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2009年3月号 北村守道さんより、おてがみが届きました

 蘭の会のお嬢様方、明けましてオメデトウございました。
 今年も残すところあと300日ほどとなってしまいましたがいかがお過ごしでしょうか?
挨拶がおくれました、ワタクシ、上の者で本名怪人丸ぼーず男と申します。お初にお目にかかります。(と、いうことにしておいてください。→一部の方々・・・)
 さて、皆様がこれをお読みになっているころは花見シーズン、花粉シーズン真っ盛りといったところでしょうか。かく言うワタクシも、ある事件をきっかけとして毎年花粉症に悩まされております。しかし、この時期となりますと、渓流釣りが解禁し、山の中に入ってゆかねばなりません。泣き言は言っていられないんであります。(でもへっぽこなワタクシは未だ、繊細で美しい渓流魚達を釣り上げたことは一度もないのですがね。その結果がいつも余計に涙腺を刺激しているわけであります。)
 ワタクシが幼少の頃は、釣りというものはむっさいオッサン及びジジイと少年の趣味でありました。それも男限定。しかし、近年はその風潮も変わり、より多くの女性のアングラー(釣り人のことをカタカナ表記しますとこうなります。)を見かけるようになりました。大抵は、誰か男の方と一緒、ということが多いのでありますが、時折晩御飯のおかずを確保しに徒党を組んだオバチャン達が、黄色い声をあげながら仕掛けを海の彼方までぶっ飛ばしているのを見たりすると、時代の変化を感じさせられます。
特に最近では、鮭マス類を対象とした管理釣り場が各地で賑わいをみせております。昔風に言えば『釣り堀』のこの世界ですが、ルアーフィッシングやフライフィッシングを対象としている所なんぞも多く、餌をつける、といった行為に抵抗を感じる方でも気軽に楽しめやすくなっていたりします。また、鮭マス類の管理釣り場の場合は、餌を使う場合でもイクラや人造の餌などで釣りになることもあって、他の釣り場と比べても女性層が多いなぁ、と感じたりすることも少なくないですね。そして、そういった釣り場では、トイレなどの施設なども綺麗だったりして『これが釣り場?』とびっくりしてしまうことなんかもあります。レンタルの道具なんかも揃っていたり、持ち帰って食べてみようかな、といった場合には魚を捌く場所がきちんと完備されて居たりしますから、お手軽に始められます。え?釣りってどうやるかがわからない?ですって?ご安心を。そういった方々の為に、大きな管理釣り場ですと、インストラクターを常勤させていたりするところもありますから、そういった所で始めれば、まず投げることから教えてくれたりします。マー、たいていの場合ですけどね、管理釣り場のオーナーさんに『釣り自体が初めてなんです』と相談なされば、色々と教えてくれます。(それは事故などのトラブルからお客さんを守る、という意味も含まれるんですがね。)もう釣り場もスキー場と一緒。なんとなく釣りでもやってみたいな・・・と思われることがありましたらば、こういう施設をお使いになってはいかがでしょうか?

 って・・・ちゃうちゃう!釣りの宣伝をしてどないすんのっちゅうねん!
 
 まぁ、でもですよ。
 釣りをしなくとも、水辺に立つ、ただそれだけでなんとも言えぬ満足感が得られるときがあります。
特に、この時期なんかですと海も湖も川も透明度が高く、いつもは気がつかなかった世界に気がつくだなんてことが少なくありません。(偏向機能付のサングラスをお持ちの方は、それを着用して覗き込みますと、驚くほどに水中がくっきりと見えたりすることがありますよ。)運がよければ、私達とは全く別の世界の住民達の生活の一部を垣間見えたりもします。時々、そうした行為に対して不服そうにこちらを睨みつけるやなヤツもいたりしますが。ワタクシはそういった世界を覗き込むのが好きです。当初の釣りをする、という目的をすっかり忘れて、観察だけのために一日を費やしてしまった日なんかもあったりします。彼ら、彼女らがいったい何を思っているのか、それを知るすべはありません。ですから、ワタクシは本人(いや魚だから本魚か?)には大変申し訳ないのですが、それを勝手に解釈し、文字という絵の具を使って描いてみるのが大好きなのです。
ワタクシは合唱という世界を通じて詩とであったのですが、合唱においては実際に歌う曲において何故その詩があったのか、そしてなぜこの曲がつけられたのか、ということが常に団員達を悩ませました。様々な意見が飛び交うわけなのですが、結局のところそのどれもが『正しい』可能性を持ち、また『間違っている』可能性を持っていました。そしてそのどれもに『転換』できる可能性を持っていました。それらは何の確証もない、めいめいの勝手な確信でしかありませんでしたが、いつしか詩の言葉と言葉の行間に潜む『情報の穴』というものによって、ワタクシ達自身が創作させられていることに気づいたのでありました。
 そんな勝手な妄想もございまして、今ではこんな創作の連鎖のよりスタートライン側に立ってみたい、なんてことを夢見ながら詩を描いています。
 ですから、ワタクシにとって詩とは伝えたいのではなく、創らせたいものです。書くのではなく、描くでありたいなぁ、と漠然と思ったりしています。それは釣り人の性なのかもしれません。釣り人ってやつぁ、リアルな妄想家なんですよ。険しい顔なのかどうかは分かりませんが、水面をじっと見つめている釣り人を見かけましたらそっとしてあげてください。(道具をいじっていたりして水面から目が離れていたら別ですけど。)そうした彼らは見えない水中のことをこと細かく創造し、その中で泳がせている魚達に向かってあれやこれやを考えているのですから。文字を泳がせるのか、魚を読むのか、その対象は違えども原理は同じような気もします。そしてこれをお読みの皆様も、機会がありましたらば偏向機能付のサングラス片手に、近くの水場を覗きに行ってみてください。そこにはきっと小さな無限大が待っていることでしょう。
 それでは縁がありましたらば、水辺ででもお会いしましょう(そのとき、ボクに足がなくても逃げないでくださいね)サヨナラ参画、また来て死角!・・・




■北村守道さんって、どんな人?



<プロフィール>
北村 守通 (きたむら もりみち)
 
 本名 怪人丸ぼーず男
 高知県出身 1971年2月5日午後10時頃生まれ。18歳+241ヶ月。マッドサイエンティストになることを夢見て平成三年に上京するも、夢かなわず平成二十年に高知に帰り、清く正しいマッドサイエンティストの育成を目指して塾の教壇に立つようになる。東京で在学中に男声合唱団に所属(パートはバリトン、またはトップテノール、または"裏")していた際に表現の限界を感じ取り、よりオリジナルを表現できる方法として詩を描く、という方向に足を踏み入れるようになる。朗読のデビューはNIFTY現代詩フォーラムのビデオ詩集『詩覧ぷり』。その際に読むときの言葉の音階を変化させた『がせオペラ』を取り入れたところ、意外にも評判が悪くなかったので、以降チョーシに乗ってこの方法での朗読をメインとしていく。
趣味は釣り、釣具の製作、オリジナル料理の研究(一応、死人は出ていない。昇天はある!)、他、まぁなんです、モノを創るということでしたらなんでも興味を持つタイプです。あ、忘れてた、水泳とボーリングも趣味までとは言えないとはいえ好きだ。

所属団体
関東方面:
オルタナティブ3(朗読 紀ノ川つかさ、 テルミン演奏 大西ようこ、 ベルカントもどきの謎のヴォーカルによる異色ユニット)8月14日に 神楽坂に出現決定?

