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2014年11月号 池田万由未さんより、おてがみが届きました

「手紙の手紙」

はじめまして。池田万由未と申します。特に何者と言えるものでもないのですが、人が好きで、こんなふうに手紙を書くのがすごく好きです。今日はちょっと「手紙の手紙」を書いてみようと思います。

さて、私の個人的な事情なのですが、最近引っ越しをしました。
まぁ単身の住むような小さなアパートだから特にお隣に挨拶することもなく、引越しの片付けなどをしつつ、新生活を楽しんでいたのですが、郵便受けをみるのを忘れており、引っ越して2日目くらいにみてみると、そこにはピザ屋のちらしとコピー用紙を二つ折りにした手紙が1通、入っていました。

「 私は一階の住人のFと申す者です。普通なら二階に上がって池田様にご挨拶をしたいと思っておりますが、現在86歳になりますと、足が弱って支えがないと歩けなくなりました。それで階段は上れませんので失礼致します。
用件 ゴミ出しの日・場所の説明(省略)
その他、質問したいことがあります時は郵便受けの101の中へ入れて下さい。大変ご面倒をおかけしますが、お許しの程を。 」

挨拶しないといけないのは私の方なのに!という申し訳ない気持ちとこんな親切にお手紙をくれるまだ見ぬ86歳へのやわらかく愛おしい気持ちが湧いてきました。
仕事の都合などで翌々日くらいになったのですが、栗饅頭を持って挨拶に伺うと、そこにはまさに86歳の可愛らしくでもどこか品のあるご婦人が顔を出しました。
手紙のお礼と挨拶が遅れた謝罪などの挨拶をまぁそこそこにし、お別れをしたのですが、その翌々日に、また郵便受けにコピー用紙を二つ折りにした手紙が入っていました。

「 先日は美味しい栗まんじゅうを頂きありがとうございました。私はヘルパーさんが週2回来て部屋を掃除してくれます。それで、掃除がすんでヘルパーさんとコーヒーを飲みながら栗まんじゅうを頂きました。久しぶりでしたので、美味しく頂きました。ありがとうございました。 」

まるで恋人から手紙が来たような嬉しさで、すぐにお返事を書きました。奥様に似合うような和柄の便箋に、私もヘルパーであることといつでも困ったことがあれば呼んでほしいことと連絡先を書いて(文面は忘れてしまいました。でも手紙の良さって自分が書いた内容は読めないことでもあると思うのです。)二つ折りにして101の郵便受けに、ストン。

それから少し経って、郵便受けに今度はコピー用紙を二つ折りにした手紙とハート柄のタオルの入ったビニール袋が入っていました。

「 お仕事でヘルパーさんをしていらっしゃるそうですね。若い時には考えてもみなかった事が、年をとると出来なくなる事を手助けして頂くヘルパーさんに感謝しております。(個人的なことが書いてあったので省略)
生協にタオルを注文しましたら、4枚も入ってましたので、1枚お使い下さい。お若い人には向いているハートもようですが、年寄りにはちょっと気はずかしいと思います。 」

なんだかもう1日ずっとにこにこしてしまいそうな嬉しさで、色んな人に自慢をしてしまいました。何かお返しを、と思ったのですが、そうするとまた気を使わせてしまうような気もして、御礼のお手紙だけにしました。やっぱり和柄の便箋を二つ折りにして。

このやりとりで、今のところは止まっていますし、なかなか会う機会もないものですから、朝の窓を開ける音くらいしか下の86歳の住人の存在を確認することはありません。でも、いつか重いものが持てなくて困った、くらいの用事で、電話がはいったりしたら嬉しいなと密かに思っています。
こんな誰かとのやりとりがあるから生きていけるとしみじみと思います。

言葉は、言葉では、“本当”は伝わらないと思っています。どうやってもどこかに歪みが生じると思います。それでも、そこに“本当”がなかったとしても、言葉を通して自分の感覚に置き換えられ“感じ”がわかったとき、どうしようもない嬉しさに満たされます。たぶんそれは言葉でなくてもいいのですが、なにかを介して伝えられたものが「なんだかわかる」とはっとする瞬間や、または染み込むような切なさが“感じ”なのだと思います。
私にとって言葉というものが大切になってきたのは、3,4年くらい前からです。“感じ”を受け取ることはできても、伝えることはまだとても難しいです。言葉の初心者の私としては、“感じ”を伝えることができる人にとても、とても憧れます。
しかしまぁ、本当のところ“感じ”を伝えられたかどうかなんて、もしかしたら誰にもわからないことなのかもしれません。

