www.orchidclub.net LB

2006年2月号 荻原裕幸さんより、おてがみが届きました


ウェブが媒介して、お逢いしたことのない他ジャンルの作家さんから声をかけてもらえること、これはネットならではの悦びと言えましょうか。「いん・あうと」の連載でお名前を拝見していた芳賀梨花子さんからのご依頼も、そのような望外のできごとの一つでした。手紙のスタイルでメッセージをとのリクエ ストがありましたので、実にひさしぶりに手紙らしきものをしたためております。芳賀さん、蘭の会のみなさん、こんにちは。

まず、女性詩人の会であることに驚きました。失礼を承知で言えば、いまどきこのカテゴリーはないんじゃないか、と感じたわけです。たしかに女性解放は 女性そのものを見つめることからはじまるのでしょうし、実際にフェミニズムがもたらした豊かさは、こうしたカテゴリーの設定からも生じたのだと思われます。ただ、社会的事実としての女性差別が消えていないとは言っても、すでに解放後へ向かおうとする現代の趨勢のなかでは、むしろ枷になっている危険 があるのではないか。そんな不安を抱きながら、サイト上の作品を読ませてもらいました。

メンバーの作品を読んで、杞憂であった、と安心しました。貴会の四年を超える歴史は、女性詩人というカテゴリーを、作家個人を自由にはばたかせる、枷などではない特性として育てつつあるようですし、何よりも、蘭の会らしさと言いたくなるような佳い表情をもっていますね。けれど、ならばあえて女流と看板に記す意味を、未来ではなく過去のフェミニズムの文脈に縛られてしまう可能性を払拭するためにも、解放後という視点から求めてゆく時期にさしかかりつつあるのではないかとも思われます。個人の自由の向こう側に、そして従来の女性解放とは異なる文脈上に、女性詩人が集うことによってはじめて生じる何かを、会のプラスαとして構築してゆく。貴会の今後をさらに期待する読者の一人として、そんなわがままなお願いをお伝えしておきます。

それから、ネットのこと。メンバーズのエリアを拝読できないので、細かい動きはわからないのですが、アンソロジーをオフラインの印刷物として刊行されたのは、ネットの出入口を求めた、と理解していいのでしょうか。このあたりのメディアの展開方法は、ネットでの活動において、ぼく自身もしばしばジレンマに陥るところです。

公開されたウェブサイトに作品や文章を掲載すれば世界中のどこからでもアクセスできる、サイトは一つのメディアである、というのがネット的事実であるのは間違いありませんけれど、無数にあるサイトのなかから読者が自分たちの作品や文章にたどりついてくれる保証はどこにもありません。しかも、公開すればときに望まないタイプの読者とのコンタクトを強いられることもありますし、非公開でメンバーズとした方が有益なコミュニケーションが得やすい場合も多いでしょう。他者とのつながりを太くするか細くするか、管理者や運営者の腕がつねに試されている状態で、やがて負担が過剰になって維持に支障が出るケースが増える。特殊な策をとらないとサイトの寿命はあまり長くはもたないのがネット文芸の現状のようです。

特殊な策の一つは、貴会も選択されたオフラインでの印刷物の刊行ですね。ぼくもまたそれに似た選択を何度もして来ました。ネットと印刷メディアがこもごもに出口であり入口であるようなシステムを考えました。うまく展開できたこともあれば芳しくないこともありました。現代短歌においてネットが一大拠点にならないものかと妄想的に大きな構想を抱いたので、成功率がさほど高くないにもかかわらず、それなりの成果として、単行本の他に、出版のシステムや新人賞が継続的に機能していますが、ジレンマの発生要因はむしろそのオフラインをからめての成果だけが成果とみなされることで、ネットが入口でオフラインが出口という傾向が生じ、初期の構想からすると本末転倒の事態を自分の手で引き起こしつつあると言わざるを得ないことになっています。

先日、パソ通の時代に入会した某プロバイダから、入会満十年の知らせが届きました。十年前、パソ通上で読んでいた詩や短歌や俳句や川柳は、正直なところ、ぼくの感覚にはなじまない要素を多く抱え、絶望的な気分になったりもしたのですが、それでも何かとりつかれるような、事実とりつかれた、魅力のある場でした。趨勢がネットに移行してからは、なじめる傾向に大きく変化したこともあり、現代短歌の一大拠点をなどと妄想がわきあがったほどで、より強い魅力を感じていたのです。それがどうしていまだに入口の位置づけ以上のものにできていないのか、反省することしきりです。

話が一般論や個人的な方向に逸れてしまいました。すみません。で、ネットの出入口としてのアンソロジーだという仮定はともかくも、貴会が今後、どのようにネットでの活動を維持して展開してゆくのか、客観的な読者としても個人的な面からも、非常に深く興味を抱いております。この文章が掲載される頃には一次審査が発表されるという四周年記念のR賞につきましても、そのなりゆきに興味津々です。願わくは、ネット文芸の行方の一つを示唆する契機となりますよう。駄文を列ねましたが、今後ともどうぞよろしくお願いします。



□荻原裕幸さんってどんなひと??



