2009年7月号 タミヤリョウコさんより、おてがみが届きました
手紙を、というお題をいただきました。
手紙、といえば、恋文。恋文をおいて他にはありません。送っても送られてもうれしい恋文ではありますが、そうそう頂戴できるものでもありませんし、送るにしても、想い人がいての話です。もし仮に想い人がいるにしても、純度の高い感情と、書かざるえない奮まりが交わったときにしか生まれてこない、恋の刹那の落とし子でありましょう。
そうはいっても恋文をしたためたい。どうせしたためるのであれば恋文以外ない。はて、どうすれば。
恋文、を独自に定義し、その枠を広げてみたならば、これも恋文にならないかしらん。
少し遠いところから話を、皆様は、文、というものを、誰に向かって書かれておりますでしょうか。または、どういったものに狙いを定めておりますでしょうか。
世の中、たくさんの人が、様々な用事で、日々文章を生み出しております。多くの人に向けたもの、また、手紙のように、ごく個人に宛てたもの。そういった表向きの方向とは別に、文を書く、まさにその時に、書いている人の指向が自ずと発生しているように思います。文章とは、既存にある言葉の、制限ある並べ替えであるのと同時に、書いている本人の在り様が図らずともうつされるものであります。ある人物の立ち振る舞いが絶対的にその人を決定つけているのと同じように、感覚交換の道具「文」の世界では、書いた人の「書く」所作が、書いたものから窺えるのであります。書いた当人が心を砕き、形を成しているもの、また、意図しないところであらわされているもの、おざなりや偶然、それらのさじ加減によって、文章とその影響が形成されております。さながら、身体が研ぎ澄まされているのが、職人やダンサー、役者であるのなら、文の在り様を日々研磨し、普通人と一線を画すのを身上とするのが、小説家であり、詩人であるといえましょう。
と、いう感覚は、昔から感じていたものの、ますます強く意識するようになりました。歳を重とるにつれ、読書体験も相応に重ねられた、ということも大きな理由でしょうが、ひとつのきっかけといたしましては、今、皆様も見ておりますWWW、ワールドワイドウェッブ、これに親しむようになったことであります。昨今、動画なども苦なく再生できる環境も整い、ヴィジュアルでの恩恵を受けている方もたくさんおられますでしょうが、文字を偏愛するもじもじ人間の私にとっては、このダブリューダブリューダブリューの世界は、皆様のもじもじ世界の万象を見せてくれる摩訶不思議なからくり空間。どれだけの喜びをそこから受け取ったことか。
もう五、六年前ほどでありましょうか、一時隆盛を極めた「テキストサイト」に耽溺いたしましたのは。テキストを読む快楽が私をのっとり、思考の多くに影響を及ぼすまでになったころ、私も見よう見まねでサイトを持ち、ワールドワイドウェッブに文を放つ快楽を覚えたのでした。
まさに放つ。
私にとりまして、ネットで文章を書く、という行為は、ネット上で文章を読む、という行為と切っては切り離せないものであります。ネット上の様々な仕掛けが、初めから他の場所にあるテキストと関連させる行為を前提としておりますこともその切り離せなさと関係しておりますでしょう。それとは別に、実際に、文章を書く欲望に駆られるきっかけの何割かは、ネット上にある、なにがしかの刺激、それは、ネットに無数にちらばるお宝というべき、優れたテキスト、人のこころに宿る文章、である場合が多いのです。実際に書かれるテーマや意図とは別に、私には、「ああ、あの方の、あのすばらしい文章に近づきたい」そのような影の欲望が潜在的に渦巻いております。
誰にもたのまれもせず、相手にされるかどうかわからない不安を抱えながら、しかし、強い衝動によって書き綴る行為。ネット上に文章を載せることは、私にとって、恋文をしたためることを思い出させます。先ほど述べました、「書く」という所作があるとしましたら、恋文を綴ること、テキストをネットに載せること、は似ているのです。
恋文を書くとき、そこに書き付けられるもののひとつに、相手の存在への感謝、賞賛、というものがあるでしょう。私がテキストを綴るときも、優れたテキストへの感謝、賞賛が自動的に含まれます。それは、誠に強引で身勝手な思い込みでありましょうが、嘘偽りない、私の心情であります。さらに告白するのであれば、人が書き、人が読むという行為、その感覚交換の行為自体が、奇跡であるかに思え、無上の喜びを感ずるところであります。
さて、ここまで書きましたところで、すっかり私の姿勢は、恋文を綴るかのようであります。その宛先を「不特定多数」と想定するような、虚空に放つような心持ちで書いていないところも恋文です。読み手であるあなたに向かいたい。
私どもの、文章にまつわる世界が、ますます豊かなものになりますよう、心から願いまして、キーボードを離れたいと思います。
■タミヤリョウコさんって、どんな人?