高知県内:
カイノナマエ  (高知県の詩人の会の一つ。月一ペースで、第三日曜日を中心に様々な形式の朗読ライヴを実施。詩誌も発行中。)

詩のボクシング高知支部 草の根運動で頑張ってます。今年から何故かお手伝いに参加
最新情報はhttp://poboko.blog95.fc2.com/をチェック!

ネットの棲家
mixi
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=4394620
本名で日記を楽しんでいます。ほとんど意味のない釣り日誌?遊びに来てや!
現代詩フォーラム
http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=596
現実社会の中の世を忍ぶ仮の名前 北村守通 であっけらかんと色々描いています。

■北村守道さんの詩を読んでみよう!

山椒魚


ハンザギは
のっそりと
重たい頭をもたげた
ハンザギは
のっそりと
重たい腰をあげた

今宵
最期の一晩に
挨拶まわりをしましょうと
鮎も
岩魚も
カワゲラも
すっかり寝ついた
丑三つ時に
一軒一軒
頭を下げた
眠れる河に
頭を下げてまわった

これが最期の一呼吸
お月様も見納めだ
青く輝く
お月様
一足お先に参ります
貴方はいつまで
お達者で

まぁるい月が
映った
まんまるの
ハンザギの瞳は
もう
ゆっくりと
曇り始めていた

しばらくそのまま浮かんだあとで
ちょっと
首を傾けて
岩屋に戻った

蛙の歌も戻った



###########################################

 詩を描き始めた初期の作品で、拙作詩集(私家版)『幻影海峡』にも収録しています。初出はNIFTY『現代詩フォーラム』。読んでいただけるとおわかりかと思いますが、井伏鱒二の『山椒魚』を読んでボクの中で再生産されたものを詩にした言わば、『二次的創作物』とでもいうべき存在です。ガセオペラ(笑)として朗読の際には、話し言葉ではない音階へと改装し、用いてきました。更にユニット『オルタナティブ3』においては楽器による演奏も加わり、作者自身の思惑を超えた世界(笑)へと昇華していると思っています。

ガセオペラ(朗読音源)
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2008年7月号 山内緋呂子さんより、おてがみが届きました

おてがみ 「2008年を生きる女のみんなへ」

誰かにお手紙を書くなんて、まして敬愛する詩人さん方が多く在籍する蘭の会に。
お友達へ書く心意気で書いてもいいですか?

言葉って、ほんとは私、日本語はなんて人を罵倒する言葉の種類が豊富か、って、時々思う。勘違いかもしれない。

でもね、罵倒することは必ずしも悪意の中傷でない場合がある。それすらも、それすらも、例えば詩でなら、読者の心にくいこむような言葉。ラップでの暴言は、例えばA-smogさんなんかはもう、暴言アートで。

優しい、心温まる、ほっとする言葉ばかりが人を救う訳じゃない。
それが、アートであるならば。
私は、自作にも他の詩人さんにも、実はそこを見い出せた時、とてもラッキーだと感じる。

誰だって、ハッピーやラヴやピースが聴きたいさ。当たり前だよ。

でももう現代はどうよ。日本。どうなのよ日本。

ここで重要な点は、ダークな言葉が人を救うのは傷の舐め合いではないと言いたい。あくまでそれらを聴いて、聴いた人が「俺らも昇ってくぜ。お前と同じこの場所から飛び上がるぜ」ってアクティブになっていくことの起爆剤であれ、と、私は希望を抱く。

実際、私は、生きていて、見て解ったものの中から「これは面白い!」と発見したものを、自作の詩にもとり入れる。つまり、私が生きているこの現代から、見つけたものを私は作中に使う。つまりダークを。

実は、やっぱり、ハッピーでラヴやピース満載の詩を書けない自分にも、時々落ち込む。

この現代、世の中はこんなにもハッピー&ラヴ&ピースを渇望しているというのに。

私はしがないOLだ。バブルがはじけて就職氷河期にあたり、内定が取れず、今に至る、ハケンOL組だ。私なりに、正社員ではなくハケンの身のOLであることに、きれぎれになりそうな時もあるけれど、同じ社会で働く人間。OLってオフィスレディの略よ?会社婦人。


ここ東京、手前みそで申し訳ないが私の友人は、特にアーティスト(ミャージシャン、舞台女優、カメラマンなど)が多い。仲良くなってみると、女性に比べ、男性はとっても野ざらしに強い。男性アーティストは、私生活では違うとしても、舞台上では誰しもが持つ少年性を存分に発揮する。彼らから「明日どうなろうとそんなもん今はいいんだ。俺ら今サイコーなんだ」という、いつどんな所でも舞台をやりきる、吹きっさらし、野ざらしの彼らの熱に私は魅かれる。

それはもしかしたら、私たち女は彼ら野ざらし魂を超えられることはできないかもしれない。

でも、大事なこと。それは、女は内包性が高いこと。なに内包するって子供内包しちゃったりする一大生命護身体。
そんなステージを観て、色気があるだとか、しっとりしているだとか、受け取れたら受け取ってちょうだいよ。

私はただ、女らしさなんか、女性らしさを認められるより只、
男には出来ない女性性を、舞台でも、紙の上でも表現することができたら何て素晴らしいことかと思う。

最後に、蘭の会の皆様、女性の先輩方として、これからも貴女方からどんどん、女しか言うことの出来ない光明を受け取っていきたい。

お手紙書かせてくれてありがとうございました。

敬愛する、蘭の会所属詩人様方へ


山内緋呂子



■山内緋呂子(やまうちひろこ)さんって、どんな人?

山内緋呂子

2003年、映画、舞台脚本家を志すも、ふとしたことで、詩を書くことに会う。よくわからなくありつつもなんやかや書き続ける。
http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=225
2005年より詩のリーディングをベンズカフェからスタートする。現在まで一位になったり5位以内だったり16位だったりすることが楽しい。
2007年 最果タヒさん主宰アート雑貨「アンプル」に詩とエッセイを数編掲載で参加。http://www.eonet.ne.jp/~luara/ample/
2008年1月、秘密の第一作品集を、詩人で画家である縫ミチヨさんに作っていただく。(ありがとうございました)2008年SSWS第二期チャンピオントーナメント予選準優勝、同年9月、チャンピオントーナメント出演予定。同年末、詩人落合朱美さん主宰の詩誌に、詩とエッセイ掲載で参加。
毎月偶数月最終月曜日渋谷で行われるポエトリーリーディングイベント「開口一番」http://www.kaikou-ichiban.net/に参加することが密かな楽しみだったりする。これから映画も撮りたい、映画にも出たい!いろいろ画策中でございます。


■山内緋呂子さんの詩を読んでみよう!


