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2011年8月号 中村大史(なかむらひろふみ)さんより、おてがみが届きました

僕はいま疲弊している

今夜も音楽で身体が満ちて、自分を表現することができて、それを受け止めて喜んだり想像力を働かせてくれる人たちがいて、お金も沢山はないが少しはあって、お腹が空になる前に食べることができて、ふかふかではないがひとりで安心して目を閉じられるベッドがあるのだが、疲弊している。

朝が来ればきっと少し忘れて、また明日は別の形をした疲弊が別の角度からやってくるのだと予想できる。


本当はひとつひとつの出来事やモノや人を大事にしたいと思うのに、それができない夜は悔しくて涙がでるくらいです。

文字にするとすごく重たい夜ですが、案外その疲弊を楽しんではいます。心配してもらいたいわけではないのです。




女流詩人の方々 今まで何度問われたことか存じませんが
貴女はどんなときに詩をしたためるのですか?何を想って詩の最後の一文字を置くのですか?

僕はいつも、他の何か(人だったり、偶然の瞬間だったり、記憶だったり)と通じ合った瞬間や、響きそのものや構成の美しさを音楽の中から見出しては、自分だけの宝物のように慈しむのですが、ときに、それを曲という形にして人の耳に届けることには諦めに似た感情が伴います。

音楽に句点を加えることで、そのお話はそれで終わってしまうのです。限定されてしまうのです。
なんて皮肉なのでしょう、句読点を加えて輪郭をつくることで生まれる美しさもあるというのに。愛着さえ、その先にあるものです。

音楽は快楽を生みます。これは非常に危険なことだとおもいます。そして尊いことだとおもいます。
常に、ひとつひとつの音は意味と想像力を孕んでいるべきです。




こんなことに考えをめぐらせると、何もできなくなりそう。
馬鹿なことを言うと、そうなってから何ができるかがしたい。自分を過信している気もする。


歩き方の美しさと、歩幅の大きさ、どちらを目指すかということについて考えるが、僕はそれらを行き来することでうまれる推進力がすきだ。それは、スケートに似ている。僕はスケートがすきだ。


音楽でコミュニケーションできた気がしたときの感動とか、感情で音楽を高めたり楽しむこととか、音楽よりも人をすきになることとか、忘れたくないな。





まだ出会っていない貴女を手紙の向こうに思い浮かべると、ついつい自分のことばかり投げかけてしまいました。
今度会えたときには、貴女の話をたくさん聴かせてくださいね。

それでは、また。





■中村大史 / hirofumi nakamuraさんってどんな人?

nakamura

北海道帯広市出身。1985年、夏の朝に誕生。
東京芸術大学音楽環境創造科卒業。音楽家。

アコーディオン、ギター、ブズーキ、ピアノ等を演奏したり、歌ったり、作曲したり。


オリジナルを演奏するアコーディオンデュオ、momo椿*では、カフェや喫茶店、映画館、美術館、教会、縁日、ファッションショー、バレエの舞台などで演奏したり、音楽劇の制作、舞台音楽の創作、人形作家や型染め作家との劇の共作など。

アイルランド伝統音楽の演奏では、複数のグループに所属し、日本各地の様々な場所や機会で演奏・普及活動をしている。

詩と音楽のコラボレーション集団、VOICE SPACEのメンバーとして、谷川俊太郎、佐々木幹郎、覚和歌子の各詩人と共演。詩人のことはよくわからない。でも詩は好き。好きな詩とそうでない詩があるくらいには好き。

最近の主な作曲は、あいちトリエンナーレ2010出展作家「KOSUGE1-16」作品の音楽制作。



陸上競技とスピードスケートが大好き。あと甘いものが好き。
今まで一緒に暮らしたことがないくせに、将来は猫と暮らしたい。



ブログ「!!!!!anianianiiiii」http://anilaly.jugem.jp/

momo椿*:http://www.momotsubaki.com/
O'Jizo:http://www.kozo-toyota.com/ojizo/
tricolor:http://tricolor3.web.fc2.com
John John Festival:http://jjf.jimdo.com/
VOICE SPACE:http://www.voicespace.jp

