2009年12月号 森 敬典さんより、おてがみが届きました
蘭の会のみなさん
はじめまして こんにちは
森敬典(もりけいすけ)と申します。
よろしくお願いします。
まずは、自己紹介をさせていただきます。
1964年、昭和39年の6月9日(火)午前5時50分に京都府船井郡園部町というところで生まれました。体重3600グラムの健康優良児だったそうです。新幹線開通と東京五輪の年に生まれ、日本の高度成長とともにすくすく育ったぼくは、オイルショックをものともせず、順調に右肩上がりの成長を続け、バブルの真っただ中で社会に出て、意気揚揚と生きてきました。職業は、当時流行りだったカタカナ職業のひとつであった「コピーライター」です。「コトバひとつで、買う気もない人にモノを売りつける能力を持った人」です。幸か不幸か、ぼくには、あまり人にモノを売りつける能力がなかったようで、有名なコピーライターになることはありませんでした。初対面の人によく「どんなコピーを書いていらっしゃるのですか」と尋ねられて苦笑してしまうことがあります。だって、日本国民が口ずさむようなキャッチフレーズなんてこさえたことはありませんもの。せいぜい、今朝折り込まれた新聞にはさまれていたチラシの「大安売り!」のタイトルくらいなものですよ、ひと目につくのは。
コピーライターになって9年ほど経った1997年に独立しました。
いわゆるフリーのコピーライターです。有名ではありませんでしたが、食うには困りませんでした。なんだかんだと次々と仕事が舞い込み忙しい日々を送りました。おかげで2003年には、事務所と併設のギャラリーを開くことができました。それが「Gallery HAY−ON−WYE(ヘイ・オン・ワイ)」です。このスペースは、「みんなの遊び場」をコンセプトにして、いろんな人に空間を使ってもらって、そこで表現したり、発見したり、新しい関係を生み出す装置になればと考えて運営していました。この6年で、いろんなイベントを行ってきました。ライブや落語会、セミナー、もちろんアートの個展や企画展も…。中には、企画展で知り合って結婚した人もいました。まさに、「出会い系ギャラリー」として機能していたように思っています。コピーライターとギャラリストの二足のわらじをはいて6年間。森さんはいったい何者ですか?といぶかしがられつつ、ぼく自身は、いろんなことに気づかせていただきました。
いわゆる消費の申し子でした。
コピーライターをはじめ広告業界というのは実に資本主義的で消費的な活動です。ときには自分さえも消費対象にして、バリバリと食い尽くしてしまいます。特に21世紀に入ってからは、その傾向が強まり、即戦力が求められ、「育てる」という視点はほぼ壊滅状態になっています。また、公告が伝えるメッセージも、どんどん「売らんかな」色が強まっています。「感動を伝えつつ購買につなげる」なんて、まどろっこしいことは求められません。口説き文句もなく、前戯もなく、いきなり…という行為が横行しています。インターネットの普及が進むにつれて、この傾向は強まっているように思われますが、いかがでしょう。
あやうい事態を迎えています。
しかし、この広告業界は、いま、とんでもない縮小化の波にさらされています。仕事がなくなりつつあるのです。世界最大の広告代理店が赤字を出すような事態になっているのです。その原因のひとつは、やはり「消費」にあぐらをかいていたからではないか、とぼくは考えています。今の自分が気持ちよかったらいい、後は野となれ山となれ…。このような発想が蔓延した結果、今のような状態を招いたのだろうと踏んでいるのです。
もしかしたら、広告=消費なのですから、その存在自体、もう必要ではなにのかもしれません。無くなることはないにしても、もっと小さなマーケットになることは確かでしょう。
次にバトンタッチすることを意識していきたいものです。
そこで、どうするか。ぼくは「文章」に携わる者として、「次の世代、次の次の世代…と後世に伝え残していけるような“言葉”を紡いでいきたい」と考えています。モノにメッキを施すような“言葉”ではなく、その“言葉”自体が輝くような。そんな「消費されない」言葉を見つけて、お伝えしていきたいものです。ちょうど、彫刻家が素材の中に隠されている造形を取り出すように、普遍の時空の中に流れている大いなる意志をつかみ取ってみなさんにお見せするような活動ができたら、と思います。
きっと、蘭の会のみなさんは、ぼくが今思っている言葉紡ぎの活動をすでに行われている大先輩だと思います。これを機会に、いろいろ教えていただけたらと考えております。
たかが言葉、されど言葉。命尽きるまで、言葉と向かいあっていきたいと思っております。これからもよろしくお願いします。
急に寒くなり、家の近所の紅葉たちも大急ぎで衣装替えをしています。目に楽しい季節ですが、インフルエンザなどからだには厳しいものもある季節です。どうか、おからだにはくれぐれもお気をつけください。
ありがとうございました。
森 敬典
■森 敬典さんって、どんな人?