服と裸

起きたら
三島由紀夫だった

下唇を噛んだら血が出て
三島由紀夫の血はこんな味なのか とか
白くて小さめの歯は けっこう硬いのだ とか

会ったことないのに懐かしむ

せっかくだから美輪明宏に会いに行こう
私は特に好きでないが
私は今 三島由紀夫であり
彼は彼を愛していたのだから
会いにいきましょう

「毛皮のマリー」だ
僕の「黒蜥蜴」でなく 寺山さんのものに出演中とは、
そんな時に君に会いにきてしまうとは
まあ、また会えてもそんなに何もかも完璧ではないだろう

舞台上の君は美しいから
楽屋ではなく
チケットを買って 席につく

ああ君は 立派なおばあさんだ
青年らしさはすっかり抜け
女性として 年をとっていったのだね

君は 女になりたかったのか いや女だったのか
僕は 軍人になりたかったのか いや軍人なのか
君は今 生きていて 僕は死んでいるけど
君も 僕と同じではないのか

花道を通るとき
昔と同じ香水が香った
君には会わないほうがいい

舞台上でプライベートと同じ香水をつけるのはやめたまえ
いくら役のイメージに合っていても
似た香りを探したまえ
その香水は そろそろ生産中止だろう


家に着き
私は 三島由紀夫の、肉体美を見ることが
一番の供養と思い
鏡の前で 服を脱ぐ
5分程見た
昔 
「永すぎた春」に出てきた
「服を着ていても 裸でいるような女」
になりたい と 当時の恋人に言った
「あなたはもうそうなってますよ」
と 言われ
私はずっと そうでありたいと思っていました

由紀夫さん
ヒトは変わります
今の私は
あなたのおっしゃっていた
「着飾ることは デリカシーだ」
という コトバを念頭におき
好きな洋服を買います

デリカシーは身につけましたが
年をとり
いろんなことを知り
誰の前でも裸にはなっていないかもしれません

由紀夫さん
あなたの裸は
実によく 軍服が似合います

あなたは何になりたかったのか なれなかったのか
私にはもう わかりませんけど

似合う軍服を着たまま
死ねたこと
よかったじゃありませんか

今日は 裸のまま寝ましょう
私と

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2008年2月号 井上稔之さんより、おてがみが届きました

 みなさまはじめまして。いのうえと申します。ごく普通に会社勤めをしている者です。
 蘭の会のウェブサイトに寄せられている詩やおてがみを読んでいますと、私とはまた違ったいろんな感覚が感じ取れます。うまく書けるものだなあと感心しながら読んでいました。
 私にはどうやら、みなさまが書いているような文章はまだ難しそうです。
 そこで、私が最近考えてきたことを書いてみます。

 四十にして惑わず、なんて言いますが、私はいまだに日々戸惑い、迷いながら暮らしています。
 男の場合この年齢になると、厄年という言葉が頭をもたげてきます。私もご多分に漏れず災厄を被り、一昨年から昨年にかけて何度か入院する羽目となりました。
 そのせいか、近頃どうも自分の身の上について考えてしまいがちです。

 「これまで一体何をしてきたのだろうか」

 会社勤めをして給料をいただき、消費に明け暮れたものの、何かを残すことはあったのか…。
 周りを見回すと、世間で活躍し話題となっている人たちは大概、私よりも若いか、もしくは同世代です。
 「あの人はこれだけのことができるのに、自分にはどれほどのことができるというのだろう」と考えると気が重くなり、落ち込むこともありました。
 もとより他人と自分を比較するのは愚かしいと見る向きもあるでしょう。
 そうは言っても、我が身を他の人たちと比べてしまいがちです。

 何かができる、ということは言いかえれば、どのように表現できる、ということになるでしょうか。
 そうだとすれば、私にはどのような表現ができるのか。
 何か楽器が演奏できるわけでもなく、絵も下手な私にとって、表現するとはどうすることなのか。
 あれこれと考えていくうちに、「やはり言葉ではないだろうか」と思うようになりました。

 「言葉で、私はどのような表現ができるのか」

 そしてある時、ふとしたきっかけから、詩のワークショップに参加してみることにしました。
 おそるおそる出かけたのですがその場の雰囲気がよいせいか、詩を作ることのおもしろさを見つけることができました。
 表現することへの大きな手がかりをつかんだような気がしました。(自惚れかもしれませんが)

 また一方で私は勤め先を通してしか社会とつながっていないような気がしていました。このまま会社と自宅を行き来するだけの会社人間になってしまうのではないだろうか。
 この場合、趣味を楽しむというのもひとつの方法でしょう。しかし、ほかに何か社会との接点になるものはないだろうかと考え続けていました。

 「どうやって、この社会とつながっていくのか」

 去年の師走、ひょんなことから新世界の一角にあるカフェの引っ越しを手伝うことになりました。
 そこは、カフェ兼ギャラリー兼ライブハウス兼NPO事務所等々…といった場所だったようです。
 折しも入居していた施設からの退去を余儀なくされていました。
 手伝いに行ってみたところ意外でした。若い人ばかりかと思っていたら、性別、年齢、実にさまざまな人たちがかかわりを持っている所だと気づいたのです。
 そこは私にとっては、会社という組織の中にいてはまず出会うことのない人たちが集う場所でした。
 ある日、手伝いに行った時、こんな会話が聞こえてきました。常連とおぼしきひとが「ここへ来るのは変わった人が多いね。」すると、カフェの代表をしている女性がすかさず言いました。「でもみんないい人たちよ。」
 このことばが私にはとても印象に残っています。
 さまざまな境遇にある人たちをありのまま受け入れようとする姿勢が、多くの人たちとのつながり生むきっかけになっているのでしょう。

 結局、このカフェは新世界からほど近くの店舗に移転し、1月から活動を再開しています。引っ越しという困難を乗り越えたとはいえ、まだいろいろな課題を抱えているようです。
 これからは私は客の一人としてかかわりを持つことになりそうです。しかし関心を持ち続けようと思います。

 ことばと向き合うこと。社会とつながること。いずれをとっても、蘭の会のみなさまもいろんな経験をし、また取り組んでおられると思います。
 私にとっての表現への模索はまだ始まったばかりです。こうしたことは不惑を迎える前になすべきことだったのかもしれません。
 それでも、少しずつ前へ歩んでゆけるように、そして何かを表してゆけるようになりたいと願っているのです。

 こうして書いてみると、えらく真面目な話になってしまいました。堅苦しくなかったでしょうか。

 寒い日が続いています。
 みなさまお体を大事になさっておすごしください。


■井上稔之さんって、どんな人?



いのうえとしゆき
大阪府生まれ。会社員。昨年より「詩の学校」に通い始め、詩作に目覚めたところ。
モットー(あるいは気に入っている言葉) “夢もなく、怖れもなく”
(もとは古代ローマの格言だそうです。)


■井上稔之さんの詩を読んでみよう!

歩き回る理由

 
 例えば西遊記
 なぜ三蔵一行は 天竺目指して
 いろんな国をたずね歩いて
 長い旅をしたのか

 急ぎの旅なら
 觔斗雲に乗ってゆけばよいのに
 はるかな昔のおはなしだから
 速さを競い 今すぐ結果を求める
 この時勢では にわかに信じがたい

 例えば森の中
 木の切り株に腰をおろし
 静かにあたりを見回しても
 野兎はあらわれない

 山野を歩き回り
 巣穴を探し出して
 ようやく 見つけることができる

 棲み家に籠もり
 じっとしているのは楽だ
 でもそこには
 誰もたずねてこない

 器用な人ならば
 籠もりながらも あれこれ操作して
 いろんなことを知ることができるだろうか

 しかしそれほど器用でない私は
 求道者ではないし
 狩りをするのでもないが
 何かに出会い 見つけることを
 楽しみにして
 今日も外に出て 歩き回っている
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2008年1月号 伊藤浩子さんより、おてがみが届きました

拝啓   蘭の会のみなさま

寒さ厳しき折、みなさまにはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。HP、いつもたいへん興味深く拝読させていただいております。

さて、わたくしこと伊藤浩子は、2001年頃からWEB上にある詩作品を読むことを、この上ない喜びとして日常生活を送って参りました。そんな中で、「WEB女流詩人の集い」と謳っていらっしゃる「蘭の会」は、ひときわ目立つ存在であり、また、様々な方からの「おてがみ」を拝読しては、ため息をつきながら、「いつかわたしも(書かせてちょうだい!!)」と思っていたことを、ここに正直に申し上げます。
更に白状するならば、占いをやってみてはその結果に一喜一憂し(わたしは無敵の何とか詩人・・・)、また「サルレト」を読んでみては、深く心を動かされ、要するに、わたくしこと伊藤浩子は、紛れもない「蘭の会」の愛読者であると、大声で申し上げねばなりません。
ですので、今回、発起人さんから「おてがみを書いてください」とメールをいただいたときには、なんと申しましょうか、個人的にはいささか感慨深いものがあり、こうやって、手紙を書いている今でも、かなり舞い上がっておりますゆえ、不躾な内容になるかと思いますが、ひらにご容赦願います。

ところで、みなさまは、自分自身が何であるかについて言及し、その内容について証明できますか、或いは、言及し証明できるとお考えですか? 