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2010年11月号 山口 智さんより、おてがみが届きました

もうちょっと早くお手紙するつもりが、ずいぶん遅くなってしまいました。 私はミュージシャンなんですが、詩の朗読などと一緒に演奏させていただく機会がよくあって、それが縁でこれを書いています。 ふだんやっている音楽は、ハンマーダルシマーという珍しい楽器で、オリジナル曲とか即興演奏をするという、ジャンルでいうと何なんですか!?みたいなことをやっているせいか、なかなか自分のやっている音楽について言葉で説明するというのはむずかしいもんだなあと思っています。おまけに最近は、このハンマーダルシマーとキーボードを二段重ねにして両方弾くのがおもしろかったりという今日この頃で、「世間一般」からすると、ますます何をやっているのか謎なことになっているのかもしれません。 別に、音楽に解説はいらない!というつもりも全然ないのですが、ただ説明するのがめんどくさくなってしまう、ということのような気がします。演奏を聴いてくれた人に、「癒されました〜」と言われて、いや、やってる方としては、全然そういうつもりでもないんだけど、とか思いながら、まあ聞く人が自由に受け止めたらいいことなので、それはそれでまあいいか〜と思ったり。一人で演奏したり、いろんなバンドやユニットで演奏したりするのですが、どちらかというと、歌のないインストゥルメンタルの音楽をすることが多いです。そんななかで演奏したり曲をつくったりする時は、いろんな音の醸し出すイメージとか空気感とか雰囲気をとらえながらつくっていくので、非言語的能力?を使ってるんでしょうか。 でも時々、歌のサポートをしたり、朗読と一緒にやったりすることがあります。そんなときには、そこで歌われる歌詞や、朗読される言葉に心を動かされたり、刺激されて、演奏も盛り上がって、とてもいい感じになることがあります。言葉というのには、そいういう力があるんだなあと思います。そういえば、ふだんCDを聞くのも、歌ものもよく聞いてたりします。 そんな言葉に、これからも、いろいろたくさん出会いたいなあと思っています。

■山口 智さんってどんな人?
tomotomo

■プロフィール
山口 智、奈良県生まれ。1987年から西欧の打弦楽器ハンマーダルシマーの演奏に取り組み、独自のスタイルを確立。オリジナル曲、即興演奏を中心に、その独特の美しい音色を生かしたダイナミックで詩情豊かな音楽を作り続ける。ソロの他、様々なバンド、ユニットにも参加。数多くのミュージシャンと共演。朗読やダンスからお経まで異ジャンルとのコラボレーションも多数。映像、演劇の音楽作曲制作にも携わる。ギター、キーボード、フィドル等々も演奏するマルチプレイヤーでもある。最近はライブでもダルシマーとキーボードを併用するスタイルを構築しつつある。

http://yamaguchimusic.com
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2008年6月号 小沼亮子さんより、おてがみが届きました

蘭の会のみなさま、はじめまして。
小沼亮子と申します。ふだんはサックスを吹いています。
私は非常に筆不精で、このお手紙を書くのに、ああでもないこうでもないとうじゃうじゃと頭を掻きながら考え、三歳になる息子を寝かしつけながらようやく携帯を手に取り(携帯が私にとって一番文章を考えやすい道具なのです。肩肘をはらずにすむので)お手紙をやっと書きはじめました。
お手紙とはなんのために書くのでしょうか。ひとによって色々答えはあるでしょう。年賀状も暑中見舞いもなおざりにしている私にとって、まだまだ答えは見つかっていません。今日のお手紙は自分を知ってもらうべく、自分の周りのこと、思ったことをつらつらと書きたいと思います。

