2010年7月号 Kit Garchow (キット・ガーチャウ)さんより、おてがみが届きました
「キットの活動を説明する手紙」
社会的な意識は唯一つのところから生まれるものではありませんが、私が小学生の頃に地元が町ぐるみで運動を起こし、政府の耳を町の要求に傾けさせるのを拝見したことが私の成長期の重要な経験のひとつになります。 今の考え方が当時の出来事の影響を見せていることは間違いないと思います。
1970年代以降にアメリカの製造業がアウトソーシングや国際競争などで弱化していき、それに伴って企業の破綻・工場の閉鎖が相次いでいました。私の出身地、米国ニューヨーク州のコートランド群はその例外ではありませんでした。 世界有数のタイプライタメーカー工場が閉まったとき、多くの高校卒業者で構成する町のどんよりとした雰囲気も記憶に残ります。
ところで1989年の晩秋にアメリカ連邦政府が各州に核廃棄物貯蔵施設を設置するようにと命令を出します。その指示を受けたニューヨーク州議会が核廃棄物貯蔵施設の場所としていくつかの自治体を検討し、私の家族が住んでいたコートランド郡が候補として挙がりましたが、結局そこで施設を設けることを推薦しました。州議会員の誠意を疑うつもりではないのですが、経済的な基盤が強くないことや人口が少ないが町の選定と無縁のことだったのも考えにくいです。当然のことながら住民たちから猛反発ありました。
私はまだ小学生でしたが、田舎にして大規模なデモにお母さんに連れて行ってもらって、演説している人たちや集まった人の姿を見ると「凡人に力あり」という勉強になります。 母さんに最後に会ったとき、なぜ連れて行ってくれたかと聞いたら「あんたにはいい経験になると思っていた」といわれました。
建設現場となるべきところの住民が24時間体制を組んで、検査員などの車がくると総動員して、雪舞う真冬に道を防ぐさえしたりしました。その熱心な闘いを考えると感動をせずにはいられません。原子の核がドクロがとして描かれ、「うちの近所では作るな」と書いているショッキングオレンジのポスターを窓に貼っている民家や店が、政府が建設を断念する何年あともありました。同様に去年、田舎に帰ったときにもう撤回されていましたが長年、住民の勝利の記念として郡の境目に「コートランド郡へよこそう・非核地帯」という標識が立てました。
その地元がどのようなところか想像できますように、この手紙に写真を4枚添付しております。ご覧ください。当時の出来事についてまだ勉強不足なので、これ以上に詳細な話を控えますが、関心を持って英語が得意な方はどうぞ、Cortland County nuclearというキーワードでネット検索してみてください。
そのようなこともあって、私はその社会的な意識を重んじるようになりました。「芸術のための芸術」も立派なものですが、私としてせっかく詩を書くなら「なにか」のために役立てて書きたいのです。そこで起きる問題はいつも「理性」と「情緒」の矛盾です。論理的に語ると詩にならず、幻想的なことだけを書くと社会に背を向けることになる、ということです。英語圏で有名なWHオーデンのように両立できる詩人はいかに偉大かといつも思います。
私の詩では理性と情緒を両立できていない難問を突破する手口として「自動記述」を最近試みています。自動記述というのは、19世紀の欧米のスピリチュアリズム(心霊主義)に盛んになった活動で、頭を真っ白にしてあの世の人が手を借りて書くのを待つことを指します。ブレトンのようなシュールレアリストもこの自動記述を道具の一つして使っていました。 幽玄的なことを私は期待していませんが、頭から出ることばをそのまま書いて、自己検閲もせずに記述します。辻褄が合わないにしても、結果には奇妙な迫力と新鮮な発想あることも多いです。形もなくて詩になっていないのですが、かくして頭の日常的な回路から離れると怖くて疲れる面もありますが、価値ある実験です。
この長い実験の成否については発言できる身ではないのですが、追って真剣に続けたいと思います。そこで関心のある社会問題等について詩を詠むとき自動記述から得た教訓を使えると思って可笑しくないのでしょう。詩を書いている皆様は一回試してみてはいかがでしょう。
Kit Garchow
2010年3月28日
■Kit Garchow (キット・ガーチャウ)さんって、どんな人?