フランスの精神分析学者ジャック・ラカンは、自己言及の不完全性から、言語というものは「他者」であり、そもそもの太初からわたしたちに与えられた受難であると述べています。

自己言及の不完全性とはどういうことかと申しますと、「わたし」という主体が主体について「わたしは○○である」と言及したとしても、それが真実であると証明することはできませんよね? なぜなら、主体は嘘をついているかも知れないからです。 そこで主体は「わたしは何であるか?」という問いかけをそのまま返すことになります。 要するに、問いかけているのも、問いかけられているのも、言語を使った主体という矛盾を含んだ事態です。ところが、その問いかけに返答し証明できるのは、前述のように主体ではなく、主体以外の他者が主体について語る語らいの中の言語です。
したがって言語というものは他者(ここでは主体に属さないという意味)であり、また、自分自身についての語らいに加わることができないという受難でもって、主体は言語と最初の出会いを果たす、ということになります。
つまり、わたしたちは、「わたしとは一体、何であるか?」という問いかけに答えることはできないし、もし、その問いかけに答えが欲しいのなら、他者の語る言語に耳を澄まし、その中から見つけるしかないということになります。

わたしとは一体、何であるか?
このような自問自答に関して、一生のうちに一度も経験がないという人に、わたしはいまだかつて出会ったことがありません。

私事になって恐縮ですが、わたしは今でも自己紹介が苦手でありますし、遠い過去には、自分が一体、何者であり、これから何者になろうとしているのか、或いは、何者になるまいとしているのか、かなり迷った時期もありました。いいえ、今でも迷っていると言っても過言ではありませんし、それはもしかすると、みなさまも同じかも知れません。
 ですが、いくら迷いがあるからといって、自分自身の興味や欲望の赴くところばかりに没頭していても、答えは出るものではないのですね。わたしがわたしであるためには、主体以外の他者の語らい、言語という他者がどうしても必要なのですね。わたしに向かい、わたしについて語る他者の言葉が、こんなにも有り難いものだったなんて。
このことを、この年齢になって、ジャック・ラカンによって知りました。

 わたしたちは一体、何者であるか?
 その答えは、時間をさかのぼり、わたしたちがまだ言語を話せなかったころ、わたしたちの父や母や、そのまた父母たちがわたしたちについて語っていた、祈りにも似た語らいの中にもあります。
 或いは、わたし(たち)の知らないところで、わたし(たち)について誰かが語っている語らいの中にもあります。耳を澄ませばその答えを、誰でも聞くことができる、思い出すことができる。
そして、その答えは、わたしたちが耳を澄まし、それと気がつくのをずっとずっと待っています。
 
そんな気分の、澄み渡った冬の夜です。

 長くなってしまいました。乱筆をお許しください。
最後になりましたが、みなさまのご健康とご活躍を心より祈念申し上げます。お元気で。

かしこ

追伸:トップページにございます「ターコイズキャンペーン」、素敵です。

                                 
伊藤浩子


■伊藤浩子さんって、どんな人?



1971年 5月生まれ
1980年 国語の教科書で詩を学び、以降、日記帳に書き始める。
現在に至る。

同人誌「ゴールド」、「酒乱」参加。
主に、詩誌「詩と思想」に執筆。
また2008年2月より、新しいHPを発表後、同人誌にする企画を検討中。
「ひろこのページ」http://hiropie.blog.drecom.jp/


■伊藤浩子さんの詩を読んでみよう!

ミスター・マザー・ファッカー 伊藤浩子

心地よさを忘れた父親の一文字の唇には薔薇の花を挟む
母親の乳房を明日までに断罪する 
その空隙に生まれた君、ミスター・マザー・ファッカー
父なるものを殺し母なるものと姉なるものとを犯した君
の眼に光はあるはずもなく どんな明日も読み取れない
から
(斜視の可能性も否定できない)
ミスター・マザー・ファッカー、君が好きだよ

君の黒い眼と痩せこけた頬と広がり続ける肩と伸びた髪
(肩越しに隠れてしまうたった一つの夢は)
どんなに触れたくても触れられない 君に必要なものは
書物でもなく文字でもなく もちろん安価な恋でもない
出会うべき無数のあたしたちをよそ目に フェアリー・
テイルを記憶するからだは緻密な迷宮になってしまった 
永遠に15歳という迷宮に閉じ込められた君、からだの
窓に小鳥が叫んでいるのを聞き逃さない

歌うんだよ セクシー・マザー・ファッカー、君が葬っ
た父親のために
踊るんだよ 君を見捨てた母と姉の代わりに 誰が君を
許さなくても 歌い踊る君の足跡は浮遊する都市に広が
り続ける
(都市は父親の影と母親のまなざしと姉のつぶやきでで
きているんだ)
フェアリー・テイルの尾を白線のように引き伸ばして
眠れない夜には セクシー・マザー・ファッカーよ、

(パソコンのプラグは抜いて
(ドアは必ず閉めることだ
(盗まれるものがたとえ何もなかったとしても

フェアリー・テイルの都市で君は海に乗り出すサーファ
ーになり 雨乞いの祈りを捧げる神官にウィンクする 
ブーゲンビリアの花を少女たちの髪飾りにして 飼いな
らした獅子を放つ 
大河の橋を焼き払ったのは何のためだったか 日記にし
たためる夜に 
ファンキー・マザー・ファッカー、君の声変わりはすで
に終わって 君はあたしたちなのかもしれないけれど

(君はあたしたちで
(あたしたちは君のための名前のない母親だ
(有効な反証がない仮説は今夜も機能しているから

歴史に忘れられそうな小さな場所を 君はいつでも風に
なって駆け抜けた
ハプスブルグ家の悲劇の起源 マイヤーリンクの狩猟館 
ナポレオンのロシア遠征前夜 未知なる第3世界の予言
エジプトの終焉 神々の黄昏 京の碁盤の目のような道
身を投げた加茂川のほとり
アラブの砂漠(勝ち鬨の声を上げ
アメリカ・インディアンの砦(文字ではない神秘を信じ
モンゴルの草原(カーンに羊の伝説を教えた
アルピノの失語症の呪術師の遊牧民の指導者のオイディ
プス王の弟の 君はだから無数のあたしたちなのだから

ミスター・マザー・ファッカー、歴史の過ちを畏れるな
ら前に進みはじめるしかない どこに向かうのかは誰に
も分かるはずはないから どこに向かいたくないのか
それだけははっきりさせておくといい
ミスター・マザー・ファッカー、君が好きだ
君の両眼と両腕と両肩と両頬と両耳と 顎に生えかけた
無精髭と汚れた靴 大地にまっすぐ突き刺した両脚と毟
り取られた翼と 
うつむきがちの視線の先に泉が見えるだろう その泉は
君が作り上げたんだよ ミスター・マザー・ファッカー、