そんなどうしようもない世界で、私は86歳になることが、今はあまり怖くはありません。


■池田万由未さんって、どんな人?
ikeda
1985年福岡生まれ。大学で美術を学んだあと社会を知るため、建築会社に就職。まさかのweb系から介護系に部署異動。認知症のじじばばにきれいもきたないもまるっと見せてもらって、禿げ頭にキスしたいと思ったことから、福祉にはまる。美術と福祉の共通項を見出し、繋ぐ術を探るべく、障がい福祉に転職を決意。色々みてまわって思ってもみなかった重度心身障がい児・者と関わるNPO法人ニコちゃんの会に就職。衝撃の毎日であっというまに1年半。


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2012年4月号 今井貴代子さんより、おてがみが届きました

 はじめまして。今井貴代子といいます。在日外国人支援の場で働いています。職場でもどこでも「きよぽん」と呼ばれているので、そう呼んでもらえると嬉しいです。人によっては「きよぴー」とか「きよぴょん」とか、好き好きにいろいろ変形されて呼ばれています。

 

さて、もう2012年です。みなさんは2011年どんな一年でしたか。わたしは今年厄年のようでして、あまり信じてなかったのですが、これはやっぱり厄年だからか?と思うような出来事がありました。

 

9月に2週間近くアフリカはタンザニアに行きました。旅の仲間と首都のダルエスサラームの街中を歩いていたところ鉄格子がそびえる行き止まりにあたり、みんなで乗り越えようという話になりました。みんなは慎重にまたいだようですが、わたしは勢いあまって飛び越えてしまいました。無事着地したのですが、どうも足が変な感じがします。この日はズボンをはいていたのですが、右のひざ下あたりのズボンが少し濡れています。おかしいなとめくってみると、ひざ下、横に8センチくらいぱっくり開いてピンクの肉がむき出しになっています。血がとどまることなく溢れてきます。どうやら足が鉄格子に当ったかひっかかったかしたようです。けっこうむごい光景で、青ざめた仲間が応急処置としてタオルやハンカチで止血してくれました。そしてそのままタクシーに乗り病院に向かい、救急で傷口を縫う手術をしました。幸い、翌日もザンジバル島のすてきな石畳のまちストーンタウン散策を楽しみ、旅の行程をすべて無事終えることができました。帰国後抜糸に行った病院先で、「ひどい粗治療」とお叱りを受け、再度縫合手術をするはめになったという後日談もあります(苦笑)。

 

厄年だからだと片付けたくなりますが、こんなマヌケなけがを厄年のせいにしてはいけませんね。そそっかしくお調子者の性格は昔からですので。ただこのタンザニアの旅はとっても楽しく心落ち着ける旅だったのです。

 

車椅子に乗る脳性まひの男性とその友人や知り合い「老若男女」11人で、「利光徹とアフリカを歩きたい」という旅に出かけました。利光さんの「今度はアフリカに行きたい(前回はインド)」という願い(わがままとも言う)を叶えようと企画されました。わたしは利光さんとは面識はなく、ひょんなことからこの旅の存在を知りました。わたしは学生時代に7年間ほど地域で自立生活をする脳性まひの方の介助をしていました。施設や親元から出て、自分の生活の本当に一つひとつを選択し、自己決定していく生き方というものに出会いました。健常者が当たり前のようにしていることを障がい者ができないのは、障害が理由なのではなく、周りや社会ができないようにさせているからだということを、わたし自身が介助をすることで気づきました。こうした経験があって、利光さんのアフリカに行ってみたいというに思いにわたしも乗りたくなり参加を決めました。村の露店でキャッサバの揚げ物を売る障がい者や、都市で物乞いをしながら暮らすたくましい障がい者たちと出会う旅では、別にアフリカを訪れたなら決して見れない景色をたくさん見ることができました。

 