さて、私がそれを通して世界とふれているもの、サックスとはとても良いものです。そんなに重たくないし(楽器にもよるけど)音は声より遠くまで響くし、アンプもいらず山でも街中でもどこでも好きなところで吹けます。音楽は、サックスの先っちょから出て行ったらもう空気に溶けてしまって、自分のものではなく、世界の一部になってしまいます。
実に、気楽なものです。そこらへんがとても素晴らしいですね。
しかし、紙に記した言葉や美術作品なんかは、いつまでもそこに形をもってあり続けるのですね。
ある日、ずっとそこにあり続ける言葉や美術作品が急に怖くて仕方がなくなりました。ふと読んでいた本の奥付をみて、あ、この本って死んだおばあちゃんが若かったころに書かれたんやな、と気づいたのがきっかけでした。自分が死んでも、その孫が死んでも、その言葉は何十年も、もしかしたら何百年も残ってしまうのです。急に怖くなりました。
たぶん、それを創った人たちの揺るがなさとか、決意とか、未来の自分や子孫、何万人が見ても恥ずかしくないのだというすっくとした感じが自分には無く、それが怖かったのだと今では思うのです。
今ではそこまで畏れのような感情はうすれているのですか、いまだに記録された言葉や美術作品には背中がぴっとなります。
書かれたものでもうひとつ、とくに怖いのは楽譜ですね。普段は即興演奏やら楽譜なしで演奏するデュオなどが多いのですか、たまにクラシックもやることがあります。二百年くらい前に、顔も知らない誰かが作った曲をたったの紙切れ一枚をたよりに、音楽を現代に召還するのです。これはかなり恐いです。そもそも、私の吹いているサックスという楽器は近年完成されたもので、二百年前にはありません。フルートとか声楽とかの楽譜をサックスに置き換えて吹いています。そして、ちびっこいひらひらのついた黒い丸をたよりに音を出します。あ、シャープつけんの忘れとった。まけといてや。ちっさいこと気にすんな。ではすまないのです。残念ながら。
大変で面倒ですが、吹きはじめると楽しいです。知らない昔の人からいただいたやさしい手紙を読んでいるような気になります。おなかのあたりがほくほくしてきます。サックスの先から光のつぶが出て、一瞬ですがそこらへんがぽっと明るく見える気がします。
即興でもクラシックでも楽器を吹いていて、そのぽっと明るくなる瞬間が大好きです。お客さんの顔もよく見えます。
先日練習していると息子がやってきて、サックスをいつものように不思議そうにのぞきこみながら「ママ、これってトロフィー?」とききました。
トロフィーなのかもしれませんね。


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■小沼亮子(おぬまりょうこ)さんって、どんな人?

小沼亮子

サックス奏者 クラシックからハードコアまで様々な演奏活動のほか、ドキュメンタリー映画のライブ上映の生演奏、音楽ワークショップ講師などの様々な活動をしている。

ブログ「サックスひとつでできること」 http://d.hatena.ne.jp/onoomer/

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2008年5月号 かつふじたまこさんより、おてがみが届きました

蘭の会のみなさまへ

ずいぶんと日差しが強くなって来て、もう夏の匂いがしてきそうな5月。
いかがお過ごしでしょうか?

はじめまして、かつふじたまこと申します。

私は、音を聴くのが大好きなのです。
突然の自己紹介でこんな風に言うのもおかしいかもしれませんが。

うーん、例えば普段の生活の中で、コーヒーをかき混ぜる時にスプーンがコーヒーカップの縁にあたったり、立てかけていたほうきが倒れたり、あ、ほうきで掃く音とか、蛇口に残っていた水が突然流れたり、空の紙コップを持った時に爪があたった音とか。
あっ、て思うとずっと聴いててしまいます。

あと他に聴いていて幸せになる音は、愛猫が水を飲む音、カリカリ(ドライフード)を食べる音、それから窓の外から聞こえる子どもの遊ぶ声、おばちゃん達の通りがかりの挨拶の声.......きりがありませんね。

