2012年7月号 二木康介さんより、おてがみが届きました
はじめまして。二木康介と申します。
早速ですが本題に入ります。
お金がありません。
現在、私は基金訓練と呼ばれる枠で職業訓練をしております。毎月皆様の血税から少しばかり給付金をいただきながら、社会に出るための技能を身につけております。私の場合ざっくり申し上げると、コンピュータを使ったデザインのお勉強をさせていただいております。
学生時代、生きるための武器を特に身に付けなかった私にとって、この基金訓練なる制度は大変に有り難いものです。お金をいただきながら、なおかつ短期集中で一定の技術を身に付けられる。こんな私を支えてくれている国民の皆様にはただただ痛み入るばかりです。
さて、ここは北海道札幌市。大寒を過ぎてもまだまだ冬将軍様は当地でのんびりしておられます。今から8ヶ月前までアフリカにいた私にとっては、いくら故郷と言えども鼻水を凍らしては融かし、融かしては凍らす、そんな毎日をただひたすら耐えています。そんな折、事件が起こりました。
(検閲により中略)
そうこうしているうちに、いつの間にか手元には3000円しか残されておりません。学校まで往復960円かかる私にとって、3日通学するともう学校に通えません。しかし次回の給付金支給日まであと2週間以上あります。かといって学校を月に4日以上休むと給付金(現在唯一の収入源)がもらえないばかりか、退学にもなりかねません。
さて困りました。
話は飛びますが、私がアフリカにいた頃、現地の人々は私を見るなり「腹減ったからお金をくれ」と言ってきました。はじめのうちは「こんな事にいちいち付き合っていたら大変だ!金なんぞ一銭たりともくれてやるものか!」と鼻息を荒くしていた私ですが、ある日こんなことがありました。
その日私はいつものように徒歩で職場に行きました。そしてお昼休憩の時間。私は近くの食堂に入り、大好きなスパゲティを注文しました。煙草に火をつけ、午後からの業務について考えていると、ふと、いつもより身体が軽いことに気がついたのです。
まさか!と思い、すぐさま首から下げていたポシェットを確認。そうです。家に財布を忘れてきていたのです。お金がない。一旦帰るのも大変。なによりすでに調理が始まっています。
どうしようかと顔を曇らせる私。すると突然後ろから声がかかりました。振り向くと、いつも「腹減った」と私にお金を要求する漁師の男が立っていました。そして私に何か渡そうとしています。見るとその手には、スパゲティーの代金1000フランセーファー(日本円で約200円)が握られています。
一瞬何が起こったのわからずフリーズする私。するとその男が口を開きました。
男「金ないんだろ?」
私「・・・」
男「これ使えよ」
私「え・・・いいの?」
男「当たり前だろ。金がないときは、ある人が払えばいい。それがアフリカだよ」
私「・・・ありがとう」
涙こそ流しませんでしたが、思わずその男を抱きしめたくなるほど心が揺さぶられました。自分は今まで何を勘違いしていたのだ、と自責の念にかられました。
経済大国日本で育った私は、お金は自分のために使うもの、今使わなくてもいずれ使うときのために貯めておくもの、という考え方が刷り込まれていました。もちろんそれは決して恥ずべきことではなく、日本で暮らしていく上ではとても大切な考え方であります。
しかし、私がアフリカで出会った人の多くは、今使わない金があるなら、今金が必要な人に使えばよい。自分がお金に困ったときは、困ってない人からもらえばよい、と考えているようでした。そのための家族、仲間、隣人、共同体なのです。
この一件以来、私のアフリカでの生活は一変しました。
手元にお金が余っているときは、(もちろん限度はありますが)誰かに飯をおごり、持ち合わせがないときは、遠慮なく近くにいる人におごってもらうようになりました。するとどうでしょう。みるみるうちに知り合いが増えていき、街のどこを歩いていても誰かに呼び止められ談笑をし、欲しいものがあるときは、頼んでもいないのに誰かが見つけてきてくれ、寂しいときはいつでも家まで遊びに来てくれました。
そして最も重要なことは、飯をおごったからと言って、そこに上下関係が生まれないということです。いつもお世話になっているから言いたいことが言えなくなったり、誘いが断りづらくなったりといったことがほとんどないのです。恩着せがましくない。要するに、お金は単なる道具であって、ある意味でそこに心を込めてはいないということです。
彼らはとことん今を生きていました。過去や未来に執着せず、「まさに今、自分が楽しい」ということに重きを置いていました。だからお金がなくても幸せなんです。とても賢い生き方だと思いました。
さて話は戻ります。
私はお金がありません。
■二木康介さんってどんな人?
二木康介/NIKI KOSUKE
グラフィックデザイナー・イベントオーガナイザー・DJ・無職。 小樽生まれ。中学、高校在籍中にKMC、The Big Guns等のバンドでドラムを歴任、解散に追い込む。東京藝術大学進学後すぐ、The Tompson For お茶 Bandを結成、2005年5月『wombee』でデビュー、様々なアーティストとのコラボレーションを実現させつつ挫折。2007年、誰の反対も押しきらず大学を休学、フリーター生活を経てバックパッカーとして単独世界一周に成功。その反動ですこぶる停滞。大学卒業後、中部アフリカのガボン共和国にて活動。現在は帰国して社会復帰を目論む。趣味は、さほどできないフランス語を「できる」と豪語すること。
これまで手がけた主な作品に、『schala』(2005)、『15の打楽器による何かコンセプチュアルなもの』(2007)、『音プロフ』(2008)、『お花見ショッキング〜史上最大の大忘年度会〜』(2009)などがある。