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2016年11月号 赤井郁夫さんより、おてがみが届きました

皆さま はじめまして。

私の住んでいる尼崎市は昭和30年代以降の高度経済成長期に公害に苦しみ、最近は工場が減って人口も減り阪神淡路大震災の後、人口が阪神間の自治体の中で未だに回復しない唯一の自治体です。

そんなお疲れ気味の尼崎市で「哲学カフェ」を根付かせたいと活動を始めて3年、今日は私が哲学カフェについて考えていることをお話しします。


◆「哲学カフェ」に行ってみませんか。

哲学カフェでゆっくりお茶を飲みながらあなたの思うことを話してみると、みんながちゃんと聞いてくれます。それは快感です。
他の人の意見に耳を澄ませてみます。何を伝えたいのか、しっかりと聞いていると豊かな時間が過ぎて行きます。

全国各地で哲学カフェが行われるようになりました。哲学カフェと言う名前を聞かれたり実際に参加されたりした方もいらっしゃると思います。
でもまだ哲学カフェは敷居が高いなと感じる方が多いのではないかと思います。
「哲学」と言う言葉が固苦しく、もう少し親しみやすい名称がないものかと思ったりしています。

勇気を出して初めて参加した哲学カフェ、緊張されたのではないでしょうか。私も初めて参加した時は何も発言せずに様子を窺うようにして2時間を過ごしました。後から思えばそこまで固くならなくても良かったと思いますが何しろ様子が分からず、黙り込んで様子見をせざるを得なかったのです。

「哲学カフェ」とはどんな場所なのでしょう、何が起こっているのでしょう。
哲学カフェから帰る道、あなたは今しがたあったことを思い出しています。

あなたの言ったことが伝わった満足感か、伝わらなかったモヤモヤ感か。
他の人の意見、あなたには考えられないような意見に出会ってビックリしたか、それともわけがわからない、という混乱でしょうか。


◆哲学カフェはこんなところです。

哲学カフェにはテーマと簡単なルールがいくつかあり、進行役がいます。参加者の自己紹介はしないことが多く、時間を区切って行われ結論を求めません。仕組みはこれだけです。
哲学についての知識などは必要ありません。日常生活とは少し違うこの簡単な仕掛けが、自分一人だけで考えていると陥ってしまいがちな堂々巡りから抜け出す切っ掛けを与えてくれます。

哲学カフェはテーマについての色々な意見が出る場です。同時に人はそれぞれどのようにテーマにアプローチし、何を前提にしてどう考えるのか、「多様な考え方」が披露される場でもあります。

自分には出来そうもない考え方や発想に導かれた意見を聞くと、意見そのものよりもその考え方に感心することがあります。
「あっ、そういうふうに考えてもいいんだ」と自分にはなぜか越えられなかった一線を簡単に越えた考え方をポンと示されると、テーマがあなたの興味に合うか合わないかに関係なく、考えを深める切っ掛けになることがあります。

私は「哲学カフェ」をかつて戦国武将たちが鎧兜を脱ぎ、刀を置き一服の茶の前にだれもが対等であったと言う茶の湯に喩えることがあります。
対等と言う関係は実現が難しいものです。日常生活での親子関係、師弟関係、上下関係などの人間関係は、なにか特別な仕組みがないとなかなか解除できないようです。

日常生活を離れて、時間と場所を限定し名も知らぬ人たちと目の前のテーマに集中する、進行役がいて安全かつ安心して発言できることが確保されている、そのような場にあって対等な関係が実現できるのだと思います。

哲学カフェにはいくつか簡単なルールがあります。そのひとつが、今お話しした対等な対場で参加するというものです。参加者は対等な立場に立ち先生も生徒もありません。
哲学カフェはテーマについて話し合うためだけにその時だけできたコミュニティーです。

参加者が日常をどのように送っているのかなどは関係ありません。
その場に出された意見だけに集中して、みんなでそれらを吟味していきます。
一期一会です。ほら、まるでお茶席のようでしょう。


◆みんなで考える

哲学カフェでは何が行われ、何が起こっているのでしょう。

哲学カフェは哲学的対話の実践の場です。色々な哲学的対話法が工夫されていますが、哲学カフェは対話しながらみんなで考えると言うことを気軽にやってみよう、というものです。