ところで、わたしの働く職場には、地域に暮らす外国人の大人や子どもたちがたくさんやってきます。フィリピン、中国、韓国・朝鮮、タイ、ペルー、ブラジル、ネパールなど挙げればきりがないですが、本当にいろいろな国の人たち、つながりをもつ人たちが“隣人”として暮らしています。その人たちのパワーにいつも圧倒されています。日本社会は「日本人」を中心・基準にして動いているので、「外国人」は周縁化されがちで、変わることを求められるのはいつも「外国人」の側です。仕事ではそれを反転させる活動やしくみをつくっています。反転させると何が見えてくるか。その人本来の力やその人が大切にしたいと思う文化が豊かにエネルギッシュに表現されます。その背景に、悲しみ、苦しみ、孤独、疎外感をくぐり抜けた、またはいまも闘っている人の力強さが見えてくるときがあります。そんな場面に出会う瞬間や、そうした場づくりに一緒に取り組んでいるとき、わたしもまた何かを表現したくなります。そうした思いがどこから来るのか、何を表現したいと思っているのか、自分でもまだよくわかりません。ただ何かを受け取ったような気がして、それが体のなかでごそごそと動くのです。アフリカの旅もそうでした。

 

蘭の会のみなさまは、詩はどのようなとき生まれますか。

 

わたしはナマエもカタチもないものが体の奥底でうごめき出しおさまりがわるいとき、詩とまではいかない「ことば」の数々が表に出てきます。それもまた詩なのでしょうか。

 

みなさまの一年がすてきに終っていきますように。

 

■今井貴代子さんって、どんな人? 

プロフィール

1979年、滋賀県に生まれる。大学院在籍中にフィールドワークと称して、在日外国人の子どもたちが集まる子ども会、被差別部落にある青少年会館、国際交流協会等でボランティアや子どもの指導員をするうちに、その一つが仕事になる。現在、とよなか国際交流協会(大阪府豊中市)で働く。

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2010年5月号 坂井基紀さんより、おてがみが届きました

蘭の会のみなさま初めまして。
「手紙」ということで、ここに何を書こうか思案しました。とりあえず自己紹介がてら私の恥ずかしいエピソードのひとつでも書いてみようかと思います。

UFOと歯医者

私は過去に本気でUFOを呼ぼうとしたことがある。
社会的には大人の階段を数段登っていなければならない21歳になったばかりの頃、スピルバーグの映画「未知との遭遇」よろしくUFOへの階段を登ろうとしていたのだ。

Q,なぜUFOを呼ぼうとしたの?
A,歯医者に行きたくなかったから

当時の私は、19歳から始まったひきこもりの真っ最中だったため、歯医者に行くことはどうかするくらい余程の事情だった。
自宅にひきこもっている時の私は滅多に外に出ることが出来ず、精神的に相当に衰弱していた。外に出るのは2週に1度、母に連れられ隣町の心療内科に通うときだけで、それ以外は自分の部屋で大半の時間を過ごしていた。
そんなある冬の日、日頃の不摂生が祟ったのか歯が急に痛み出した。
「歯は痛いが外に出るのは怖い、まして知らないひとに歯を削られるなんて!怖い、怖すぎる!!」しかし、徐々に増してくる歯痛はごまかしきれなくなり、家の近所の小綺麗な歯医者へ行った。家族以外の人と触れ合うことに相当の恐怖心を抱いていた当時の私は、治療の為に寝そべった椅子の上でカチコチに固まっていた。そんな状況を知ってか知らずか、まだまだ若そうな男の歯医者は、私の歯の状況を簡単な会話で確認すると「いきますよー」のひと声でいきなり歯を削りだしたのだ!
「なにー!削るなら削るって言えよー!ひゃああ〜〜〜(心の叫び)」削り出すのに説明がないのも驚いたが、それ以上に治療自体が強烈に痛い。こんなに歯の治療は痛いものなのか!しかし、対人恐怖で固まっている私は「痛いです」と主張することもできず、ただじっと耐えるしかなかった。その日の帰り道、こんなに苦痛な治療はもう受けたくないと心に誓った。しかし、よく考えれば口の中は中途半端な詰め物をしている状態。このまま治療を放棄してますます虫歯を悪化させるのも怖い。「治療もこわい、放置もこわい・・・」恐怖のサンドイッチに挟まれた私は「そうだ!UFOを呼んでこの状況を救ってもらおう!」と何故かとんちんかんにも本気の本気で思い至ったのだ。
まあ、出口の見えなくなったひきこもり生活の中で、オカルト的な物が苦しみからの出口に見えたのだろうが、いやはや視野が狭くなると全てが可能に思えるのだからすごい。