略歴
現職 某株式会社 翻訳コーディネーター (英訳担当)
1984年7月 米国ミシガン州生まれ
(2週間後、家族がニューヨーク州へ引っ越す)
2004年 交換留学生として初来日
2007年 アンティオーク大学 日本語・日本文学科 卒業
(当校が旧奴隷制度廃止運動の拠点などとして知られる)
2008年 日本、大阪市に移住
2010年 テルミンを購入し、練習を開始。
パフォーマンスアートの初舞台。
社会的な意識は唯一つのところから生まれるものではありませんが、私が小学生の頃に地元が町ぐるみで運動を起こし、政府の耳を町の要求に傾けさせるのを拝見したことが私の成長期の重要な経験のひとつになります。 今の考え方が当時の出来事の影響を見せていることは間違いないと思います。
1970年代以降にアメリカの製造業がアウトソーシングや国際競争などで弱化していき、それに伴って企業の破綻・工場の閉鎖が相次いでいました。私の出身地、米国ニューヨーク州のコートランド群はその例外ではありませんでした。 世界有数のタイプライタメーカー工場が閉まったとき、多くの高校卒業者で構成する町のどんよりとした雰囲気も記憶に残ります。
ところで1989年の晩秋にアメリカ連邦政府が各州に核廃棄物貯蔵施設を設置するようにと命令を出します。その指示を受けたニューヨーク州議会が核廃棄物貯蔵施設の場所としていくつかの自治体を検討し、私の家族が住んでいたコートランド郡が候補として挙がりましたが、結局そこで施設を設けることを推薦しました。州議会員の誠意を疑うつもりではないのですが、経済的な基盤が強くないことや人口が少ないが町の選定と無縁のことだったのも考えにくいです。当然のことながら住民たちから猛反発ありました。
私はまだ小学生でしたが、田舎にして大規模なデモにお母さんに連れて行ってもらって、演説している人たちや集まった人の姿を見ると「凡人に力あり」という勉強になります。 母さんに最後に会ったとき、なぜ連れて行ってくれたかと聞いたら「あんたにはいい経験になると思っていた」といわれました。
建設現場となるべきところの住民が24時間体制を組んで、検査員などの車がくると総動員して、雪舞う真冬に道を防ぐさえしたりしました。その熱心な闘いを考えると感動をせずにはいられません。原子の核がドクロがとして描かれ、「うちの近所では作るな」と書いているショッキングオレンジのポスターを窓に貼っている民家や店が、政府が建設を断念する何年あともありました。同様に去年、田舎に帰ったときにもう撤回されていましたが長年、住民の勝利の記念として郡の境目に「コートランド郡へよこそう・非核地帯」という標識が立てました。
その地元がどのようなところか想像できますように、この手紙に写真を4枚添付しております。ご覧ください。当時の出来事についてまだ勉強不足なので、これ以上に詳細な話を控えますが、関心を持って英語が得意な方はどうぞ、Cortland County nuclearというキーワードでネット検索してみてください。
そのようなこともあって、私はその社会的な意識を重んじるようになりました。「芸術のための芸術」も立派なものですが、私としてせっかく詩を書くなら「なにか」のために役立てて書きたいのです。そこで起きる問題はいつも「理性」と「情緒」の矛盾です。論理的に語ると詩にならず、幻想的なことだけを書くと社会に背を向けることになる、ということです。英語圏で有名なWHオーデンのように両立できる詩人はいかに偉大かといつも思います。
私の詩では理性と情緒を両立できていない難問を突破する手口として「自動記述」を最近試みています。自動記述というのは、19世紀の欧米のスピリチュアリズム(心霊主義)に盛んになった活動で、頭を真っ白にしてあの世の人が手を借りて書くのを待つことを指します。ブレトンのようなシュールレアリストもこの自動記述を道具の一つして使っていました。 幽玄的なことを私は期待していませんが、頭から出ることばをそのまま書いて、自己検閲もせずに記述します。辻褄が合わないにしても、結果には奇妙な迫力と新鮮な発想あることも多いです。形もなくて詩になっていないのですが、かくして頭の日常的な回路から離れると怖くて疲れる面もありますが、価値ある実験です。
この長い実験の成否については発言できる身ではないのですが、追って真剣に続けたいと思います。そこで関心のある社会問題等について詩を詠むとき自動記述から得た教訓を使えると思って可笑しくないのでしょう。詩を書いている皆様は一回試してみてはいかがでしょう。
Kit Garchow
2010年3月28日
■Kit Garchow (キット・ガーチャウ)さんって、どんな人?
略歴
現職 某株式会社 翻訳コーディネーター (英訳担当)
1984年7月 米国ミシガン州生まれ
(2週間後、家族がニューヨーク州へ引っ越す)
2004年 交換留学生として初来日
2007年 アンティオーク大学 日本語・日本文学科 卒業
(当校が旧奴隷制度廃止運動の拠点などとして知られる)
2008年 日本、大阪市に移住
2010年 テルミンを購入し、練習を開始。
パフォーマンスアートの初舞台。
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