私は時々録音機とマイクを持って、街に音を探しに行きます。マイクを持ってヘッドホンで聴きながら歩くと気付いていなかった音に気付いて

そうして集めた音を使って、私は音の作品を作っています。
えっと、きれいな小石や落ち葉を拾って帰って、並べて換えたり、色を塗ってみたり、張り合わせてみたり、といった感じかしら。
もっとも音は手では触れないので、コンピューターに取り込んで、耳で聞きながら並べ替えたり重ねたり、時にはひっくり返したりしながら作って行きます。
テーマを決めて音を探したり、集めた音から刺激を受けてテーマを決める事もあります。
そうしてできた作品を、音だけの作品として聴いてもらったり、ダンス作品や映像作品とのコラボレーションで発表したりしています。


実は今回、蘭の会のみなさまにお手紙を書く機会を頂いたのは奇遇な事で、と言うのは、今、あるひとつの詩をテーマに作品を作っているところなのです。

5月の終わりに、私と同じように音の作品を作っている作曲家達が、岡本武士さんという詩人の詩をテーマにそれぞれに作った作品のコンサートが、大阪平野区の全興寺さんで開かれるのです。

私が頂いたのは「静寂願望」という詩。
少し寂しそうな少年の詩です。
「静寂」を望んでいるのか、それとも静かで寂しい「望み」なのか。まだ迷いながら、制作途中なのです。
これまでも詩や物語のテキストを題材に作品を作ったりもしてきました。
人の口から出る言葉ってとっても力があるな、といつも思います。その言葉に込められた物語を膨らませてみたり、純粋に言葉の響きで遊んでみたり。今回は....ちょっと苦戦中。
少年が寂しくて、私も心がふさぎ込んでしまいそうになるからでしょうか....。

なんだか、宣伝になってしまって恐縮なのですが、せっかくお手紙を書く機会を頂いたので、詩人のみなさまに聴いて頂けたならとても嬉しいなと思う、詩の朗読と音の作品のコンサートの、下に詳細を書かせて頂きますね。

詩人の方が「ことば」で世界を描くように、私も「音」で何かを表現して行けたらな、と思っています。よろしかったら、私のホームページにも遊びにいらして下さい。少し音の作品をお聴き頂けますので。

まだまだ、気温の差が激しい日もあるようですので、お身体お大事にして下さい。


2008年5月8日

かつふじたまこ


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ih plus vol.4 - アクースモニウム・ライブ

電子音響歌集

岡本武士の詩からインスピレーションを得た14名の電子音楽家による空間音楽と詩の朗読によるコンサート

2008年5月31日(土)、6月1日(日)18:00開演(30分前開場)【両日同じ演目】
全興寺 Senkoji(大阪市平野区) URL:http://www.senkoji.net/
当日3000円・予約2500円【各日20名限定】

出演者、詳細は
http://musicircus.net/ih-plus/
をご覧下さい。

ご予約
ih plus事務局
E-mail:ih-plus@musicircus.net
TEL:090-2597-1386(檜垣)

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■かつふじたまこさんって、どんな人?

かつふじたまこ

大阪生まれ。舞台音響家。音作家。

大阪芸術大学音楽学科卒業。在学中よりら詩や言葉を使ったテープ作品やシアターピース作品の制作を始める。寺山修司の詩を用いた『水妖記』、谷川俊太郎の詩を用いた『今日、学校を休んだ。」を発表。

2000年、パリのフランスラジオ放送局内の研究所INA-GRMにてミュージック・コンクレートを学ぶ。以降、CCMC(東京)FUTURA (フランス)等、国内外のフェスティバルにて作品を発表。CCMC2005の入賞作品『WRAP』が最優秀賞であるACSM116賞を受賞。2005年の夏に2度目の渡仏をし、アクースモニウムの演奏を学ぶ。