薔薇は枯れ、乳房はまだ見つけられないかもしれないけ
れど。
水のように           伊藤浩子

今日もからだは冷たく濡れて(寝室の片隅で
喃語を駆使してささやいている
この物語の行方は海の底に降り積もって
お母さん あなたはいつもで水のようにぼくたちを
叱りました 昼過ぎの庭で

飼い犬は濡れたまま半眼を開けて死んでいた
汚れるので手は出しませんでした そのまま
真昼の光は雨に溶けて 水に似た感情をもてあます
ぼくたちは幾つになっても死ねないままだから
仲の良いふりをする方が楽だって教えてくれた
お母さん あなたはもう(ぼくたちを
許さなければならないだろう あなた自身のために

妹の手首を切ってその血を吸おう
それが飼い犬への償いになるのだから
小鳥の真似をして泣き出してしまった可憐な妹の
やわらかなゆるい頬に人差し指で触れていると

教室の最前列 刺激臭のするかわいた机の奥の
食べ残したパンをふいに思い出す
青く傾く教室では
ぼくたちの影の密葬が
級友によって執り行われていて
ぼくはそこにはいません 流れてしまいましたからと
黒板に乱反射する光
水の底でもう一度 物語に出会うために

お母さん あなたもいつでも水のようだ
(ぼくたちの)名まえも忘れてしまっているのに
だから このまま漂っていよう
何も知らないという表情で
さらさらと流れつづけるしかない透明な殺意を
あなたは知っているか

この冷えたダイニング・キッチンの 
音も臭いも 何もない空間に 飼い犬はきっと耐えられなくて
しずかに殺されていったのだと
今なら信じることができるだろう
お母さん あなたの名まえを教えてください




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2007年12月号 安部行人さんより、おてがみが届きました

蘭の会のみなさま、ご機嫌いかがでしょうか?
安部行人と申します。つい半年ほど前までは書店関係の会社員と無名の詩人を兼業していたのですが、訳あって今は古本屋と無名の詩人を兼業しています。

実のところ、手紙を書くのはあまり得意ではありません。

事務的な手紙――例えば、通信販売の問い合わせへの返信などは苦もなく書けます。ある種の作法に則っていればそれで充分なものですから。
そうでない手紙というのは、大抵の場合、自分の思うところなどを書かなければならないものですが、そもそもわたしは自分の心情というものをひとに示すことが苦手なのです。これは文章として書くにとどまらず、会話でも、表情でもそうです。

しばしば「何を考えているのかよくわからない」とひとに言われてきましたたが、そう言われている当人もあまりよくわかっていないところがあります。何か具体的な事をしていない時のわたしは、おそらく何も考えていないのでしょう。入力待ち状態のコンピュータのようなものです。

「何を考えているのか」と聞きたがるひとは、ほとんどの場合女性でした。彼女たちはとにかくわたしの頭の中を、行動に至る思考のプロセスを知りたがりました。
しかし、わたしの思考回路は上記のごときものなのであって、どうにも答えようがありません。少なくとも、彼女たちがひそかに期待しているような答えは持ち合わせていないのです。

詩についても事情は同じで、何かまとまった考えやテーマ、志向があってそれを書く、ということはほとんどありません。毎日を生きる間に、思考の断片がばらまかれ、ある時それらの間に結びつきが生じて詩になるのです。詩として現れるまでは完全にバックグラウンド処理で、自分自身にも感知できません。

この傾向はわたしが男性であるからでしょうか? 以前、女性の詩人から、「あなたの詩は実に男性的である」という意味合いの評価を頂いたことがあります。否定的なニュアンスではなかったのですが、さて男性的とはいったいどういうことなのだろう、としばらく考え、これといった結論が出なかったのでビールを飲み始めたら、疑問自体を忘れてしまいました。すでに記憶力の減退が始まっています。

今回この手紙の依頼を頂いて、しばらくぶりに上記の疑問について考えようとしてみたのですが、やはりこれといった結論に達しませんでした。思考回路になにか性質/性別的なものがあるとしても、わたしのそれは男/女的分類ではなく、人間/機械的分類により馴染むもののような気がしてきます。わたしはいかなる性的意味合いにおいても男性であり、それに違和感を抱くこともありませんが。

考えすぎると疲れますから、ここはやはりビールといきたいところなのですが、古本屋の経営が芳しくないので、アルコールはしばらく控えることにしています。
いつかまたみなさんと出会う時には、財布の心配をせずにビールが飲めるようになっていたいものです。

ではいずれどこかで。

そうそう、忘れていましたが、人間と機械の本質的な差異は何だと思いますか?
何かいい考えがあったら教えてください。よろしく。



■安部行人さんって、どんな人?

安部行人さん

1972年苫小牧生まれ。以後北海道各所で育つ。
2000年頃からネット上で詩を公表し始める。
2003年から東京ポエケットへの出展を始める(2007年は不参加)。
2005年から朗読を軸にしたパフォーマンスに取り組む。
2007年、ブックカフェ「古書・珈琲 転石舎」を札幌市中央区にて開業。

個人サイトkosmonaut
http://www2.snowman.ne.jp/~yukihito/kosmo/index.htm


古書・珈琲 転石舎サイト
http://www2.snowman.ne.jp/~tensekisya/index.html


<近況と今後>
とにかく店を軌道に乗せるので手一杯ですが、毎月朗読イベントを行っています。
札幌の朗読イベントも一時よりは少なくなっていますが、途絶えることのないようにやっていきたいと思います。
また、転石舎は通販もやっていますので、ぜひ一度サイトを見て本を探してみてください。
あとそろそろ新作詩も書きます(苦)。


■安部行人さんの詩を読んでみよう!


<雨のなかの火>


夜明けまえ、
廃止された鉄道分岐点で
ぼくは枯れ枝を燃やした。
低空によどむ雲、その裂け目に
うすい煙の筋が消えていった。


正午まえから雨。
うす暗い昼のあいまにぼくはウィスキーをのみ、
あやうげに拡がっては収まる
炎をみつめていた。


なにか立派なことを想っていたのではない、
ぼくにはそんな大層なたましいなどないのだから。
ただ昨日と今日の違いとは何なのだろうと
ふと思ったりしてみた。


時間はみな目の前の火のなかで灰になってしまうといい、
そのためにならぼくは雨のなかの火を絶やさずにいよう。


くりかえして夜明け、
色彩はもう終わり。
ぼくは雨のなかの火のまえで
時が燃え尽きるのを見ていたい。


<隠された振動>


あらゆる抑揚からもっとも遠ざかった場所で
ぼくはその章句を追う
日没の果てにある異国の書物の
かわいた茶色の頁が
微風のうちに音もなくひらかれている。


ぼくは声をあらげて読むことをしない
異国の文字は意味もわからないので
沈黙だけがただしく語るだろう
言葉の、隠された振動について。


読むことのできない語が
昏い昼にたたずむ、
読むことのできない
ぼくらもまた。


意味の極点のあいだを言葉は行き交っていて
その振幅の強さのゆえに言葉は神と等価なのだ。


平衡状態の世界でぼくは見る、
あらゆる沈黙の場所で
言葉が
ひそかに発熱するときどきを。
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2007年11月号 BJだいち さんより、おてがみが届きました

蘭の会の皆様へ

だいぶ寒くなってまいりました。わたしが住んでいる秩父地方では、朝晩の冷え込みが厳しいのでストーブを使うようになりました。

さて、20年近く勤務した会社を退職して、ポエトリーカフェを立ち上げ約1ヶ月が経ちました。妻(落合朱美)といっしょにカフェと詩集専門書店を運営していて気づいたことは、詩集というのは、読者に触れる機会をつくってあげれば売れるということです。まずは、陳列するということ。詩集コーナーをつくって選択の楽しみをつくるということ。そして、お買い物空間の演出、ゆったりとしたカフェタイムの提供。さらにフリーペーパーをつくりお薦め詩集として取り上げるということなどです。