http://sexymountain.com/
現役風俗譲として働くかたわら、若者向け、風俗嬢向けの性感染症予防啓発活動を行う。風俗嬢による編集プロダクション「セクシーマウンテン」主宰。大阪市南森町のクリエイター自主運営のワークスペース「208」メンバー。
**田中課長名義で以下の連載しています
風俗嬢向け性感染症予防コラム「絶対現場主義・フーゾク虎の穴」
http://momoco.ch/tora/index.htm
イケるからだになる!ドキュメンタリーコラム「Feel Body」
http://www.lovelypop.com/maga/feel.html
手紙、といえば、恋文。恋文をおいて他にはありません。送っても送られてもうれしい恋文ではありますが、そうそう頂戴できるものでもありませんし、送るにしても、想い人がいての話です。もし仮に想い人がいるにしても、純度の高い感情と、書かざるえない奮まりが交わったときにしか生まれてこない、恋の刹那の落とし子でありましょう。
そうはいっても恋文をしたためたい。どうせしたためるのであれば恋文以外ない。はて、どうすれば。
恋文、を独自に定義し、その枠を広げてみたならば、これも恋文にならないかしらん。
少し遠いところから話を、皆様は、文、というものを、誰に向かって書かれておりますでしょうか。または、どういったものに狙いを定めておりますでしょうか。
世の中、たくさんの人が、様々な用事で、日々文章を生み出しております。多くの人に向けたもの、また、手紙のように、ごく個人に宛てたもの。そういった表向きの方向とは別に、文を書く、まさにその時に、書いている人の指向が自ずと発生しているように思います。文章とは、既存にある言葉の、制限ある並べ替えであるのと同時に、書いている本人の在り様が図らずともうつされるものであります。ある人物の立ち振る舞いが絶対的にその人を決定つけているのと同じように、感覚交換の道具「文」の世界では、書いた人の「書く」所作が、書いたものから窺えるのであります。書いた当人が心を砕き、形を成しているもの、また、意図しないところであらわされているもの、おざなりや偶然、それらのさじ加減によって、文章とその影響が形成されております。さながら、身体が研ぎ澄まされているのが、職人やダンサー、役者であるのなら、文の在り様を日々研磨し、普通人と一線を画すのを身上とするのが、小説家であり、詩人であるといえましょう。
と、いう感覚は、昔から感じていたものの、ますます強く意識するようになりました。歳を重とるにつれ、読書体験も相応に重ねられた、ということも大きな理由でしょうが、ひとつのきっかけといたしましては、今、皆様も見ておりますWWW、ワールドワイドウェッブ、これに親しむようになったことであります。昨今、動画なども苦なく再生できる環境も整い、ヴィジュアルでの恩恵を受けている方もたくさんおられますでしょうが、文字を偏愛するもじもじ人間の私にとっては、このダブリューダブリューダブリューの世界は、皆様のもじもじ世界の万象を見せてくれる摩訶不思議なからくり空間。どれだけの喜びをそこから受け取ったことか。
もう五、六年前ほどでありましょうか、一時隆盛を極めた「テキストサイト」に耽溺いたしましたのは。テキストを読む快楽が私をのっとり、思考の多くに影響を及ぼすまでになったころ、私も見よう見まねでサイトを持ち、ワールドワイドウェッブに文を放つ快楽を覚えたのでした。
まさに放つ。
私にとりまして、ネットで文章を書く、という行為は、ネット上で文章を読む、という行為と切っては切り離せないものであります。ネット上の様々な仕掛けが、初めから他の場所にあるテキストと関連させる行為を前提としておりますこともその切り離せなさと関係しておりますでしょう。それとは別に、実際に、文章を書く欲望に駆られるきっかけの何割かは、ネット上にある、なにがしかの刺激、それは、ネットに無数にちらばるお宝というべき、優れたテキスト、人のこころに宿る文章、である場合が多いのです。実際に書かれるテーマや意図とは別に、私には、「ああ、あの方の、あのすばらしい文章に近づきたい」そのような影の欲望が潜在的に渦巻いております。
誰にもたのまれもせず、相手にされるかどうかわからない不安を抱えながら、しかし、強い衝動によって書き綴る行為。ネット上に文章を載せることは、私にとって、恋文をしたためることを思い出させます。先ほど述べました、「書く」という所作があるとしましたら、恋文を綴ること、テキストをネットに載せること、は似ているのです。
恋文を書くとき、そこに書き付けられるもののひとつに、相手の存在への感謝、賞賛、というものがあるでしょう。私がテキストを綴るときも、優れたテキストへの感謝、賞賛が自動的に含まれます。それは、誠に強引で身勝手な思い込みでありましょうが、嘘偽りない、私の心情であります。さらに告白するのであれば、人が書き、人が読むという行為、その感覚交換の行為自体が、奇跡であるかに思え、無上の喜びを感ずるところであります。
さて、ここまで書きましたところで、すっかり私の姿勢は、恋文を綴るかのようであります。その宛先を「不特定多数」と想定するような、虚空に放つような心持ちで書いていないところも恋文です。読み手であるあなたに向かいたい。
私どもの、文章にまつわる世界が、ますます豊かなものになりますよう、心から願いまして、キーボードを離れたいと思います。
■タミヤリョウコさんって、どんな人?
http://sexymountain.com/
現役風俗譲として働くかたわら、若者向け、風俗嬢向けの性感染症予防啓発活動を行う。風俗嬢による編集プロダクション「セクシーマウンテン」主宰。大阪市南森町のクリエイター自主運営のワークスペース「208」メンバー。
**田中課長名義で以下の連載しています
風俗嬢向け性感染症予防コラム「絶対現場主義・フーゾク虎の穴」
http://momoco.ch/tora/index.htm
イケるからだになる!ドキュメンタリーコラム「Feel Body」
http://www.lovelypop.com/maga/feel.html