芝居への楽曲提供や、振付家、そよか、隅地茉歩らとのコラボレートでダンス作品の音も手掛ける。

2004年より、ダンサーや美術家、映像作家らを巻き込み「音」+ ( )で空間を表現するシリーズ『Full Space』を展開中。

一方、屋号を月猫音市場とし、音響家として芝居やダンス、コンサートなどの舞台作品の音響を務める。

街角で、建物の中で、耳を澄まして「音」を聴く事が大好き。たまらなく好きになった「音」を集めて紡ぎ合わせ、”日常”のとなりのちょっとへんてこな世界を表現しています。

月猫音市場HP http://www.geocities.jp/hello_tsukineco/
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2006年1月号 飯島秀司さんより、おてがみが届きました

「音の心象風景」  飯島秀司/音楽家

ココルームの私の机の引き出しには、DATテープの山がある。
The Lighthouse Tapes。視覚障害者施設でのワークショップの模様が収められたこれらのテープには、日付と参加者名だけが記載されており、2週に1度の土曜の午後、 私たちが過ごした90分の記録として存在している。
ワークショップは、いつも雑談から始まっていく。
椅子にたどりつくまでの短いナビゲートの間、声はいつも自然と小さくなる。
くぐもったガットギター響きで、その日の空模様までわかってしまう。そんな気がするだけだろうか。手始めに、たっぷりのストレッチと深呼吸を繰り返す。 テープに収められた環境ノイズの中から、かすかな呼吸の音が聞こえてくる。
詩人が吉野弘の詩を読む。「犬とサラリーマン」。
犬と会話をかわしそうになるが、思いとどまる。そんなサラリーマンの呟きが幻の風景にようにそこにあった。
それから、身体をまっすぐにしてみる。
それぞれの声の持ち主がぎこちなく声を重ねはじめる。
詩人は話しかける。
好きな坂について教えてください。
坂についての思い思いがゆっくりと、ゆっくりと、返ってくる。
あなたの好きな坂はどんなでしたか。
父さんとトラクターで坂を走ったなぁ。それぐらいだ。
あなたの坂の想い出を聞かせてください。
いつも坂を探していました。自転車で駆け降りる為の坂を。
あなたの暮らした町の坂は、どんな坂でしたか。
くだっては、のぼり、のぼっては、くだり。
毎日、毎日、どこまでもつづく坂をのぼりおりするのがつらかったぁ。
坂を語る女の声が、歩んできた人生について。
テープレコーダーを前にした私は、はっと息をのむ。
くだっては、のぼり。のぼっては、くだり。
さっきの男が、しみじみ言う。
そのうち坂を探すことが、とてもばかばかしいことだと気づき、そんな遊びはやめてしまったのです。
やがて、いくつもの声が立ち上がる。雲母のように幾層にも重なった声が確かな存在をなしはじめる。ときどき、ひときわ大きくなる男の声に、声の持ち主の その場への精神的な負荷と、エゴに似た自意識の緊張を聴くことができる。それはまぎれもなく私の声だった。
意志を持ちはじめたように、声々がオーケストラのように響いた。
混濁していたハーモニーが澄み渡りはじめ、雲の上に糸が伸びていく。
その場所で、詩人はひとりだった。彼女がもういちど話しかけようとする時、言葉は、ひとりからひとりへ向けられた詩を詠う声に変わっていった。青空が広 がっていく。

女流詩人のあなたへ。
そして、あなたへ。
尊敬を込めて。



□飯島秀司さんってどんなひと??