いろいろな工夫をした結果、詩集が売れたときは、正直、うれしいです。とりわけ自費出版の詩集を店頭に陳列していて、見知らぬ人の目に留まり、そうして売れていく現場に立ち会うことは、ある種爽快な気分にさせてくれます。ポエトリーカフェを立ち上げてよかったと思える瞬間です。

わたしが、なぜポエトリーカフェを立ち上げたかというと、第一に、人の話を親身になって聴ける居場所の創出ということ。第二に、常にポエトリーリーディングできる場所の獲得ということ。第三に、詩集をできるだけ多くの人々の手にとってもらえる場所づくりということ。などです。それに加えて妻が実績を積んできた、手作り製本による自費出版のお手伝いとその販売促進の場所の獲得ということ。です。

いずれにしろ以前からわたしは、詩を軸とした事業をしたかったのです。そして詩こそが今後の日本人の精神生活の向上に有益じゃないのかと感じています。物質的には豊かになった日本人。しかし、心の情態はどうでしょうか。豊かさとは正反対の貧困情態と言えるのではないでしょうか。

わたしは、そのことをなんとしても変えたい。そう思っています。居場所がない。孤独な人々。なんと寂しい日本なのでしょうか。ポエトリーカフェは、誰に対しても開かれている居場所として、秩父に出現させました。わたしは、生涯をかけてこの居場所を守り続けたい。そうして心を豊かに生きていきたい。心を豊かにする人々を生み出したい。わたしの使命だと感じています。そしてなによりも妻に感謝したい。彼女は、わたしを心から支えてくれている。

それではまたお便りします。皆様のご健康とご多幸をお祈りしています。


2007年11月9日
BJだいち(坂本健一)





■BJだいちさんって、どんな人?

BJだいち
本名 坂本健一
昭和28年11月生まれ
埼玉県秩父市在住
2003年6月 楽天のウエブサイト「ネオテニーワールド」に詩形式でブログを書きつづけた。(当時は毎日更新)
2004年4月 大阪BIGCATにて「underground artist festa!!」をプロデュースし、自らもポエトリーリーディングを行なった。
2004年8月 「第2回詩のボクシング沖縄大会」に出場し、チャンピオンとなった。
2004年11月 詩集「ネオテニー日記〜死とその周辺」を新風舎より出版した。
2005年1月 椿氏発案のALL WORDS COAプロジェクトを椿氏とともに立ち上げた。
2005年4月 香川県高松市にてポエトリーリーディングイベント「ことばのライブAWC」をプロデュースした。
2005年9月 「ウエノポエトリカンジャム3」に出場した。
2006年8月 「AWC秋田ポエトリーリーディング」の立ち上げをサポートした。
2006年12月 「AWC八戸ポエトリーリーディング」をプロデュースした。
2007年10月6日 埼玉県秩父市にて「ポエトリーカフェ武甲書店」を妻(落合朱美)といっしょに開業した。

所在地 埼玉県秩父市東町21−1
交 通 秩父鉄道御花畑駅徒歩1分
TEL・FAX 0494−24−2813
URL http://www.bukou-books.com/



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2007年10月号 谷 竜一さんより、おてがみが届きました

 蘭の会のみなさま

 秋ですね。
 みたいなこともつい1週間前までは言うのを躊躇われた気候でしたが、
 今はもう、はっきりと、秋です。
 そちらはいかがですか?

 日本列島の縦の長さを思います。
 マンネリ気味に飽き飽きして、折角ひねりだした時候の挨拶が、
 山口から送られてたとえば北海道に辿り着くとき、
 そこでは「都市部でも雪がちらつくこともあるでしょう」なんて
 天気予報で言われたりして。
 秋だっつってんのに、こっちは。
 そんなときに限っていつも当たらない予報は見事に的中したりしてね。

 同時に、経験についても思います。
 そんな間の悪い僕の時候の挨拶を、
 苛立ちのひとつもなく受け止めてくれるのは、きっと
 あなたのなかに秋があったからなんですね。
 僕はあなたの過去にお手紙を託している、そういうことになるんですかね。

 手紙というのは、いまここにいないひとに差し出すものですから、
 そんなこといまさら確認しなくても、とは思うのですが。
 こうしていざ白い紙に向かうとなると、やはりどうしても
 いまここにいないあなたというものを認めざるをえないのです。

 今、僕はひとりです。
 片付けかけた部屋を中途で放り出して、この手紙を書いています。
 僕はいつからひとりだったんでしょうか。
 時々、それを思い返してみます。
 幸か不幸か、生まれたときにはたしかに僕はひとりではなかった。
 けれどいつからか、
 「結局は人間なんてひとりなんだから」なんていう言葉に
 希望を覚えるようになり、今ではしっかりひとりです。
 ひとりを確認するということは、ふたりを感じるようになることです。
 そういうふうに正当化して、無数のさみしさを価値に転換しようとする。
 これもまた、経験のひとつ。

 たとえば、
 どこかでねむるいつかの恋人に聞こえないおやすみの言葉をかけたり、
 永遠に出会う予定のない生涯の敵に強く憤りを訴えたり、
 見覚えのある後姿に振り向いて日本語では足りない気持ちが指先にからまったり、
 それもまた、経験のひとつ。
 そういうときに、もしかしたら詩が使えるかもしれない。
 僕はたいした詩人じゃないから、あなたを救い出したり、いい安楽死を紹介したり
 そういった実際的な解決はできないかもしれない。
 けれども僕はひとりはいやなのです。

 こないだ、新しいスケジュール帳を買いました。
 365の無限の空白を埋める方法は、いまここからでは探り出すことはできません。
 たった23×365通りのやりかたしか経験しない僕はあまりに無知です。
 可能性というのは、時に果てしなく絶望的です。
 けれども、目の前に絶望しかないのならば、もう何も恐れるものはありません。
 あらゆる可能性が絶望ならば、その向こうは希望。
 僕はそういうことを、おんなのこに教わってきました。
 いつか死ぬとわかっているのにそのおなかに命をやどすおんなのこ。
 たとえば、そういうイメージ。
 僕はどうせ一生おとこのこですから、それは絶望です。
 そしてつまり、おんなのこは希望です。
 だから僕はおんなのこが大好きです。
 (つまるところおとこのこも大好きってことなんですけど、今回は割愛。)

 もしかしたら僕はよくわからないことを言ってますかね。
 だとしたら、ちょっとかなしいことです。
 けれども、もしあなたがひとりであるということに飽きてしまったら、
 いつでも会いにきてください。
 劇場でも、ライブハウスでも、どっかの道端でもどこでもいいです。
 僕はいままでおんなのこに教えてもらったとおりに、
 ひとりの素晴らしさをあなたにお話しますね。
 べつになんにも怖いことではないのです。
 僕と話しているあなたは、もう、ひとりではなくふたりなのだから。


 そうそう、蛇足ながら付け加えると、
 たとえば、こういうことを話すときに、
 詩は役に立つような気がするんです。


 乱文失礼しました。
 またどこかで、あなたにお会いできることを楽しみに。
 そのときは、あなたの経験をたくさん聞かせてくださいね。

 それでは。


  2007年10月    谷 竜一

■谷 竜一さんって、どんな人?