哲学カフェでの対話の様子を少し再現してみましょう。

 イ泙沙臆端圓縫董璽泙砲弔い道廚い弔ことを出してもらいます。
テーマが「成長」で、例えば「成長と言う字は<長く成る>と書くのはなぜだろう」という問いが参加者から出されたとします。…テーマを字面で捉えると言う発想は面白いですね。参加者が「えっ」と思うような発想、考え方に出会える楽しい始まりです。

◆ゼ,法△海量笋い砲弔い突諭垢聞佑┐鮟个靴胴圓ます。
例えばだれかが「子どもや植物の生長は大きくなったり背が伸びたりはするけど、長くはならないなあ」と言います。話を続けて行くうちに、「<長く成る>のは生まれてからや芽を出してからの時間じゃないかな。」とだれかが言います。

なるほど。成長とは(身体や茎は関係なく)生まれたり始まったりしてからの時間が長くなることなので「成長」と書く…のではないか。これは問いに対する一つの答えになるかもしれません。

.そこで、みんなで寄ってたかってこれ(命題:成長とは始まりからの時間が長くなること)を検証します。
だれかが新入社員の例を挙げます。2年3年と経験を積み一人前になって行くことを成長と言っても差し支えないでしょう。他の人がスポーツを始めた人の例を挙げます。数年のうちにスキルを身につけることも成長と言うでしょう。

さらに、経済成長はどうでしょう、これもある時点からの経過を元に比較するもので時間が関係しているようです。あるいは別の視点から退化あるいは老化はどうか、この場合も時間の経過が関係しているのでこれも一種の成長と言い得るのではないか、などとみんなで考えて行きます。

このように検討を重ね、成長には「物事が始まってから時間が経つことが間違いなく関係している」という意見に異論がないならば、成長のひとつの特徴として合意ができたことになります。…実際にはこんなに一直線に進む事はないのですが。

みんなでテーマに関するこのような命題をたくさん出して検討して行くと、やがてそれらが参加者それぞれの「成長」についての考えをより鮮明に、詳細に、豊かにして行く事に繋がります。
哲学カフェで活発な検討を重ねていると、なんだか他人の頭を使って考えているような感覚を覚える事があります。他人と一緒に考えていることが実感できると、他人ってなんてありがたい存在なのか、と思わされます。


◆日常の対話

皆さま、いかがでしたか。
哲学カフェで何が起こっているのか、お伝えできたでしょうか。

皆さんの日常生活では対話は身近なものですか。
私は以前に一度、とても楽しい対話を味わった事がありました。その時の楽しさを忘れる事が出来ずにいたところ哲学カフェや哲学的対話に出会い、これこそが私がやりたい事だったと感じました。そして今は次のように考えています。

私を含め多くの人が学校生活や社会生活で対話のスキルを磨くチャンスが少なく、対話の楽しさを味わう事も少ない。みんなで考えると言うことは一般的ではないのではないか。
そして、日常的で気軽に楽しめるカフェ文化として哲学カフェを根付かせることができればかつて私が味わった楽しい対話体験をたくさんの人に知ってもらえるのではないか、ひいては少しづつでも対話の知識や経験がこの社会に蓄積できるのではないか、と考えています。


長々と書いてしまいました。最後までお読みいただきありがとうございます。 拙い文ですが、哲学カフェに感心をお持ちいただき、お近くの哲学カフェに参加していただく切っ掛けとなればければ幸いです。


■赤井郁夫(あかい いくお)さんって、どんな人?
akai
昭和31年11月7日生まれ 兵庫県尼崎市在住
2010年初めて哲学カフェに参加。哲学カフェの普及活動を行う「カフェフィロ」が主催する哲学ファシリテーター入門講座などを受講の後、尼崎市北西部にある阪急電鉄武庫之荘駅周辺で哲学カフェを始める。現在月に5〜6回の哲学カフェを開催、進行役を務める。
武庫之荘哲学カフェ運営委員会代表。
以心伝心心〜むこのそう哲学カフェ〜
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