■cocoroom事務局/飯島秀司
ezman@nifty.com

■特定非営利活動法人こえとことばとこころの部屋
〒556-0002
大阪市浪速区恵美須東3-4-36フェスティバルゲート4階cocoroom
tel&fax:06-6636-1662 tel:06-6636-1612
cocoroom@kanayo-net.com
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2005年12月号 山内桂さんより、おてがみが届きました


私はこの05年10月で脱サラ3周年を迎えます。SALMO SAXと名付けた即興演奏を中心としたプロデビューして3年活動したことになります。
そのことはサラリーマンなどの人々に勇気を与えうるものだと思いもする一方、外国ではその受け取り方はどうなのだろうと疑問が生まれました。
私はこの3年間に単身ヨーロッパへ4回行って、世界の中の特殊な国、ニッポンを実感しました。一生を会社に捧げるところから出発するこの社会。それに よって幻想かもしれない安定を与えられ、見返りに自由を制限され、その会社世界を出ることを破滅のように感じさせるシステム。
もちろん私にとっても大変な決断でしたが、23年間のサラリーマン生活を辞めてミュージシャンになったと言ったところで、外国の人にはそのニュアンスは 伝わらない気がするのです。かの地ではそもそも脱サラという概念はないのではないか。脱サラ自体そんなに大変なことではないし、ミュージシャン稼業自体 も、国によっては各種補助等で保障されてもいるのですから尚更、ということです。
私としても殊更に脱サラを強調することは核心でもないので、なにか違和感を感じるのですが、この国で私を語る時、やはりそれは重大ではずすことはできな いでしょう。
私は辞表を出して色々な呪縛から開放されました。人はどんな仕事であれ携わる気持ちひとつであり、サラリーマンが悪いということではないけれど、現実に はその中で生き生きと人生を謳歌するのは難しいのも事実だと思います。
私は自分の小さな自由を守るため防衛体制を作り、また気付かぬ内にあきらめを前提にした行動様式を定めていました。音楽や冬山などに相当チャレンジもし ました。でもそれはすべて自分が作った限界内のできごとでした。どんなに凄い事をやってもその枠の中ではだめなのです。小さな事でもそこに枠がないこ と、作らないことが重要です。それは人の人生そのものです。人の自由はそこにあります。
私はなんと不自由だったか思い知り、そして私の演奏、音楽は変わりました。いつしか封印していた小さな音や無音、それらを解き放つだけでも大きく変わり ました。音のパワーと音の大きさは別次元のことです。
更に演奏を続けていくうちに気付いたのですが、私はいつも境、狭間に惹きつけられ綱渡りをしているのです。
音と無音、旋律と音響、即興と作曲、ある音が変化する瞬間の音、サックスから音が生まれる瞬間の音、等々。それらによってそこに豊かな音世界と発見と挑 戦が生まれます。
即興演奏の前は不安です。音を発する瞬間まで何をするか考えませんし、「意図する」ことは大きな障害のひとつになりかねませんから。いったん音が出れば 後はそれになかば委ねるのです。そしてゆるやかにコントロールします。身体の発する音、感じる心を逃さないよう集中し、サックスの思いがけない音を楽し み漂い、しばしの旅をします。それは二次元のそれではなく、細胞のDNAの持つ遠い過去の記憶、時の旅です。同時にそれは共通の生命の記憶を持つ世界の 人々へつながり、それは更に今とこれからに広がっていきます。
そうして現在、未熟ながらも国内やヨーロッパをサックスを持ってひとり渡り歩く人生を送り、作っているのです。
私はサラリーマンとしては挫折しました。問題なのは自分が閉じていたことでした。閉じないためには自分の身体が発するメッセージを受け取ること、つまり 自分の直感、感性を大事にして判断し生きることだなと思います。
今も自分が解放されているなんてとても言い切れません。人はひとつの殻を破っても、また次の殻にとらわれます。厄介なのはそれに気付かないことです。だ からこそ1度でも解放のベクトルの角度を持てることは幸いです。
脱サラ後、地元で色々なことが起きました。でも「捨てる神あれば拾う神あり」、を感じます。そのプラスの角度を維持していれば、会うべき人と出会い、な んとかなっていくような気がします。
それはすべての職業に言えることでしょう。100%正しい直感、感性を曇らせる頭脳のはたらきに惑わされないよう、現実に即して柔軟に対応する、それは 即興演奏の真骨頂でもあるでしょう。
私はふたつ目の人生を始めたばかりです。まだまだ手探りの状態でどうなるのか分からないこれから。自分の直感、感性を信じ、楽しみながらのミュージシャ ン人生に挫折はないでしょう。




□山内桂さんってどんなひと??



