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2017年2月号 観野健太郎(かんのけんたろう)さんより、おてがみが届きました

蘭の会の皆様初めまして。
観野健太郎といいます。
きっかけを頂いて皆様に手紙を書くことになり、詩ってなんだろう自分から溢れてくる言葉?なぜ詩を書くのだろう?などと答えがないことを考えたり、子供の頃は授業で詩を書いたり、俳句を詠んだり、大学生の頃はバンドで曲を作ったりと、意外と創作活動をしていたなと思い出がよみがえってきました。
34歳になり、生活の中で創作することも減ったのかなと思っています。
最近は料理を作ることや本を読むこと、自転車に乗ることなどで生活を楽しんでいます。
新しい料理を作ったり、新しい自転車のルートを開拓したりと、作ることは日々続いていますが、考えが溢れてくることを楽しむというよりかは、おいしかったり、懐かしい味だったり、景色が綺麗だったり、幼少の頃見た景色が思い出されたりと、作ることで、記憶の中の何かを頼りに楽しんでいるような感じがします。

時間軸的には小さい頃に比べて生きることができる時間は減っています。
これから食べることができるご飯の量も減っています。
将来のことを考えることができる時間も減っています。
その分飲んだビールの量が増えて、
いろんな人と話した時間が増えて、
これまでの思い出も増えているはずです。
思い出が増えることで創作する時間は懐古する時間に取り変わっているのかなとふと思いました。
かくいう私も事あるごとに懐かしい気分に浸ってしまうので、思い出と創作は反比例するというのは嘘ではないのかもしれません。
そんなことを考えていたら、小さいころの記憶が思い出され、いい機会なのでここに記したいと思います。

料理の記憶
始めて料理を作ったのは3歳位だと思います。
おおぶりにザクザク切られた人参とピーマンが入った焼き飯を作りました。
椅子に乗ってご飯を炒めています。
生まれた時から5歳位までは団地(公団)に住んでいました。 (団地というのは何棟かの同じような建物が一団で建っているのを指すようで、私が住んでいたのは一棟建てで、これは団地ではなく公団住宅というそうです。) そのためか、団地や公団を見るのが今でも好きです。
で、この記憶では台所が玄関側の廊下に面した所にあるので、公団の記憶だと思います。
焼き飯の味は覚えていませんが、台所の窓から光がさしています。

一度、当時住んでいた公団を見に行ったことがあるのですが、玄関側の廊下は東側にあったので、焼き飯を作ったのはお昼前のことかなと思います。
これが私の初めて料理をした時の記憶です。

渡し船の記憶  よく市営のプールに連れて行ってもらっていました。
プールに行き、泳いで、カップラーメンを食べます。
プールに行く時は自転車で向かいます。
途中渡し船に乗り、人工島の間にある川を渡ります。
現在の知識で穴埋めすると、公団が大阪市港区にあり、プールが大阪市大正区にありました。
この地域は港に面した地域で、隣同士の地域でも川で分断されていたりします。
そのため市が運営する渡船が運行されています。

父親と自転車で祖父の家へ
ある日、どんな成り行きか忘れましたが、祖父の家へ自転車で向かいました。
私は買ってもらった自転車で父の後ろをついてきました。
これについては行った記憶がありますが、到着して、自宅に戻った記憶はありません。
翌日おしりが痛かった記憶はあります。
これについても地理的なところを現在の知識で穴埋めすると自宅が大阪市港区で、祖父の家が大阪市の城東区というところにあります。
ついでにネットの地図で調べると、片道約10キロほどあるようです。

父と港へ
先にも述べたとおり、港の近くに住んでいました。
港とは言うものの横浜のような洒落たところではなく、工場地帯で小さい船の工場や材木置き場などがある少し怖いところだったと思います。
父が運転する自転車に乗せられて港に行きました。
港の端っこのところで、自転車が止まります。
ここで父はブレーキを一瞬離して、海に落ちそうになります。
ハンドル部分に取り付けられた子供用シートに座っていた私は大層怖かった記憶があります。

終わりに
まだまだあるのですが際限がないので、この辺で留めておきます。
意外と父との記憶が多いです。父は調理師で、土日祝日が休みという職業ではなく、それが子供心に寂しかったのですが、今考えるとしっかりと遊んでもらっていたようです。
母が弟を出産するときも父親と過ごした記憶があります。
今自転車が好きなのはこの頃の影響でしょうか。
料理が好きなのも父親の影響かもしれません。
気分屋で意外と大雑把なところは母親に似ています。

現在私は税理士として事務所を開業しています。
趣味は料理を作ることと、自転車に乗ること。あとは公団のような大きな建物を見ること。
両親と小さい頃の経験に影響を受けつつ、仕事だけはなんだか影響を受けていなくて、しっくりこないのはそういうことかなと思ったりもしましたが、よくよく考えると祖父は漁師や商店主で、父親も一般的なサラリーマンではないというところで、自営業を選んだ時点で、やはり影響を受けているのかなと少し安心しました。


■観野健太郎さんって、どんな人?

昭和56年11月7日生まれ
大阪市港区で8歳位まで過ごした後に長野県大町市へ父親の転勤で引っ越す。
中学生からは奈良県の生駒市というところで過ごし、大阪府内の大学へ。
就職活動のタイミングが分からずそのまま大学を卒業。
成り行きで税理士資格を取得し、会計事務所やコンサルティング会社でのサラリーマンを経て、税理士事務所を開業。
週一回、毎週水曜日には西成区の「ゲストハウスとカフェと庭 ココルーム」にてスリランカカレー屋を出店中。

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