2011年8月号 中村大史(なかむらひろふみ)さんより、おてがみが届きました
僕はいま疲弊している
今夜も音楽で身体が満ちて、自分を表現することができて、それを受け止めて喜んだり想像力を働かせてくれる人たちがいて、お金も沢山はないが少しはあって、お腹が空になる前に食べることができて、ふかふかではないがひとりで安心して目を閉じられるベッドがあるのだが、疲弊している。
朝が来ればきっと少し忘れて、また明日は別の形をした疲弊が別の角度からやってくるのだと予想できる。
本当はひとつひとつの出来事やモノや人を大事にしたいと思うのに、それができない夜は悔しくて涙がでるくらいです。
文字にするとすごく重たい夜ですが、案外その疲弊を楽しんではいます。心配してもらいたいわけではないのです。
女流詩人の方々 今まで何度問われたことか存じませんが
貴女はどんなときに詩をしたためるのですか?何を想って詩の最後の一文字を置くのですか?
僕はいつも、他の何か(人だったり、偶然の瞬間だったり、記憶だったり)と通じ合った瞬間や、響きそのものや構成の美しさを音楽の中から見出しては、自分だけの宝物のように慈しむのですが、ときに、それを曲という形にして人の耳に届けることには諦めに似た感情が伴います。
音楽に句点を加えることで、そのお話はそれで終わってしまうのです。限定されてしまうのです。
なんて皮肉なのでしょう、句読点を加えて輪郭をつくることで生まれる美しさもあるというのに。愛着さえ、その先にあるものです。
音楽は快楽を生みます。これは非常に危険なことだとおもいます。そして尊いことだとおもいます。
常に、ひとつひとつの音は意味と想像力を孕んでいるべきです。
こんなことに考えをめぐらせると、何もできなくなりそう。
馬鹿なことを言うと、そうなってから何ができるかがしたい。自分を過信している気もする。
歩き方の美しさと、歩幅の大きさ、どちらを目指すかということについて考えるが、僕はそれらを行き来することでうまれる推進力がすきだ。それは、スケートに似ている。僕はスケートがすきだ。
音楽でコミュニケーションできた気がしたときの感動とか、感情で音楽を高めたり楽しむこととか、音楽よりも人をすきになることとか、忘れたくないな。
まだ出会っていない貴女を手紙の向こうに思い浮かべると、ついつい自分のことばかり投げかけてしまいました。
今度会えたときには、貴女の話をたくさん聴かせてくださいね。
それでは、また。
■中村大史 / hirofumi nakamuraさんってどんな人?
北海道帯広市出身。1985年、夏の朝に誕生。
東京芸術大学音楽環境創造科卒業。音楽家。
アコーディオン、ギター、ブズーキ、ピアノ等を演奏したり、歌ったり、作曲したり。
オリジナルを演奏するアコーディオンデュオ、momo椿*では、カフェや喫茶店、映画館、美術館、教会、縁日、ファッションショー、バレエの舞台などで演奏したり、音楽劇の制作、舞台音楽の創作、人形作家や型染め作家との劇の共作など。
アイルランド伝統音楽の演奏では、複数のグループに所属し、日本各地の様々な場所や機会で演奏・普及活動をしている。
詩と音楽のコラボレーション集団、VOICE SPACEのメンバーとして、谷川俊太郎、佐々木幹郎、覚和歌子の各詩人と共演。詩人のことはよくわからない。でも詩は好き。好きな詩とそうでない詩があるくらいには好き。
最近の主な作曲は、あいちトリエンナーレ2010出展作家「KOSUGE1-16」作品の音楽制作。
陸上競技とスピードスケートが大好き。あと甘いものが好き。
今まで一緒に暮らしたことがないくせに、将来は猫と暮らしたい。
ブログ「!!!!!anianianiiiii」http://anilaly.jugem.jp/
momo椿*:http://www.momotsubaki.com/
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