撮影:吉原 章典
森 敬典(もり けいすけ)
京都と大阪のDNAを持つ文章書き屋。「足利尊氏」「明智光秀」「出口王仁三郎」という日本三大逆賊を産した京都府亀岡市に在住している。本職のコピーライターより、コラムニストや絵本作家、古典作詞家、デザイナーなど場外乱闘が得意。人と人を結びつけて実をつけてもらう「みつばち」のような役割も果たしている。
Gallery HAY-ON-WYE ヘイ・オン・ワイ
森 敬典 / ありさだ あきよ
http://g-how.net
はじめまして こんにちは
森敬典(もりけいすけ)と申します。
よろしくお願いします。
まずは、自己紹介をさせていただきます。
1964年、昭和39年の6月9日(火)午前5時50分に京都府船井郡園部町というところで生まれました。体重3600グラムの健康優良児だったそうです。新幹線開通と東京五輪の年に生まれ、日本の高度成長とともにすくすく育ったぼくは、オイルショックをものともせず、順調に右肩上がりの成長を続け、バブルの真っただ中で社会に出て、意気揚揚と生きてきました。職業は、当時流行りだったカタカナ職業のひとつであった「コピーライター」です。「コトバひとつで、買う気もない人にモノを売りつける能力を持った人」です。幸か不幸か、ぼくには、あまり人にモノを売りつける能力がなかったようで、有名なコピーライターになることはありませんでした。初対面の人によく「どんなコピーを書いていらっしゃるのですか」と尋ねられて苦笑してしまうことがあります。だって、日本国民が口ずさむようなキャッチフレーズなんてこさえたことはありませんもの。せいぜい、今朝折り込まれた新聞にはさまれていたチラシの「大安売り!」のタイトルくらいなものですよ、ひと目につくのは。
コピーライターになって9年ほど経った1997年に独立しました。
いわゆるフリーのコピーライターです。有名ではありませんでしたが、食うには困りませんでした。なんだかんだと次々と仕事が舞い込み忙しい日々を送りました。おかげで2003年には、事務所と併設のギャラリーを開くことができました。それが「Gallery HAY−ON−WYE(ヘイ・オン・ワイ)」です。このスペースは、「みんなの遊び場」をコンセプトにして、いろんな人に空間を使ってもらって、そこで表現したり、発見したり、新しい関係を生み出す装置になればと考えて運営していました。この6年で、いろんなイベントを行ってきました。ライブや落語会、セミナー、もちろんアートの個展や企画展も…。中には、企画展で知り合って結婚した人もいました。まさに、「出会い系ギャラリー」として機能していたように思っています。コピーライターとギャラリストの二足のわらじをはいて6年間。森さんはいったい何者ですか?といぶかしがられつつ、ぼく自身は、いろんなことに気づかせていただきました。
いわゆる消費の申し子でした。
コピーライターをはじめ広告業界というのは実に資本主義的で消費的な活動です。ときには自分さえも消費対象にして、バリバリと食い尽くしてしまいます。特に21世紀に入ってからは、その傾向が強まり、即戦力が求められ、「育てる」という視点はほぼ壊滅状態になっています。また、公告が伝えるメッセージも、どんどん「売らんかな」色が強まっています。「感動を伝えつつ購買につなげる」なんて、まどろっこしいことは求められません。口説き文句もなく、前戯もなく、いきなり…という行為が横行しています。インターネットの普及が進むにつれて、この傾向は強まっているように思われますが、いかがでしょう。
あやうい事態を迎えています。
しかし、この広告業界は、いま、とんでもない縮小化の波にさらされています。仕事がなくなりつつあるのです。世界最大の広告代理店が赤字を出すような事態になっているのです。その原因のひとつは、やはり「消費」にあぐらをかいていたからではないか、とぼくは考えています。今の自分が気持ちよかったらいい、後は野となれ山となれ…。このような発想が蔓延した結果、今のような状態を招いたのだろうと踏んでいるのです。
もしかしたら、広告=消費なのですから、その存在自体、もう必要ではなにのかもしれません。無くなることはないにしても、もっと小さなマーケットになることは確かでしょう。
次にバトンタッチすることを意識していきたいものです。
そこで、どうするか。ぼくは「文章」に携わる者として、「次の世代、次の次の世代…と後世に伝え残していけるような“言葉”を紡いでいきたい」と考えています。モノにメッキを施すような“言葉”ではなく、その“言葉”自体が輝くような。そんな「消費されない」言葉を見つけて、お伝えしていきたいものです。ちょうど、彫刻家が素材の中に隠されている造形を取り出すように、普遍の時空の中に流れている大いなる意志をつかみ取ってみなさんにお見せするような活動ができたら、と思います。
きっと、蘭の会のみなさんは、ぼくが今思っている言葉紡ぎの活動をすでに行われている大先輩だと思います。これを機会に、いろいろ教えていただけたらと考えております。
たかが言葉、されど言葉。命尽きるまで、言葉と向かいあっていきたいと思っております。これからもよろしくお願いします。
急に寒くなり、家の近所の紅葉たちも大急ぎで衣装替えをしています。目に楽しい季節ですが、インフルエンザなどからだには厳しいものもある季節です。どうか、おからだにはくれぐれもお気をつけください。
ありがとうございました。
森 敬典
■森 敬典さんって、どんな人?
撮影:吉原 章典
森 敬典(もり けいすけ)
京都と大阪のDNAを持つ文章書き屋。「足利尊氏」「明智光秀」「出口王仁三郎」という日本三大逆賊を産した京都府亀岡市に在住している。本職のコピーライターより、コラムニストや絵本作家、古典作詞家、デザイナーなど場外乱闘が得意。人と人を結びつけて実をつけてもらう「みつばち」のような役割も果たしている。
Gallery HAY-ON-WYE ヘイ・オン・ワイ
森 敬典 / ありさだ あきよ
http://g-how.net