【プロフィール】

1962年8月24日、名古屋市に生まれる。愛知県立大学卒。歌人。
1979年、寺山修司や塚本邦雄の影響で短歌を書きはじめる。
1986年、塚本邦雄主宰誌「玲瓏」創刊に参加。編集委員。後年退会。
1987年、第30回短歌研究新人賞(短歌研究社主催)受賞。
1998年、加藤治郎、穂村弘と企画集団「エスツー・プロジェクト」を結成。
1998年、文芸グループ「ラエティティア」を創立・運営。
2001年、歌集出版事業「歌葉」(BookPark)をプロデュース。
2002年、歌葉新人賞選考委員(コンテンツワークス主催)に就任。
2003年、短歌総合誌「短歌ヴァーサス」(風媒社)創刊。責任編集。
2006年、平成17年度名古屋市芸術奨励賞(名古屋市主催)受賞。

【主な関連サイト】
▼ogihara.com
http://ogihara.cocolog-nifty.com/
▼デジタル・ビスケット
http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/
▼電脳短歌イエローページ
http://www.sweetswan.com/yp/
▼短歌ヴァーサスWEB
http://www.fubaisha.com/tanka-vs/
▼歌葉
http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/

【主な著作】(★印は現在入手可能)
 第一歌集『青年霊歌』(書肆季節社、1988年)
 第二歌集『甘藍派宣言』(書肆季節社、1990年)
 第三歌集『あるまじろん』(沖積舍、1992年)
 第四歌集『世紀末くん!』(沖積舍、1994年)
 合同歌集『新星十人』(立風書房、1998年)
★共編著『岩波現代短歌辞典』(岩波書店、1999年)
★全歌集『デジタル・ビスケット』(沖積舍、2001年)
 ※既刊歌集の他、第五歌集『永遠青天症』を収録。
★合同歌集『現代短歌最前線』(北溟社、2001年)
★共編著『短歌、WWWを走る。』(邑書林、2004年)

【近況】
現在、思潮社「現代詩手帖」で短歌時評「うたの凹凸」を連載しています。今 月、東京堂出版から刊行される馬場あき子さん監修の『現代短歌の鑑賞事典』 に、これまでの作品から自選で三十首を出稿しています。よろしければご覧下 さい。今年は、名古屋市から賞をいただいたりして、快い風がある感じなの で、そろそろ第六歌集をまとめようと考えています。それと、新しい企画も何か。



□荻原裕幸さんの短歌を読んでみよう!


「青年霊歌−アドレッセンス・スピリッツ−」より
どこの子か知らぬ少女を肩に乗せ雪のはじめのひとひらを待つ
駆落ちをするならばあのガスタンク爆発ののち消ゆる辺りに


「甘藍派宣言」より
独身(ひとりみ)の鮭弁当のレシートをレイモンド・チャンドラーの栞に
桃よりも梨の歯ざはり愛するを時代は桃にちかき歯ざはり


「あるまじろん」より
鬯鬯鬯鬯と不思議なものを街路にて感じつづけてゐる春である
春の日はぶたぶたこぶたわれは今ぶたぶたこぶた睡るしかない


「世紀末くん!」より
間違へてみどりに塗つたしまうまが夏のすべてを支配してゐる
はつなつのあをを含んで真夜中のすかいらーくにゐる生活を


「デジタル・ビスケット〜永遠青天症」より
あ、http://www.jitsuzonwo.nejimagete.koiga.kokoni.hishimeku.com
歌、卵、ル、虹、凩、好きな字を拾ひ書きして世界が欠ける




Special Thanks 山田せばすちゃん
歌人 | permalink | - | -

2002年9月号 魚村晋太郎さんより、おてがみが届きました

A=〜Aの波打ちぎは

                             
 よく矛盾したことを、女性は言ふ。女性に限らず、人は、と言ひ換へてもいいが。 
 
 例へば晩秋のある日、ある女性が私に「週末は美術展を見に行きたい」と言ひ、別の所で他の男に「週末は紅葉を見に行きたい」と言ふのを聞いてしまつたとする。男性である私は美術展と紅葉のどちらが本音でどちらが建前なんだらう、とか、一方が本当でもう一方が嘘なんだらう、といふふうに往々にして考へてしまふ。
 
 しかしこの頃は、美術展も紅葉も、両方とも、本音であつたり本当であつたりするのかも知れない、と考へるやうになつてきた。しかも、私と美術展を見たあとに彼と紅葉を見にゆきたい、といふのではなくて、美術展なんか見ずに紅葉を見に行きたい、といふ気持ちと、紅葉なんか止して美術展に、といふ気持ちが同居してゐるやうなこともあるのではないか。こともあるのでは、といふより、多かれ少なかれ、さういふ矛盾を孕んだ状態が、ひとのこころの常態ではないか、と思ふやうになつた。

 矛盾を孕む、体現するのが女性で、それに振り回されるのが男性、といふ図式が存在するやうにも思ふが、男性だつて、こころに矛盾を孕むことはあるだらう。ジェンダーのあり方として、さういふ矛盾を男性は素直に表明し難いのかも知れない。
 
