井しょうゆさんって、どんな人?
45才、人生の折り返しに新しい楽器を始めようとしていた折、テルミン、のこぎりと出会う。のこぎりの演奏で訪れた釜ヶ崎・三角公園での「のど自慢大会」に感銘を受け、18才で辞めたうたを50才から再開。51才〜釜凹バンド、52才〜かま哲ちゃん、54才〜猫山慎吾とこいしょうゆ(3バンドで活動中)。 56才、NYのこぎりフェスへ出演。(祝!初海外w)