小高い山の上にある自宅のベランダからは、階下に広がる町並みや、自転車で家から10分程で行ける海もよく見えた。そんな見晴らしの良いベランダに私はパジャマのまま出て、低く広がる空を見上げて心の中で「UFOよ来い!」と強く念じた。
10分、30分、1時間、空に変化はない。おまけに寒い。
服を着込み、気を取り直して、自然と一体になるイメージで「私は仲間です」とUFOに呼びかけてみた。
2時間、3時間、そのまま日は暮れた。
当たり前にUFOは来なかった。私は本気で落胆したが、よく考えれば当然かもとも少しは思った(少しはね)。
結局その後、歯医者に何度か通ううち恐怖心も次第に薄らいでゆき、無事治療も終えた。
この出来事から10年程経つ。いまでも街で歯医者を見かけると、空にUFOが来ていないかとつい見上げてしまう。
そして、空にUFOがいないことを確認する度に少しセンチメンタルな気分になるのだった。

■坂井基紀さんって、どんな人?
sasakai


プロフィール
坂井基紀 
1979年生まれ
10代の後半から社会不安障害を抱え数年間の引きこもりを経験する。
その後はホームヘルパーをやったりアートプロジェクト企画したり、その他もろもろ活動中。
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2008年10月号 森下敏行さんより、おてがみが届きました

こんばんわ

はじめまして、蘭の会のみなさま、
森下敏行と申します。

大阪の西成区で、生活共同体の責任者をしております。
いちおう社福ですが、そこは貧困ビジネスならぬ、
単なる貧困事業で、世の中にも忘れさられながら、
かといって、世の中と縁もきれないまま、やっております。

わたしのやっている活動は、本当にお金になりません。
いわゆるホームレスや、社会的弱者と関わる仕事をしています。
やっている内容、ノーガキを垂れれば、
それなりえらそうにはなりますが、
わたし自身が社会底辺に横たわっていることに違いありません。

お金が動くところはどこも賑うようで、
貧困ビジネスなるものも、時にメディアを彩るようになりました。
いわゆるホームレスが、お金になることもそうですが、
その急速な発展には、おどろかされます。

利益に対する人の情熱には、並々ならぬものがありますが、
その為には何をしてもいい、ような風潮が、
格差社会といわれる現今、ますます強まってきているように思えます。
社会的地位に対する希求もそうですね。

わたしたちはもう暫くのあいだ、繁栄するでしょうから、
だから、もう少し、みんなが生きられるにはどうしたらいいか、ゆっくり考えたらいいのに。
自動車も、テレビも、街ゆく人も、みんな、そわそわしているので、
100年くらい、一時停止してみるのも、悪くないかもしれない。

肩の力を抜いて、深呼吸して、
いまの時代をながれる、悲しみや、よろこびが、
スースー体を吹き抜けるくらいに、浸してみたい。
そうやって、生きていきたい気持ちです。

ここ西成の街には、何もかも失くしてしまった人も、たくさんいます。
それでも、元気に生きてる人もたくさんいます。
笑顔と、やりきれなさが鬩ぎあい、その火花が尾を引きながら、
ひとり、ひとり、消えていきます。

そうした人たちは、わりと「座右の銘」というのか、
一言もってたりするんですよ。

わたしも、遠からぬ先に、この世とおさらばするのですが、
それまでは、元気に生きれる言葉を、胸に抱いて、すごしたいと思っています。


■森下敏行さんって、どんな人?

1969年12月9日神奈川県生まれ O型
3歳でオムツがとれて、17歳で高校を中退。
二輪車のカスタムショップで、メカニシアンを務め、
オリジナルな製品作りや、改造、修理を行なう。
道具が人を豊かにする世の中を夢みるが、
飽くなき消費を志向する社会にも、人にも幻滅。
1995年、わずかのお金をもって、大阪に。
風俗店のボーイ、建設労働などを経て、
2000年より、エマウスや、釜ヶ崎の運動に加わる。

社会福祉法人暁光会大阪支部責任者
http://www.gyokokai.org


森下敏行さん
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