 「A」は「Aでないもの」ではない、といふ事。つまり、「Aでないもの」を「〜A」と表記して、A≠〜Aを矛盾律といふ。矛盾律は、A=Aと表される同一律と並んで形式論理学の基本的原理のひとつである。先の女性と過ごす週末の例とは話の位相が異なるが、言葉とは基本的にこの矛盾律を侵す性格、A=〜Aといふ等式、或は、A→〜Aといふベクトルの性格を基本的な機能として持つものではないだらうか。

 例へば、単語のレヴェルでも、首といふ語が、第一義的には脊椎動物の頭と胴をつなぐ部分を表しながら、同時に、それに似た形状の器物の部位を指したり、失職の意を表したり、手首、足首、と複合語を作つて身体の別の部位を示したりする。複合語のひとつ、雁首といふ言葉の第一義は水鳥の雁の首であらうけれど、ガンクビと発音するときは煙管(キセル)の先の部分や、何人かで集まるときの人の頭のことを言ひ、カリクビと発音するときは普通ペニスの亀頭の部分を言ふ。ペニスの亀頭のことを単に雁(カリ)といふこともあるけれど、さういへば亀頭だつて喩に基づく複合語だ。喩、と呼ばれる、言葉のこのやうな性格があるからこそ、無限の状況、ときにはありもしない状況をすら、有限の言葉の組合せで表すことができる。

 詩歌に用ゐるレトリックとしての喩は、また少し位相が異なり、等号やベクトルのあり方それ自体が表現者の精神状態や美意識と深く関つて表現の要になつてゐることが多い。そのことはまた別の機会に語らう。

 地球上のすべての生命の起源は原始の海洋に遡るといふが、もつと時代を下つて、ヒトがヒトとして直立して歩きはじめた後、一千万年くらゐ前までのかなり長い期間を波打ちぎはに身を潜めて主に貝類などを食べて生活してゐたのではないか、といふ説がある。キスは他の猿たちもするが、ディープキスを好んでするのはヒトだけなのださうで、これはヌルヌルした波打ちぎはで生活してゐた頃の種の身体の記憶を舌の感覚で取り戻してゐるのだ、とか、夏になると大勢の人たちが海水浴にでかけるのは祖先が生活した場所へのノスタルジアに因るのだ、とか言ふひともゐる。

 波打ちぎはとは、刻々と、海が陸になり、陸が海になりながら景色を変へる場所、つまりA=〜Aの地勢である。そのことと言葉の持つA=〜Aの性格に必然的な関係があるとは考へないが、そのやうな浪打ぎはに身を潜めながら、長い歳月をかけて言葉や情欲の複雑さを――言葉といふ情欲の複雑さを、と言つてもいい――懸命に育んでゐたであらう祖先たちに想ひを馳せると遥遥とした気持ちになる。それで彼女の週末の過ごし方が気にならなくなるかと言へば、それはまた別の話であるが。

◆魚村晋太郎さん情報 

詩人。歌人。1965年生まれ。京都市在住。
短歌/連句/俳句・・・過去のさまざまな文藝ジャンルをリミックスする反動的快楽主義者。
短歌誌「玲瓏」編集委員。パロールセンター代表。パロールセンターではリーディングイヴェント「声帯エステティック」を開催。奇数月の始めにオンラインのQP句会を開催中。
02年は初夏、北溟社季刊「短歌WAVE」創刊号に短歌朗読がCD収録。秋には扇町カルチャーセンターで「メカラウロコ現在短歌図鑑」を開講する他、「朝日新聞」、「短歌朝日」、角川「短歌」等に新作の短歌が発表される予定。詩の仕事ももう少し欲しい。

編集者注>
プロフィールは2002年9月時の情報です
歌人 | permalink | - | -

2002年4月号 東直子さんより、おてがみが届きました

◆今月のおてがみ 東直子さんより
2002年4月11日、午後。

東 直子

とある人を好きになった。
ある人もとある人を好きになった。
とある人を好きになったある人と、
とある人について語りあった。

ほくろの位置。
左目のうつくしさ。
声のたかさ、かすれぐあい。
生まれた場所。
名前の由来。
体重。
笑いじわ。
つめのかたち。
洋服の、衿のかたち。

いつまでもいつまでもいつまでも、
語り合える。

とある人と、あるひととわたしは、一度も出会ったことがない。

わたしたち、とある人を好きだけど、
とある人はわたしたちのこと知らない。
わたしたちのこころは世界の妄想の一部でしかない、
のかな。

わたしたちは、
雑音だらけのラジオから、
とある人の声を聞き分ける。
インターネットで、
とある人の姿と言葉のきれはしをひろう。

踊っているたくさんのひとのなかの、
たったひとりが、
たったひとりを思っている、
午後に、
どこかにいる、
あのかん高い声の持ち主は。



■東直子さん情報 


【オフィシャルサイト】
 直久 http://www.ne.jp/asahi/tanka/naoq/
   
歌人 | permalink | - | -
■Contents
top
poetry
members link
saruret