山内 桂(やまうち かつら)プロフィール
     (ソプラニーノ、Cメロディ・ソプラノ、アルト、バリトン/サックス)


1954年  大分県別府市生まれ

熊本の小学校時代  ピアノ、器楽部でベース、その他の楽器演奏。

広島の高校卒業後  サックスを始める。

松山の大学時代
フリージャズをきっかけにインプロビゼーション・ミュージックを始め、高木元輝、
近藤俊則、等とワークショップを重ね、M.グレイブス、D.ベイリー、H.ベニンク、
T.ホンジンガー等の初来日松山公演、間章氏に関わる。
ING、HOY、UNIT などのバンドで活動。

1979年 
 松山で就職。のち大分へ転職。
退職までの23年半、地元バンドで活動の他、内外のミュージシャンとの交流も続ける。
M.メンゲルベルク、H.ベニンク、E.ライジガー、B.フィリプス、ジョー水城、
豊住芳三郎、大友良英、等。

2002年10月
 退職。
 以後、ミシェル・ドネダ、斎藤徹、大友良英、千野秀一などと共演。
 初CD、サックスソロ「SALMO SAX」リリース(2003年8月)。 

2005年10月現在 
 大分市在住
退職以後四度の欧州ツアー(オランダ、ベルギー、フランス、スイス、ドイツ)を含め、
国内各地で SALMO SAX 演奏活動展開、開拓中。
2005年5月29日、フランスSt-Etienneのフェスティバルに参加。来年も内定。
 今後の予定:
 関西、名古屋ツアー(10月下旬)
CDリリース予定/2004年5月録音、Duo with Michel Doneda in Toulouse。
                               
(文中敬称略)
               
http://salmosax.com/



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2005年3月号おてがみ 合田 清さんより、おてがみが届きました

蘭の会、まだ見ぬ友人の恋人たちへ



アンソロジーの上梓、おめでとうございます。また読ませて頂き、感謝致します。「原初、女性は太陽であった」と誰かが言いましたが、私にとっては女性は 「月」。

日々刻々と変化し、満ち、そして欠け、命の始まりと終わりと、その生理と支配する。
光、銀色に輝くかと思えば、ゴーダ・チーズの如くとろりとした乳黄色となり、温かいかと思えば冷たく、時には熱い涙を流させ、大地震の前には赤く光ると いう月…。
青い水の星、地球とは切っても切れない糸で結ばれている月。私は月を愛しています。

24編の詩には、このような変幻万華の女心が、詩というフォルムをとって現れていて、私は楽しくもあり恐ろしくもあり、首をすくめる思いさえ致しまし た。「情念」というものが感じられ、これは男にとっては全くの謎であり刃向かえないものであるからです。

ことばは人の心を結ぶ大切なものです。それを使って詩を「する」ということには、相当な覚悟と責任感が必要でありましょう。そうでなければ「詩人ごっ こ」に堕ちてしまいます。世の中には実に様々な「ごっこ遊び」があって、つい最近、私は「伝道ごっこ」としていたあまキリスト教会をぶっつぶして差し上 げました。辛くても悲しくても、真実には月を向けるべきだから!ようやっと私も、真実に音楽をやっているという自覚を持つに至りましたが、かなりの年月 と試練が必要でした。2度3度、もう止めようかと思ったときもあり、でも今ここに来て良かったと感謝し、愛を以って奏でています。

「継続は力」と申します。蘭の会の皆様もどうぞ末長く続けて下さいますように、心よりお祈り致します。また「結び目」の美しさにこそ愛があることを思い ながら、本日は筆を置きます。どうぞ、おきばりやして!

ザ・ピアノマン 合田 清



□合田清さんってどんなひと??