プロフィール

谷 竜一(たに りゅういち)
 1984年4月11日生。23歳。山口県在住。
 詩人・演出家・スポークンアーティスト。
 総合舞台芸術ユニット 集団:歩行訓練 代表。

 舞台表現と言語表現の新たな可能性を追求し、
 観客といっしょにびっくりしたりどきどきしたりするための作品をずっと制作中。
 作品の志向はポストドラマ的、というよりはむしろ、
 シークエンスの可視的・可聴的な連関によって観客内の個人的なドラマを浮き彫りにするもの。
 至近では12月にコンテンポラリーダンスユニットちくはのアトリエ公演に、作品を発表予定。

 webにおいては、主にれつらというハンドルネームで作品を発表している。

 他の参加ユニットとして、
 詩人choriとのスポークンワーズユニット EddieWalker
 音楽家2bit brain boyとの(自称)ハードヒップホップユニット each espressive escargot encaging endless
 等がある。

個人サイト『集団 歩行訓練電子広報所』
http://walkintrainin.net/index.html


■谷 竜一さんの詩を読んでみよう!



ほぼ愛



アルバムの1曲目で満たされてしまって
あとは流れているだけ
死んでしまったんだ
イントロだけで


煙草を吸うとか吸わないとかの話をするとき
問題になるのは最初の1本
あとは最後の1本があるだけ
けれどだれも見つけない排水溝の
ほつれた草を舐める水はほのかに淀む

血流が体内で徐々に停止をはじめる
生まれたとき、ぼくは
ママの血を吐き出していた
それから思い切り吸った
空気を
軋むほどに



この国に秋だけが存在しないというその理由がここにはあって
冷たく凍ることにとてつもなく鈍感なひとがいる
一時のあつい葉脈に涙を流し
その涙のあたたかさにまたこころを震わせ
その振動が体温を維持するとき
ぼくらは寒さを忘れるだろう
そしてなにかを生み、それが誰かに触れたら
その永続的な連鎖がぼくらを生かし続け
生きているから忘れていくしか
ないのだ
寒さを


水だけがすなおだ
生きる意志をもたないやつらがいちばん正直で
そういうやつは順番に滞っては固まる
今日は138人が死にました
みんな一人暮らしでした
みんな無職でした



ぼくらは食い破ろうと必死で
それは極端を取ると
地面の固さだったり
膣だったりするけどほんとうはいろいろ
でも どれもが一瞬の出来事
ブランコを漕ぐのは最初だけ
あとは風を受けている





風を受けながらぼくは生きてるかもと思って
それってほとんど愛なんじゃない、って彼女は言って
つづけてたぶん彼女とぼくの昔のはなしをすこしして
たぶんいいこともいくらか言ったけど
彼女がそれをわかってるかっていうと
彼女の話しかけたことは
耳の途中で崩れて
彼女は薄茶に染まった葉が落ちる瞬間を見逃していて
ぼくらは結婚するんじゃないかって思った
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2007年9月号 岡部淳太郎さんより、おてがみが届きました

 あなたはいま、どこにいますか?
 誰にともなく、そんなことを問いかけながら生きてきたような気がします。その対象はあなた方のような女性である場合もあれば、そうでない場合もあったでしょう。また、性別を越え、人という種でさえも越えた、漠然とした存在を相手にしていた場合もあったでしょう。むしろ、そのような存在に呼びかけていた方が多かったかもしれません。考えてみれば、生という漠然とした時間の中を生きるのには、そうした相手に呼びかけるのがふさわしいのかもしれません。

 僕はいつも、「世界」というものを念頭に置いて生きてきました。この人々の志向が細分化した現代において、それはいささかアナクロ的な物の見方であるのかもしれません。しかし、またその一方で、僕はいつも、「世界」の中に存在するであろう「あなた」に向かって声を発しつづけてきました。その「あなた」は特定の誰かである場合もあれば、眼に見えない漠然とした存在、頭の中で思い描いただけの不安定な存在の場合もありました。それは僕のその時々の生の状態によって変っていったのですが、ともかく「世界」というマクロなものと、「あなた」というミクロなもの、この二つの間で宙吊りになりながら生きてきたような気がします。かつて谷川俊太郎氏が「世間知ラズ」という詩を書いたように、「世界」は容易に卑近な「世間」と置き換えられうるものなのかもしれませんが、「世界」と「あなた」の両方が持つ謎が、僕をここまで生かしてきたようにも思います。言うまでもなく、「世界」は永遠の謎でありますし、「あなた」という他者も、他者であるがゆえに謎を保ちつづけています。そして、僕という存在も決してすべてわかりきったものであるわけではなく、自分というものを客観的に見ることが困難であるから余計に謎のままであるのも確かなことです。結局、「世界」と「あなた」とその二つの間に挟まれた「僕」と、この三つの謎を抱えて、その謎の前で立ちすくみ、時にうちのめされながら生きてきたのでしょう。ことさら大げさな書き方をしているようにも見えるかもしれませんが、考えてみればそうした生のあり方というものは、ごく普通で平均的なものであるのかもしれません。しかし、だからこそ逆にそれは非常に尊いものであるのかもしれません。

 いまさらこんなことを言うのも野暮ですが、僕たちが住む「世界」はそうした無数の「あなた」や「僕」や「世間」や「世界」の謎と、それらの複雑な関係の網の目の中に存在しています。その網の目を網の目として認識して、その複雑さを肯定するか否定するかは人それぞれの態度によって様々であるでしょう。その態度の色分けがそれぞれの生の色合いを決定づけている要因なのかもしれませんが、ただひとつ言えることは、詩を書く者はその網の目を解きほぐしたりわざともつれさせたりする力を持ちうる、少なくとも、そうした力や技術に憧れる存在であるということです。

 詩とは何でしょうか? 人によって答は様々でしょうが、とりあえず僕にとって詩は「世界」を覆う薄い膜のようなものではないかと思っています。前述した「世界」や「あなた」の間に張り巡らされた網の目の上からすっぽりと包みこむように詩は存在していて、誰にともなく抒情を発信しつづけている、それが詩だと思うのです。その発信の仕方は、「誰にともなく」という不安げで頼りないものであるから、それに気づく者はそう多くはいません。しかし、詩のそういう存在のあり方というものは、先ほど書いた「あなた」への問いかけや、「世界」や「あなた」や「僕」の謎の前で立ちすくむ姿勢にとてもよく似ています。すなわち、詩を書くことは生きることによく似ていると思うのです。

 この世界には様々な人が住んでいて、それぞれの生を生きています。同じく、世界には様々な詩があって、それぞれに読まれたり読まれることなくひっそりと息を潜めていたりします。誰にも読んでもらえないかもしれない詩を書きつづけ、そうした徒労のような努力をつづけながら、なおも僕は「あなた」に呼びかけます。無数の「あなた」、目に見えない「あなた」に向けての、方恋のような感情。それが僕を生かしつづけているかもしれません。

 あなたはいま、どこにいますか?
 僕の声が聞こえたなら、それをしっかりと享け止めて、あなたの声を混ぜ合わせながらご自分の中で育ててください。お返事は必要ないかもしれません。ただ、あなたの中にある「世界」との距離を確認して、そこにあなたの声と一緒に僕の声が響いているのを確認していただければ、僕のやるべきことは終ったようなものです。
 いつか、どこかでお会いすることがあるかもしれません。その時までお元気で。あなたの声が、「世界」とともにありますように。


 2007年9月 岡部淳太郎


■岡部淳太郎さんって、どんな人?




