www.orchidclub.net LB

2008年11月号 米田 量さんより、おてがみが届きました

蘭の会のみなさま

秋らしく涼しくなってきた最近ですが、
お元気でいらっしゃいますか。

お手紙を書かせてもらう機会をいただき
ありがとうございます。

具体的な人をイメージしながら書くのではなくて、
こんなふうに手紙を書くのは不思議な感じですね。

私は33歳の男ですが、今は京都の宇治で農家さんや米づくりに
関心のある方と一緒に無農薬米づくりをする活動をしています。

私は、中学2年の時に学校に行かなくなり、中学卒業後に北海
道の牧場に行きました。1年間働いた後、通信制の高校にいっ
たり、大学を受験できる資格をとって、心理学系の大学に入り
ました。

不登校だった反動か、今度は大学から出れなくなって、
大学院をふくめ、去年まで11年も学生をしていました。
今年になってようやく学生が終わりました。

今年から個人でも畑をはじめました。
現在は自分で食べるものを自分でつくって、身の回りの人たち
と、その周りの人たちで生活の全般をまかなっていくような環
境をめざしたいなと思っています。

9月の特集は「生」でしたね。
僕も生きることとはどういうことかに、関心がありました。

生きているものが、置かれているその文脈とはどんなものか。
自分なりにずっと追求した結果、これもまた自分なりにですが、
頭では納得できるところにいきました。

でも、それはあまり自分には意味がなかったです。
頭で何かを理解することによって、それほど自分は変わりませ
んでした。

頭で理解したい、という動機は、実は自分をリアルなものへの
直面を避けさせて、甘い幻想に浸らせようとするものだったの
です。ずっと気づきませんでした。

生きるものは、余韻です。
ほとんど変わらない環境のもとに、これからも変わらないこと
を前提にした過去の記憶。記憶そのものが自らかたちをつくり、
循環しているのです。

大きな記憶のなかに、小さな記憶がめぐっています。
そして小さな記憶のなかに、また小さな記憶がめぐっています。

そしてそれらの記憶は、響きとしてあると思います。
人がつくる音楽は、その響きの構成や物語を
人間が感じ取れるようにしたものだと思います。

生きるものは余韻であるので、どこにも行きません。
生きるものは反映であるので、既に結果的存在です。
石を水面に投げた時の波紋のようなものです。

自らをかたちづくり、そして生み続ける創造性は自分を振り
返ることも確認をすることもありません。

振り返ることが出来るのは、過去だけです。
とどまった過去自体が、過去を振り返っているのです。

生の豊穣は、その創造性が発揮される環境を自分・自意識とい
う過去=死物が整えることによって得られると思います。

自意識という死物が、自らを主役と取り違えて自らの世界に自
生を閉じ込め抑圧しているのなら、その行き詰った世界を健全
に破綻させていくことが求められるのでしょうね。

自分で自分を健全に破綻させていくって難しいですね。
自分は自分を殺すことができません。結局現実という自分の世
界の外にある他者に向かい合って、引き受けていくだけ。そん
な当たり前のところに戻るのに結構な時間をとりました。

つらつらと冗長な話しになり、すみません。
話しを聞いていただき、ありがとうございます。

それでは、また。

季節の変わり目ですが、
どうぞお体にはお気をつけください。

■米田 量(よねだりょう)さんって、どんな人?

1975年愛媛生まれ。中学で不登校に。卒業後北海道の牧場で働く。
その後大検、予備校を経て'97年京都文教大臨床心理学科入学。
2000年四国遍路を行う。
'07年無農薬米づくりを市民に開く「結いの田うじ」を宇治市の農家さんに提案。
以後事務局を担当。シェアハウス「つる紫」在住。

「結いの田うじ」
http://www.wao.or.jp/sahara/yuinota/index.html


米田量
研究者 | permalink | - | -

2007年8月号 原口 剛さんより、おてがみが届きました。

みなさんこんにちは、はじめまして。原口剛、と申します。「剛」は「たけし」と読みます。大学で非常勤講師をしたり、家庭教師をしたりしながら、日々の生活を営んでいる者です。

もう8月も半ばですね。みなさんに夏休みはありますか? 僕は大学で仕事をしている関係上、8月と9月上旬は、いちおう夏休み、ということになります。夏休みは、(とりわけ今年の)僕にとって貴重な時間です。なぜなら、自分のためだけの時間、物事をゆっくり考える時間を、やっともつことができるようになるからです。

