2011年12月号 森田友希さんより、おてがみが届きました
「写真は世界を変える」
この言葉を信じて、これから私はカメラマンという仕事と一生付き合っていきます。
時には、この言葉に裏切られる時もあれば、より一層強く感じる時もあるでしょう。
もしかすると、生きているあいだ中、ずっとこの言葉に裏切られているのかもしれません。
写真は世界を変える、といきなり宣言し、とても大それたことを言っているのだと感じる方もいるでしょう。ここで言う世界は、地球規模のような広大な世界のことだけではありません。世界とは、人が生きているそれぞれの世界のことです。一人で創造する世界も、それ然り。家族や親せき、友人や職場の人のなかで営まれる世界も、それを世界と私は呼びます。
そのそれぞれの世界に彩りや新たな気付き、そして出会いや繋がりを生むのが、私のなかで写真という表現なのではないかと思っています。「写真は世界を変える」ということを心の底から言える日がくることを信じ、私はカメラマンの道を進みます。
さて、今年で私は成人を迎えてから二年が経ちます。私のなかの世界は、この二十歳という境でとても大きく、そして有機的に広がってきました。その広がりのなかで、この世の中に対して憤りを感じたり、時には愛おしさを感じたりしながら、様々な人たちと出会い、そして自分なりの考えを持って行動してきました。
自分の知らない世界に飛び出していき、自分で見聞きする世界は、私にとって非日常的で刺激的であったことを覚えています。そうしたことを誰かに伝えたいと思い、私はどこかへ行くたびに必ずカメラを片手に出かけていました。このことがカメラマンを目指すきっかけになったのだと、今振り返れば思います。
そのような非日常的な体験をするまで、私は淡々とした日常を過ごしていました。中学のときは、「平凡だなぁ」とよく呟いていましたから、自分の知らない世界へ飛び出したときの体験は、私にとって衝撃的なことばかりだったのです。
私は都会でも田舎でもないような町で、ゆとり世代と言われすくすくと育ちました。そんな私は、二十歳になるまで、世の中の「世」の字も知らないような少年でした。将来のことなんてまともに考えもしませんでしたし、その時々にある目の前のことに夢中になれる環境の中で、幸せすぎる子ども時代を過ごしてきました。テレビのある生活が当たり前で、その箱の中にある海外の貧困問題、過去に起きた戦争は、私にとって果てしなく遠い世界のことでした。
その、まるで別世界のような出来事や、これまで目をつむり、耳をふさいできたことが、目の前に立ち現れてきたのが二十歳になる直前です。国内外をバックパックし自分で見聞きしたことがきっかけで、私の日常生活では絶対に出会わなかったような人たちと出会いました。それまで食べることにも寝るところにも困らず、自己中心的に回っていた世界が大きく揺さぶられる経験となったのです。
私と関係のないようなことだと思っていた問題が、実は私にとって関係のあることだと気付いた時、それを知らずに生きてきた私は、自身の無知さへの憤りを感じました。そして、そのことを知っても、何もできずに居た自分が居て、とても悔しかったのを覚えています。
それまで何も考えずに発していた言葉の大切さを感じるようになり、時には何も言葉を発したくないと思う時もありました。
そうした時、私の発する言葉より写真が、伝えたいことを伝えてくれ、写真を見た人や私自身を救ってくれました。ですから私は、「写真は世界を変える」という言葉を信じたいのです。
何かを表現するとは、とても怖いことだと感じます。
でも、人は表現せずにはいられないのだと思います。
表現するからこそ、何かが生まれる気がするのです。
詩をつくる、ということに蘭の会のみなさまは、どう感じているのでしょうか。
私は、その“何か”をカメラマンとして、写真という表現で追究していきたいのです。
私は一つの道を究めれば、いつか道は開けると信じています。この道がいつか、様々な世界をつなぐ道になればいい。そう願いながら日々を大切に、カメラマンを生業にしていきたいと思います。
私のカメラマンへの抱負を最後まで読んでくださり、誠にありがとうございました。
お会いした方も、まだお会いしていない方にも感謝を込めて、お手紙を終えます。
■森田 友希さんってどんな人?
明治学院大学 社会学部社会学科
平成元年 埼玉県入間市 生まれ
18歳まではサッカー少年
19歳で国内をヒッチハイクしながら旅をする
20歳でインドに呼ばれ、2度訪れる
「アート」をキーワードにNPOやNGO、福祉施設などを訪ね歩く。大学では地域から国際分野における写真展やアートプロジェクトに携わる。現在、将来は?と聞かれたら、「カメラマン志望で活動しています」と答えながら、学生生活を送っている。