プロフィール

岡部淳太郎(おかべじゅんたろう)
1967年神奈川県生まれ
横浜詩人会会員
同人誌「反射熱」主宰
詩集『迷子 その他の道』(2006年 ミッドナイトプレス)
個人サイト『21世紀のモノクローム』
http://www16.ocn.ne.jp/~juntaro/index.html


■岡部淳太郎さんの詩を読んでみよう!



火曜日に燃える


答を探している
人生のすべてをかけて
日常の暇が出来た時を見つけて
探しつづけている
火曜日はよく燃えるので
腰まわりを綺麗にしておかなければならない
(よく湿らせておかなければ)
ともすると乾きすぎてしまう
乾くのはよくない
あまりにも強すぎる渇望は
自らをだめにする
ゴミのように
火曜日に燃える
川のように
水曜日は流される
そしてきちんと分別されて
こいつはこっち側の者と
分類されて
つぎの月曜日には気がふれるのだ

枕を解体して
今日はどんな夢を見ようかと
迷っている
なんという
余生であろうか
ほんとうは
自分にいちばんよく合った
問題を探しているのだ




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2007年6月号 林明子さんより、おてがみが届きました。

いつも、蘭の会という名前を見るだけで、
鼻の先あたりに、いい匂いがしてくるような気がします。
いかがお過ごしですか。

蘭の会を知ったのは、
自分のウェブサイトを持って数年たった、2003年頃のことだと思います。

当時、私はなるたけ、自分の性別を言うことをせず、
ほとんど隠すように活動していました。
女性、とラベリングされることで、
自分を構成しているたくさんの要素、
たとえばスカートをはかないことや、
車の運転が好きなこと、いわゆる女性的でない部分が全部、
白いペンキで塗りつぶされるように感じていました。
子どもの頃からそういう違和感があったので、
ウェブの匿名性も手伝って、
でも男だと嘘をつくことはしたくなくて、
一番楽な、うやむやな状態をつくっていました。

そんなときに、蘭の会を知り、
女流詩人と名乗って活動している方たちを目の当たりにして、
少なからず、ショックを受けました。
私が必死に逃げつづけてきた場所に、
みなさんが立っていたからだったと気がついたのは、
その後、しばらくたってからのことです。

私も、一年半ほど前から、
なるべく、本名で、性別も隠さずにやりはじめました。
分かったのは、
そのほうが自然で、
何もかまえる必要はなかった、ということ。

女であることを引き受けて、詩を書く。
ごく当たり前の、なんでもないことかもしれません。
それでも、ウェブ女流詩人の集い、という言葉の奥に、
覚悟と、ご自分に対する誠実さを感じずにはいられません。

派手ではないけれど、つつましく、強さを秘めた女性たち。
私の勝手なイメージですが、
これからもどうぞ、
いい匂いのただよう、蘭の会でありますよう。


2007年6月

蘭の会、そして訪れるみなさまへ
感謝をこめて



■林明子さんって、どんな人?

akikohayashi.jpg

1980年生まれ、埼玉出身。
18歳で詩を書き始め、23歳頃から朗読イベントに参加。
現在、ポエトリージャパンスタッフ。
作品をまとめたものとして、手製詩集「身を知る雨」(2006年/非売品)

Poetry Japan
http://www.poetry.ne.jp/


■林明子さんの詩を読んでみよう!

タンポポ   

涙がでるくらい笑いあったあと
ひとり
夜道を帰る
信号で立ち止まれば
白い息が
空にのぼっていく
こんな風に笑えるまで
何年かかっただろう

会社になじめなかった私は
ひとの顔を見るのが苦手になった
上司と話すときも
ひとつ上の同僚と話すときも
手や襟元だけを見ていた

別のフロアではたらくそのひとは
顔を合わせると向こうから挨拶をした
あきらかに浮いている新人への
からかいも少し含まれていて
それでも
そのときだけは居心地の悪さを忘れて

何年かして会社をやめたあと
たいした言葉も返せない私が
まわりのひとたちから
知らずに受け取っていたもの

なにげない挨拶
手紙のなかのふとした言葉
目が合ったときの表情
ただそれだけで
こころは一瞬あかるくなった
枯れた野原に
ちいさく黄色い花を見つけたように

やさしさを受けるたびに咲いた
それらの花は
根を深くめぐらせて
ずっと待っていた

私が
顔をあげるのを

たくさんの花をなでるように
手をかざす
歩けないはずはない


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2007年5月号 椿さんより、おてがみが届きました。

蘭の会の皆さん、こんばんは。
何人かのかた、はじめまして。
何人かのかた、お久しぶりです。
何人かのかた、いつもありがとう。

これからも、どうぞよろしく。


いま深夜1時です。
やや風が吹いて、生暖かい、この季節っていいですね。酒を飲んで、ちょっといい気持ちになって書いてます。いや別に、この手紙に限らず、いつもなんですけどね。あ、ちゃんとバランスは取ってますよ。溺れてるんじゃないんでご心配なく。
でも一応気をつけます。



椿、と名乗ったのは中学3年の頃。
ラジオ「MBSヤングタウン」に投稿するときに、憶えやすい名がないかなと
いうことで考えて、ずっと好きだった花、椿を思いついたというのが最初。

小学生の頃、ちょっとだけ奈良市の大安寺というとこにに住んでて、当時は田んぼや畑だらけで、春には一面たんぽぽやれんげ、みたいな一角にちっちゃい雑木林があって、そこは「椿の森」って呼ばれてたんですね。落ちた椿がいっぱいあって、橡の木もあったからカブトムシの匂いがしてて。そこが何となく好きで。

首が落ちる、とかいって縁起が悪いとか言う人もいるけど、こんなに強い花ってほかに知らない。椿って、地面におちてからも普通に椿でしょ。踏まれても、雨に流されて排水溝に消えるまで、ずっと姿を崩さない。それに、不器用に見えてもすごく器用?な部分もあって、日本で確認されただけで800種あるとか。どう見てもチューリップや薔薇みたいな姿の椿もいるんですよ。そんな風に生きたいなぁ…って、これはあとから取って付けたものなんですけどね。



詩について、なにか書こうと考えているんですがどうしましょう。とりあえず、一つだけ。詩の定義は様々だし、自分の中でも常に変化するんだけど、素の自分の素の言葉の重みを越えるものであってはいけないと思うんですね。


この先は延々意味のわからないことを書いてしまいそうなので、ここまでで。また今度、なにか送らせてください。



まとまりのない文になってしまってると思いますがご容赦を。3時になってます。 寝る支度をすることにします。

皆さんと、僕らと、どこかでそのうち繋がる人たちの、
繁栄へ  乾杯。  明日も、あさっても、いい夜を。
考えたら、女性へ手紙を書いたのって…何年ぶりかな。


2007.5.13 椿


■椿さんって、どんな人?

tsubaki.jpg

1969年9月  大阪府東大阪市生まれ・高槻市在住

1980年4月  詩を書き始める

2004年6月  旅行先の富山県魚津市にて、
       ポエトリー・リーディングイベントの存在を知


2005年1月  Osaka Poetry Night 主催
       http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=osakapoetrynight

       ポエトリー・リーディングイベントグループ
       ALL WORDS COA PROJECT (通称 AWC) 発起
       http://allwordscoa.web.fc2.com/      
       http://c.mixi.jp/awc

       各地から有志を募り、全国に文化を浸透させることを目標に活動。
       2007年5月現在、
       定期開催地:大阪 高松 八戸 秋田 神戸
       開催決定地:京都 秩父 東京 横浜 倉敷
       単発開催地:奈良

AWC




個人サイト
       http://awc.ninpou.jp/


★ 現在、大阪市内にアートスペース出店計画中。
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