さすらいのザ・ピアノマンと称してそこら中でピアノやキーボードでクラシック音楽を弾いている変なおっさん。これを鬼才という。今はココルームに本拠を 置き、J.S.バッハに集中しているが、それは近く「二声・三声のインヴェンション」のCDをリリースするつもりだから。2005年4月15日(金)午後7時から ココで同曲のリサイタルを開く。難しいことを易しく語る独特のレッスンは好評です。歌もピアノも何もかも!一度お試しあれ!!

ココルームに問い合わせる

編集者注>
上記情報は2005年時のものになります。イベント等のお知らせなどは終了しておりますので、ご了承くださいませ。

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2005年2月号おてがみ 阿佐田亘(a.k.a. 大和川レコード)さんより、おてがみが届きました

『日常とアートの狭間に』 阿佐田亘(a.k.a. 大和川レコード)

最近、自転車に乗り始めた。
家から職場までの片道25分。以前なら電車越しで眺めていた遠い風景、瞬く間に過ぎ去る風景が、自転車に乗ることで、目の前をゆったりと流れる"手に取れる風景"となった。手に取れる風景は、様々な人々の日常をリアルに映し出す。公園で遊ぶ子供たちの日常を目にする度、そこから何らかの人間的"純度"を得ている気がするのであった。

僕はアーティストである。また、アートと関わって仕事をしている。
アートは日常に非日常を持ち込み、人々に"ハレ"を与えると言われている。
日常では味わえない新たな発見を、高揚を、見る者にあたえるものとして。
しかし、一概にアートを非日常的なものと定義することにはいささか疑問がある。アートに関わる者自身にも当然、日々日常があり、その日常を踏まえた上で、作品を作ったり、舞台に立っているのだから。

このように考える僕は、以前から、意図的なレベルで、"日常を作品に還元させる方法"を探ってきた。自分の生活で直接遭遇した環境を録音したり、撮影したりする方法で採取し、それを作品に取り込み、最近では日々の何気ない行為を映像に収め、編集する作業に取りかかっている。
ここでは自分はクリエイターとして何かを新しいものを生み出している自覚は正直ない。
むしろ今そこにある日常を再編集して構成しているという点で、極めてコレクター的であるとすら言える。

蘭の会アンソロジーを読ませて頂いた。
"詩"という表現が持つ独特の日常性に感じ入った。僕は詩人ではないが、同じアーティストとして、読ませて頂いた詩集の中で、日々の感覚を共有している気がした作品があった。
ナツノさんの『台所小宇宙』である。作者のあとがきに書いてある"主婦であり母である生活の中で言葉をさがしています"。自分が発したいメッセージの欠片がそこにはあった。

アートと日常は、常に相対的にお互いの位置をずらし合いながら、漂っているように思える。
そこに厳然たる境界線は存在しない。仮にあるとしてもその線引きは人間が決めるのであって、僕は出来るかぎり、その線引きを曖昧にしたまま、日々生活、日々創作を続けたいと思っている。





□阿佐田亘さんってどんなひと??


アーティスト / 1979年1月1日 大阪生まれ。

“大和川レコード”名義で活動。

「風景の切断」をテーマに、音楽/楽曲の提示の在り方を追求したライブ/インスタレーション作品を発表。日常をパーソナルな視点で切り取り、様々なメディア(映像、音記録物、歌、パフォーマンスetc)を用いたトータルな表現を試みる。音楽フェスティバル、映画館やギャラリー、美術館にて作品を発表。自主企画『風倒木地』主催。また、作家活動と平行してNPO法人COCOROOMにて企画制作、キュレーションの仕事を手がける。現在、CD作品「選び採取られた日常」店頭リリースまでの過程を綴るBlog『"売り込み"アートプロジェクト』(http://blog.livedoor.jp/urikomiartproject/)公開中。

阿佐田亘さんのHPはこちら>>>
http://www.geocities.jp/endeavor0203/



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