僕は4月から、大学の非常勤講師として働き出しました。「大学の講師」といっても要するにアルバイトでして、給料は安いのに仕事は多い。僕は2つの大学で週に3コマを担当しているのですが、毎週毎週、授業準備に追われる毎日の繰り返しでした。忙しさにかまけてほかのことを考えられず、ここ半年はずっと「思考停止」状態になっていました。

 これは、研究者としてはかなりまずい状態です。研究者のいちばんの仕事は、論文を執筆することです。ひとつの論文を執筆するまでには、資料を調べたり、文献を読んだり、ききとり調査をしたりと、いろいろな手順を踏まねばなりません。ひとつひとつの手順に時間と手間がかかるのですが、なかでも一番大事なのは、じっくり考える時間をもつこと。パソコンの前でじぃっとしたり、布団にくるまってウンウン唸ったり、散歩をしてみたり、一見なにもしていないようにみえますが、頭のなかでは必死に試行錯誤している。そういう時間をもつことが、よい論文を書くには絶対に欠かせない条件なのです。

 「考える時間が必要」ということは、なにも研究者に限ったことではないのかもしれません。「考える時間」という言葉は、「立ち止まる時間」と言い換えてもいいでしょう。日常生活のスピードからちょっとだけ身を引き離して、立ち止まって考えてみる瞬間。そういうときは往々にして、「働くってなに?」とか、「生きるってなに?」とか、そういった類の、簡単には答えが出せない疑問が頭に浮ぶものです。

 これって、生きるうえではとてもとても大事な瞬間だと思いませんか? ひとりひとりの人間が抱える、あるいは社会が抱える悩みや問題は、すぐに「答え」が出せないものばかりです。まったく太刀打ちできない、とまでは言わなくとも、少なくとも「解決」するにはとても長い時間がかかるものばかり。とすれば大事なのは、考え続けること。諦めてしまわずに、繰り返し、繰り返し考えることだと思います。

 話は変わりますが、以前、学習塾でアルバイト先生をしていたことがあって、僕はそこで驚くべき光景を目にしました。子どもたちがパソコンの前に座って、デスクトップに次々と表示される問題に、カタカタっと「答え」を入力しているのです。聞いた話ですと、脳のどこかの部分を鍛えるのによいのだそうですが、そこで鍛えるのは「即答」する能力であって、「考える」能力を養うには、おそらくなんのメリットもありません。

 自分の日常生活を振り返ってみれば、忙しさに振り回されているうちに、「考える」ことの条件がどんどん奪われているように思います。携帯電話やパソコンが普及して、それはそれで便利になったけれども……便利になればなるほど「即答力」が求められるようになってしまって、日常生活の回転率を劇的にスピードアップさせてしまっているような気がします。

便利さと引き換えに失うのは、たいせつな時間。久しぶりに、ミヒャエル・エンデの『モモ』でも読んでみようかしら。などと思う、今日この頃なのでした。

それではみなさん、暑い折、お身体ご自愛ください。




■原口 剛さんって、どんな人?




原口 剛(はらぐち たけし)
1976 年千葉県生まれ、鹿児島育ち。学部で哲学を専攻した後、2000年より大阪市立大学大学院で地理学を学ぶ。現在は大阪市立大学都市研究プラザ特別研究員。釜ヶ崎の戦後史や野宿者の現状、都市論や社会・空間的排除論などについて研究をしている。論文に「「寄せ場」の生産過程における場所の構築と制度的実践」人文地理55(2), pp.121-143, 2003など。
研究者 | permalink | - | -

2007年2月号 泉谷洋平さんより、おてがみが届きました

泉谷と申します。人文地理学の研究をやっています。とは言っても、研究で生計を立てているわけではありません。普段は家庭教師や個人学習指導のお仕事をしたり、まちづくり関係のNPOで有償のボランティア作業や事務作業やったりしています。ときどき、着物を着た詩人が代表を務めるNPOでカフェスタッフも務めています。

突然ですが。

ある時ふと何かの拍子に、いつもの見慣れた風景や場所が、異様な表情や雰囲気を持っているように見えてしまう経験はありませんか?

私にはときどきそういう体験があります。いつもの帰り道が、全く知らないまちの全く知らない通りに思えてしまったり、見慣れた景色が突然異様にすばらしく感じられて背中がザワザワそよぐように感じたり。ある場所が、それと同種のものが想像できないほどに、固有でユニークで異様な雰囲気を装って現れるのです。こうした体験は、地名を持った特定の場所を何かしらユニークで個性的なものとみなす態度の、いわば原体験のようなものかも知れません。しかし、その時に感じた「全く知らないまちの全く知らない通り」や「突然感じられた異様にすばらしい景色」は、さて、そもそもこの世界のいったい「どこに」存在していたのでしょうか?

