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2018年6月号 根来ゆうさんより、おてがみが届きました

「全部のせのパフェみたいな人生」


◯女である事が苦痛だったこと

私はずっと女であることに違和感があった

母に言わせると
「女の子なのにワンパクで困る」手合いの子どもだった

母は手作りのワンピースを私に無理やり着せた
外で猿のように野山を駆け巡っていた私の浅黒い肌には
レースのついた細かい花柄のそれは、全く似合わず

お隣のクラッシックバレエを習っていた女の子に比べて「少女」として随分見劣りしていたと思う。記憶にないが私は男の子もよく泣かせていた(物理的に!)そうだ・・・

さて、思春期がきて第二次性徴で胸が目立って来て、まわりにいやいやブラジャーを付ける様に促されても一向に私が自分が女である実感が得られず、乙女たちが初恋や初体験する中、通過儀礼としての異性とのいわゆる「男女交際」にはこれといって興味は湧かなかった


◯女をやらなきゃとひととおり努力してみた結果・・・

私は齢45になろうという人生の成熟期を迎えてもなお
「男と番う」意味がわからず、彷徨っている

20代は合コンにも行ったし、好きでもない男とカップルになるフリもしてみたが、どこかで冷めている自分がいた。プロポーズされても全くしっくり来なかった。

30代は婚活パーティーにも好奇心から行って見たが、そこでモテても虚しいばかりで飽きていかなくなった。婚活パーティーは商品価値がまだ幾分か残っている自分に酔いたい人か、本当にコミュニケーションが苦手な人が多く集まる所と言われていて、なんだか業者がアリバイ的にやっている緩い詐欺の現場に見えた

私はいつ男と番うのか!?
イエスやブッダに聞きたい

そして、それと反比例して私は空手やムエタイや柔術に手を出し、軍人や武道家の友達ばかりが増えていく
そしてそこには出会いはない!

私には一生結婚も、出産も、子育ても無いのかな?それでいいのかな?と半分以上諦めつつもずっと気になっていた。子育てだけでもできないものか?

「20代でテキトーな男との間であってもいいから、子どもだけでも作っておけばよかった!」と後悔先に立たずな心境だった

私は人生のほとんどを、周りの物差しに合わせようと意識はしてきたけど、結局は「当たり前の女の幸せ」に従える程優等生でもなく、何処かで「人生全体がストライキ」みたいな状況だった。自分を「可哀想」とまでは思わないけど「なんか物足りない」とは思ってきた。

◯新星のごとく現れた・・・希望?

そんなとき私の目の前にジャンヌ・ダルクのごとく現れたのが「アツコ」だった
彼女は私が撮っていた映画に役者として出演してくれた女性で、年の頃は30手前だった

彼女は「私、男がいなくても子ども産みたいし育てたいねん」と、言いたくても言えなかった事をサラリと言ってのけ、複数の知人友人の男性から精子提供をうけ、長年の不妊症の時期を乗り越えて13年ぶり位にやっと妊娠した

父親は科学的にはわからない、でも彼女は「父親が誰かは分からへんねん、そのほーがええねん」と言っている

彼女は「自分の子どもだから育てる」という考え方が嫌いみたいで、私にはその言葉がしっくり来た。あと、勝手に男に「俺が責任とるから!」とかも寒気がするから言われたく無いみたいだ。
つまり、子を産みたいけれど、そこに単に生物学的父というだけで関わってくる人からの束縛やコントロールは要らないという事みたいだ。

アツコは子を産む。そして、不特定多数の人々が出入りするコミュニティをつくり、そこで子育てしたいそうだ。なんてパーフェクトな解決策だ!と私は思った。

◯なんでそんなに「フツウの結婚」が嫌なのか?

私は1970年代生まれだ。私の母の世代は姑さんとのジメッとした問題を抱え、逃走の手段が核家族だった、核家族ならフリーダムだと思っていた。でも、結果社会は摂食障害でコミュニケーションに問題のある私みたいな娘を多く産んだ。私は(私たちは?)承認を得られない母親たちの愚痴を延々と聞いて育って来た。解決としての家族や戸籍制度に違和感があるのは当然である。

今の標準的な事として流布されている価値観には「幸せなフリはもうやめようや。バレてるからさ」という風な印象を私は持つ。



アツコの様な女性たちの事を「男に認知してもえあえなかった可哀想なシングルマザー」とか「計画性もなく子どもをもつ動物みたいな輩」とか「貧困女子まっしぐらの愚か者」とか「高収入の男と番えなかった負け組女」とか「わがままばかり通そうとして産まれてくる子どもが可哀想」とか自分から切り離して勝手に下にみて蔑むのは簡単だと思う
でも、それで私たちは何か新たな解決策を得られるのか!?

物理的に子をつくり、育てていたとしても、人様を蔑んで支えられる価値観は脆弱に思える
実際日本の出生率は低いままな訳で・・・
こと、こういったテーマについては日本は空気が重いと思う

◯子と一緒にある人生

アツコの子育てはアツコだけのものでは無い気がする
こんなご時世であっても、子どもを産もうと頑張っている若者がいて
その若者をことさらディスっているのが今の政治家
今の社会
そんな中、子を持とうとしている人にぐいぐい食い込んだっていいと思うし、なんなら結婚も、出産も、終身雇用としての結婚も飛び越して、どさくさに紛れて共に子を育ててもいいじゃないか!?と思う

だって、そうそうチャンス無いもん!
そう、未婚(非婚?)の人が子と接するチャンスなんてそうそうないんです

母は手塩にかけて私を嫁にやるべく丁寧に育てた
手作りのロールケーキ
手作りのワンピース
丁寧に編み込んだお下げ髪
六年間無理に習わせたピアノ教室
初めての生理に炊いたお赤飯
数十万かけた振袖のレンタル代
結婚費用の為の積立金二百万円

それらを全部私はドブに捨てた
私は母の様に生きようとは思わないし
私は私らしく生きたいな・・・と思ったから

好きなことを手放さない(例えば詩を書くことも)
大して好きでも無い男と適当に番いたく無い
恋人や配偶者をモノとして品評したり、束縛したく無い
もとい、勝手に「異性と恋愛する人」と決めつけられたくない
自然に人と一緒にいたい
自分の稼いだお金で暮らしてみたい
たまには恋愛もしてみたい
生活空間に子が居て欲しい

そんな「全部載せ」のでっかいパフェみたいな生き方をアツコの事件は私に想起させた

そして、そんな気づきが何千人、何万人もの女の人たちにいつか伝わるといいのになあと
ほんわか思う

私たちは自分の足で歩いていくだけの力を持っている
幾つになってもそれに気づけるなんて、素敵なことじゃないか?

桜の季節に何かが生まれる予感がするのでした



中目黒の桜並木を眺めつつ・・・
根来ゆうより愛をこめて


■根来ゆう(ねごろゆう)さんって、どんな人?

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 岡山県倉敷市生まれ。20歳から10年近く摂食障害を経験。数年自助グループに参加。映画、テレビドキュメンタリーの仕事を経てフリーに。97年に依存症をテーマに短編を3本制作。2001年に摂食障害を扱った長編ドキュメンタリー「そして彼女は片目を塞ぐ」を制作。山形国際ドキュメンタリー映画際にて上映。祖母、母、自分の三世代の労働とライフスタイルを並べた「her stories」性暴力について扱った「らせん」などの作品がある。
 消費と依存、モラトリアムと成熟拒否、身体、サブカルチャーにおける女子文化、労働行政と移民政策など様々なテーマで作品制作を続けている。

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