それが、去年私が研究していたテーマです。

問題なのは、そうした独特で固有の「全く知らなさ」や「異様なすばらしさ」が、そもそもいったい「どういった」ものであり「どのように」感じられたのか、それらを適切に表現できる言葉が見つからないという点にあります。どうも、どんなに言葉を紡いでも、そこには到達できないように思われるのです。つまり、「どこに」存在していたのかを、言葉で決して指し示せないわけです。もちろん、身悶えとともに何とかそれを伝えようと四苦八苦しているうちに、なぜか私が何を見て何を感じたのかを察してくれる人も、まれにはいます。にもかかわらず、その時でさえ、その場所がいったい世界のどこにあったのか、その四苦八苦によってさえも決して指し示されてはいないのです。

言語の内側を世界の内側と考えるのであれば、詩情、情感、感嘆、驚きなど、決して言葉で語り尽くすことのできないようなものは、この世界に存在しているとは決して言えないように思えます。そうした感嘆や情感とともに感じ取られるような、場所の固有性についても同じことが言えるのかも知れません。つまり、私が感じ取った異様で独特の雰囲気はこの世界には存在せず、従って場所の固有性とは一種の夢想であると。しかし、それではなぜこの世界(つまりは言語の内側)に存在しているとは決して言えないようなものについて、現にこうして語ることができるのでしょうか。

私がある場所の独特の雰囲気を感じ取ったときに、その独特の雰囲気は世界の内側にあるものとして有意味に語ることができるのか、それとも決して語りえないのか。私的な体験について考えていたつもりが、問題がどんどん雪だるま式に膨らんでしまったようです。けれど、生きている間の暇つぶしの種としては申し分ありません。これからじっくり考えたいと思います。

ところで、私が尊敬する哲学者の一人であるウィトゲンシュタインも、こうした「語りえないもの」について、世界内の存在とは考えていなかったようです。彼は、詩情や感嘆、情感といったものを哲学的に語りうるものの世界から排除しました。先に書いた私の考えにも、実は彼の思考が大きく影響しています。そんなウィトゲンシュタインも、プライベートな手記、つまり哲学の外側では、こんなことを言っています。

哲学に対する私の態度は、「そもそも哲学は、詩のように作ることしかできない」という言葉に要約できるだろう。この言葉から、私の思考がどこまで現在の、未来の、あるいは過去のものであるかが、わかるような気がする。この言葉によって私は、自分のやりたいことを完全にはできない者だと告白しているわけだから(ウィトゲンシュタイン,L著・丘沢静也訳『反哲学的断章―文化と価値』青土社、pp78-79)。

言葉だけを武器にして研究をやっている身としては、語りえることのみを詩情を排して徹底的な明晰さで語ろうとする哲学者ウィトゲンシュタインの姿勢には共感を覚えます。同時に、それでもなお人生そのものから詩情を排することができなかった、あるいは、実は詩情でもってしか接することのできないような謎を相手に哲学をしていたのかも知れない、そんな人間ウィトゲンシュタインにもどことなく愛おしさを感じます。

もしかしたら、ウィトゲンシュタインは私が一番尊敬している詩人でもあるのかもしれません。

みなさんが尊敬する詩人はどんな人ですか?

いつかまたそんなたわいもないお話ができる日が来ますように。


□泉谷洋平さんってどんなひと?

1975 大阪府豊中市生まれる。12歳までの間に、東京、大阪、ジャカルタ、東京と各地を転々とする。
1994 高校卒業。大学に入学。大阪に移り住む。2年後に京都に移る。
1998 地理学で卒論を書いて学士号取得。修士課程に進む。
2000 地理学で修論を書いて修士号取得。博士後期課程に進む。学術振興会特別研究員に採用される(〜2003.3)。
2003 博士後期課程を認定退学。柳原銀行記念資料館の事務局で仕事を始める。釜ヶ崎のまち再生フォーラムで事務局と地域通貨を手伝い始める。フリーランスとして地理学関係の論文や雑文を書き始める。大阪の現住地に移る。
2004 cocoroomカフェスタッフになる。
2005 おおさか元気ネットワークのお手伝いを始める。
2006 再生塾YARで講師を務める。現在に至る。

過去に執筆した論文などは、以下のサイトをご参照下さい。
Under Construction for Good 〜 泉谷洋平's website 〜
研究者 | permalink | - | -
■Contents
top
poetry
members link
saruret